スタンダードセクションのレンジがおよそ完成.やはり2005年末から2006年初頭にかけての期間が一つの転機だったのは間違いなさそう.アレがああいうカタチで幕を下ろしたのはある意味必然だったのかもしれん.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-07-15
2008-07-14
2008-07-13
すると,第一段階相手に,一方は法螺を吹きまくって A から B または C に向かわせようとしていて,もう一方はいきなり第二段階に引っ張り込もうとしている,という感じだろか.単純に鵜呑みすりゃいいだけ,と言う意味で前者の圧倒的勝利が見えてしまっているが.
やや飛躍するが,相手が"正しい"と認めることがあるとすれば,それは自分が間違っていて相手が正しいという状況ではなく,自分が知らなくて相手が知っているという状況なんじゃないか,と想像してみたり.
第一と第二の区別がリテラシーとかロジックとかの有無,第二と第三はそれを突き詰めて学位を得るに至るかどうかにある.ところが,第一と第二を決めるロジックの有無というのは会話の度にシビアに確かめられるコトであるのに対し,第二と第三はあくまでも一時的な評価であり,あるいはディプロマ・ミル的な部分があるので,第三は必ずしも第二の上位になく,むしろ第一・第二とは別の軸である.学位持ちの方々を貶めて言うわけではないし,大半が第二かつ第三というのは十分承知しているが,所詮肩書きということになる.
結局,A 群向けの本に飽き飽きしている第一段階の B 群が C 群向けの脳に優しくない情報に価値を見い出して実際に読む (第二段階に進む) かどうかというのは,いわゆるリテラシーを身につけたか否かというデジタルな問題だったりする. 第二段階の B 群はそれは科学の理屈はわかっているけど諸々のコストの都合上読めていない人なので,おそらく話は通じる.それが第一段階の C 群に向かうと,一次資料まで色々と読むけど都合良く鵜呑みして曲解しちゃう困った人になる.
というのを踏まえると,とりあえずマトモに一次情報に当たったり真偽判断ができたりするようなリテラシーの持ち主,というのは K 子氏の第二段階以上に相当する.この区分が適切かどうかではなく,とりあえずテクニカルターム (M田F雄的意味での密教用語
) の問題として.
件の本を読みなおしてみるに,K 子氏の曰く,「第一段階」とはイメージとしての恐竜のまわりをうろうろすることに終始し,自らをアマチュアであると自覚するまでにも至らない.そして,生涯―恐竜ファンとしての生涯―ただ与えられた情報を吸収することのみに満足して終わる
(p. 106) ような人のこと,そしてマスコミで目にする情報と,実際に研究の現場で今注目されている情報とのあまりの落差に気づいた時,初めてその人は,情報の原点に当たることの重要さを身にしみて理解する
(p. 107) というのが「第二段階」へのステップらしい.で,最終的に学位持ちが「第三段階」なんですと.
2008-07-12
2008-07-11
2008-07-09
性能差以前に,常に機能なんてものが付いてまわると考えるのもどうなんだろうと.カタチは何かの前提条件かもしれないし,何かの結果かも知れなくて,しかもその何かは運動がらみの何かじゃなかったりすることもある.
2008-07-08
これも繰り返しだが,2008-06-28T13:13 でいうところの「わかる」とは,単純に脳に優しいだけなのか,その妥当性を適切に表現できるかという,少なくとも二重の意味がある.もちろん自然科学者の言う「わかる」は後者であり,それが脳に優しい必要など何処にも無い.したがって「わかりやすい」と言った場合には確実に前者の意味を帯びる.もちろん,妥当でありかつ脳に優しいという場合が理想であるので,最初から「脳に優しい必要など何処にも無い」と言い切ってしまうと,その辺の事情を知らない (考えたこともない) 人間にはただの不親切なダメ人間としか映らない.