性格的な問題として「謙虚さ」が感じられない無いような人間はおそらく科学的な思考というものはできないものと考えているし,それゆえそう言う人間とは絶対に仲良くなれないだろう.逆に言えばマトモに科学できる人間とは単に仕事のすばらしさという意味だけでなく人間性においても共感できるんだろうなぁと期待できるし,仮に科学に携わらなくとも謙虚な人ならば非科学に惑わされない会話ができると期待してつきあえると思ってたりする.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-04-12
結局,この「謙虚さ」というやつが,これまで科学について語ってきたときの「謙虚さ」や「潔癖さ」であり,あるいはここにも繰り返し書いてきた「他人を理解しろとは言わないが,他人が自分とは違うことは理解しろ」という言葉に反映される行動規範だったりする.
かつて何度となく「口論してきた」という話を書いてきたが,要するに相手に謙虚さが見いだせなかったことに端を発する.私のことを奇人と評するのは構わないし,それは何より私が自分のことを奇人かもしれないし,あるいはコミュニティ次第ではただの凡人と評されるのも当然だと思っているからである.ただ,その評価をさも自分は平均的で正常な一般大衆であることが自明であるかのような尊大な視点から下されることに,絶望的なまでの思考パターンの違いを思い知らされ,殺意にも似た感情が沸くだけなのだ.
おそらくヤサシイという言葉の捉え方がカギなのだろう.ヤサシイ一家が現れたのは「共感能力がない世界」だった.この共感を,単に他者を理解するというように捉えると恐らく齟齬が生じる.もう一歩控えめに,他者が自分の立ち位置とは違うことを理解すると考えてみる.優しいという言葉は「無償の愛」みたいなものを想起させるが,それは一歩間違えると,あるいは間違えなくとも穿った見方をする第三者にとっては,ただの傲慢さであり,自己満足であり,偽善なのだ.そうではなく,相手が自分とは違うこと,自分の行いに誤りがないかを自省するという意味での謙虚さなのだ.「無償の愛」は自己犠牲的なものを漂わせるが,それは決して謙虚さではない.
「社会に感染する異端、星に感染する異端」という小話.作中のカワリダネが直感した永遠性については共感できるものの,ヤサシイ家・初代に何らかの理解を示したというあたりを未だ理解することができていない.
2008-04-11
2008-04-08
結局,CoSTEPというか,科学技術コミュニケーターというヤツが,どんなヤツを仮想敵にしてるのかがまるでわからない.それなりにリテラシーがあるけどうっかり誤解しているヤツなのか,厨二病患者なのか,スイーツ脳なのか.
2008-04-06
2008-04-05
2008-04-04
そう言う意味で,真偽判断をベースにする論理の他に,美的感覚を共有することで成立する論理とか,いくつか存在してはいるのだろう.そういう中でわざわざ科学的であることを選ぶってことは何なのかという話.
実際に問題になるのは,自分の感想が妥当であることをわざわざ示そうとすること,他人に共有してもらおうとすること,そのために他人に通じるとは限らない論理体系をつくること,その論理が通じないことを理由に他人を責めること(美的感覚が狂ってるとか).そういう人に,あなたの使っている論理は私には通じないので別の共通の論理を使ってくださいと頼むと,それは手前の勝手だと騒ぎ始めるから,なおさらたちが悪い.他人の論理に耳を傾けようともしない社会不適合者ともいえる.こまったことに,非科学的な範囲でもたまたま趣味(好き嫌いの判断傾向)が一致するということが起こるため,その感情的な論理が正当性を帯びてしまうことがある.
つまり,科学的に何の根拠もない命題は当然ながら好き嫌いとか美醜の判断の根拠としては不当だし,そういう感情が事実認定の根拠にならないのも当然のこと.だから,あなたの事実認識は科学的にオカシイ,というようにコメントしても,非科学的な範囲では妥当だと言い出す.もちろんそこまでは妥当なのだが,非科学的な範囲でのみ通用する霊的存在を科学的な範囲にまで適用してくれるのが問題.なにしろこの霊的存在は科学的な問題まで合理的に説明してくれる.
水は何でも知っているかどうかという問題.結局「みz(ryは非科学だよ」派のキャンペーンは何を以て達成されるのか,そこんところが分からない.そういうことを言い出すヤツはどこからともなく沸くので,いつまでたっても不愉快な思いをし続けることになるのだろう.むしろ,そういうデムパなことを言い出す人間を簡単に黙らせることができる呪文を紡ぎ出すことができるかどうかが鍵なのかもしれない.もっとも,相手は論理なんかどうでもいいと思っているので,相手の価値観と趣味を全否定するような合理性のカケラもない呪文になってしまうのだろうが.