下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-07-08
おそらく絶望的なまでに対話が足りない.相手の言説を疑うにせよ,自分の言説を疑うにせよ,そのどちらがより適切であるか,あるいはそのどちらもが適切でないことを示すためには,両者の意見がどの段階で分裂してしまったかを洗い出す必要がある.そして,対立する意見 (というか,用いた導出規則) の妥当性を比較する方法を新たに探らなければならない.なぜなら,一方の論理体系ではもう一方の論理体系は自明に偽となるからである.つまり,どちらでもないメタな何かが必要になる.だからこそ,自然科学ではなくて数学が,自然言語ではなく数学が必要になる.と言っても,いろいろ端折ってるから通じないんだろうなぁ.
どうせマトモに考えられないんだから鵜呑み,という場合,どれが正しい魚なのかを適切に伝えられないと,その鵜は魚を飲み込めない.困ったことに,この鵜は中途半端に意思決定を行い,彼が魚と信じるモノを他者に伝えてくれる.
詳しい説明は難しい物理の話になりますのでここでは省略し
のような言い回しは,確かに物事をブラックボックス化/カプセル化してしまうので,そこに疑念が生じるのはある意味仕方がない.かといって,それを詳しく説明しようとすると,やれ難しいだの,説明が下手だのと.いったいどうしろと?
2008-07-07
某 y ちゃんの言う,第二段階がどういうわけか第一段階以下になってしまうという怪現象は,たいした努力もなく手に届く範囲の情報を眺め尽くしたが故に「井の中の蛙」になってしまうから,とでも解釈すればよいのか.
某掲示板定点観測所だより:自分が理解できないのは他人の説明が下手だから,自分の言っていることを理解できないのは他人が馬鹿だから.隣人が狂ってると言い出す狂人みたいなもんですわな.いよいよ終わっとる.
もう少し別の言い方をすれば,賛成と反対というのは,コメント中の意味に対して与えられるというよりも,それが新規作成される,あるいは撤回されるというイベントに対して与えられるという方が簡潔のような気がする.
A という発言があったとき,(1) A に賛同すること,(2) A に反対すること,(3) A への賛同意見 B に賛同すること,(4) B に反対すること,(5) A への反対意見 C に賛同すること,(6) C に反対すること,この 6 つは全て異なる.更に言えば,A という発言への対応 D へのリアクションも,当然ながら別.
某恐竜模型展示室の中の人と歓談するに,やはりご当地名物的な店の調査は必須だったんじゃないかという話.結局今回は行かず終い.んー,もったいない.某カートゥーン絵師/釣師 (違) さんとも一緒に呑んでみたわけですが,やはり本物と対峙してる人の観察眼には敵わないね,もっとそういう人と会話しないといけないね,という文字にしてしまうといかにも面白くないが非常に重要ないつも通りの結論.しかし呑んだ後の甘味に関しては譲れません.
2008-07-06
仙台某所でゴニョゴニョ.何故か講演後に拍手が沸き起こる某セッションでの発表は,全く想定通り過ぎる質疑が少々あった程度で,特に問題なく終了するも,それはそれで問題.同じ流体ネタでも完璧に某腕足類の人にもっていかれたカンジ.あとは,むしろ随所に配置した小ネタへの反応が思いのほか少なくガッカリ.ゆるキャラではダメということは分かったが,さてはて.
2008-07-04
2008-06-29
2008-06-28
「わかりやすい」ってことと「わかる」ってことは違うってだけのこと.わかりにくくてもわかるし,わかりやすくてもわからない (わかった気になっただけでわかっていない) ってことが起こる.要するに「わかる」という意味が一致していないのがよくない.
2008-06-27
2008-06-26
2008-06-25
2008-06-24
結局のところ,一般人が理解できないのは専門家がわかりやすく説明しないからなのか,それとも一般人が自発的に学ぶ気がないからなのか,といういつもの問題.「理解できないお前が悪い」という意見と「理解できるように説明しないお前が悪い」という意見は共に最悪,というのは某所の某氏のコメント通り.そして毎度の如く, これを私は「何でも人のせいにするのは悪い」という謙虚さの問題として片付けようとしてしまう.それはそれでどうかと思ったりもするが,今のところはそんな感じ.いわゆるサイエンスコミュニケーションというヤツはひとまず科学者側から意識的に譲歩することを目指しているわけだが,その補集合である一般側からの歩み寄りを期待できるかというと絶望的にもなる,などと言ってしまうのは傲慢だろうか.