誰に何を見せるか,という制作者側の意図はともかく,誰が何を見たか,というデータ収集が必要.ただ,それに基づいて多くの人に何かを見せる方法を編み出すことはできるのか,という問題もある.この方法ではダメだった,の積み重ねが向上を意味するのかというと,疑わしい.もちろん,少なくともダメだった方法の繰り返しを避けるには役に立つかもしれないし,それで十分なのかもしれないが.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2010-08-08
ここまでのまとめ:「恐竜って何ですか」という質問の真意が「私はこう定義してるんですけど,自称専門家の皆さんはどう定義されてるのですか,それは私のいう何と対比できるんですか」という場合はかなり楽な方で,場合によっては「自称専門家の皆さんがいう定義に私が従わなければならない理由は何ですか」ということもある.
たとえば「この『恐竜』とこの『恐竜』は何が違うの?」と訊かれてα分類的な「ここの骨が違うの」と答えるのは容易なのだけど,「それ恐竜なの?恐竜じゃないの?恐竜の定義って何?」という質問に答えることは難しい.より正確に言えば,恐竜の定義や,恐竜なのか恐竜ではないのかという他人の解析結果,その方法の妥当性とか,分類が恣意的でいい理由だとか,名前を適切に使うことの重要性とか,研究者がどの名前を使うべきだと決めているかとか,そういうことはいくらでも説明できる.むしろ「恐竜って何?」という質問は「研究者の言う『恐竜』って何?」ではなくて「私の言う『恐竜』ではダメな理由って何?」という質問に置き換えたほうがいいんじゃないかという気がするし,それを「展示」という手法で示すことができるかというと,疑問に思ったりもする.
2010-08-06
本でも展示でも,誰かに何を伝えようと明確にして作るものってことになってるし,専門家はどこか適当な層の非専門家を対象に設定して何かを作ったりするんだけど,問題になるのはその対象から外れた人々がどう見るか,というような気がする.特に,他の専門家がどう見るか.
結局あの展示は誰に何を見せたかったのかさっぱりわからなかった.博物館のようなところで行われる文字や音声を用いた一方向的な手法では,各々の興味や知識に応じた解説をすることは困難,というか無理と言っていいだろうし,受け手は自分が理解したいように理解するだけ,という例の理屈によるならば,どんな解説をしようとも失敗に終わりかねない.そういう意味では,いわゆる「見世物」というものが,一体誰に何を見せたいものなのかというのは気になるところ.ただ,多くの人が見世物を受け入れるような何かしらの共通性があるというよりは,個々の勝手で素朴な解釈を妨げるものを排除しているだけ,という方が正しい気はする.だとすると,その勝手な解釈をあらゆる手段を用いて排除しようと努める科学的な態度の下での解釈を伝えられるかどうかという問題に対しては,悲観的にならざるを得ない.
あの恐竜展は,森ビルの展望室でバー併設なんていうセッティングからして他の恐竜展とは違う客層を狙ってるのは明らかだし,案内員が安いプリントTシャツではなくてスーツを着てめかし込んでたあたりは笑いをこらえるのがキツかったくらいだけど,そのせいもあって「見世物小屋」感がどうしようもなかった.あの業界がお金稼ぐにはアレを見世物にしないといけないんじゃないかという考え方はあるだろうし,私もそれ以外で稼げるとは思えない.ただ,あの展示が,あの業界で真摯に研究を続ける者の苦渋の決断として出来上がったものなのかというと,そうとは思えなかった.
2010-06-29
2010-06-28
2010-06-23
2010-06-22
長らくわかったつもりになって放置していた Archaeopteryx が Ornithischia ではなく Saurischia であるという理屈に手を出している.というか,Archaeopteryx が Ornithischia とされていた論文を読んでいる.
2010-05-28
2010-05-20
2010-05-07
2010-05-05
2010-05-02
2010-03-25
2010-03-24
2010-03-14
2010-03-05
そういやここでは告知してなかったけど,引越しです.で,この部屋は今夜で最後.札幌に来てから 8 年,学部時代に区内で引越してるんで,この部屋は 6 年半.実家に次いで長く住んでたことになるものの,院に入ってからはどう考えても学校で寝泊まりしてた時間のほうが長いのも事実.それなりに家に帰りたくなるような環境を作ってみたりもしたけど実を結ばず,色々あったはずだけどもあまり印象に残っておらず,まぁなんと言いますか,house ではあったけど home だったかというと疑わしかったり.