で,怒りにまかせて諸々更新中…つーか力尽きた.ねみぃ.その後,各所を検索して回った結果,だいたいどの辺のものを流用したか,そして誰が書いたかも,だいたい見当がついた感じ.外堀埋めてから問い詰めるつもり.もっとも,博物館の担当者が GO サインを出してるあたり救いがたいわけだが.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2009-03-31
同僚とともに北海道大学総合博物館の古生物学関連展示を糾弾するサイトを立ち上げた.批判対象を明確にすべく展示解説パネルを書き起こしてみたわけだが,筆舌に尽くしがたいほど酷い.先日も書いた通り,この展示に関して当方の研究室は決して無縁ではなく,このような文章が公開されたことは恥辱以外のなにものでもない.そのようなわけで,第三者から指摘されるよりも前に自浄すべきだと考えて,サイト公開に踏み切った.繰り返すが,我々はこの内容の妥当さを全力で否定する.
2009-03-29
以前にも何度か引っかかった機能と形態は相関しない
という発言について.重要なのは,機能形態学的研究と称されるものが扱っているのは「どのような動きが可能であるか」という問題であって「どのような動きをしたか」という問題では無い点だったりする.この 2 つを繋ぐには動き方が一意であることを示すより他はないが,まずうまくはいかない.そこで,新たな制約条件として「生物はなるべく死なないような動きをした」という仮定を設ける.たとえば,脚の動き方を考えるとき,そうすることで前に進まないような動き方 (軌道) は棄却するわけである.ここが,純粋な機能形態屋と生物系の機能形態屋の分岐点である.もっとも,この程度で動かし方の一意性など示せるわけがない.そこで,さらに「生物はもっとも効率のよい (機能的な) 方法を採用した」という新たな強い制約条件を導入してしまうのが,適応主義という名の悪しき意味での最節約主義だったりする.この末路については S.J. Gould せんせーが色々と語ってくれているので省略.
2009-03-29T02:09 の補足.高次タクサはプロトタイプベースで作る必要があるのに対し,力学的モデルにプロトタイプは必要ない.ゆえに機能形態系古生物学者は生物屋らしからぬ素振りを見せる.
モデル選択という観点から古生物屋がすべき作業を漠然と三題:(1) 細長くて原始的なものから紡錘形の進化的なものへのモデルしかないのであれば細長いモノは当然原始的なのであって,紡錘形で原始的なモノから細長くて進化的なものへのモデルが存在しない限り,前者のモデルとそれへの当てはめへの妥当性は一切保証されない.(2) 板のある何かに対応するためには,例えば事前に武器モデルと性的ディスプレイモデルなど用意しておかなければならない.もちろん性的ディスプレイモデルというものが適切に定義できればの話である.このとき,武器モデルへの当てはまりが悪いことは,性的ディスプレイモデルへの当てはまりの良さを全く保証しない.(3) 翼のある何かが出たと言うのならば,それは翼であってパラシュートではない.トートロジーである.より正しくは,パラシュートモデルと翼モデルをあらかじめ用意しておき,新たに出てきたよく分からないものをどっちかに分類するべきである.当然,パラシュートと翼の力学的な違いは事前に十分吟味されていなければならず,しかも当てはまりの良さなどを比較する方法が明示されていなければならない.
そんなこんなで機能形態屋はカタチを見ない
の解題.繰り返しに近いが,機能形態屋には力学モデルを作る作業とモデルに当てはめる作業が課せられる.前者では,確かに実物をみる必要はこれっぽっちもない.たぶん,例の発言はこの辺を指しているんだと思う.ただ,世の中には意外なモノが存在すること,すなわち既存のモデルには上手く当てはまらないモノが存在し,新たなモデルを生み出す必要があることを知るためには,見るべきだったりする.あるいは,既存のモデルを号税して生み出される無限のモデルを全て試すというのはどう考えても不可能なので,有効なモデルを発見するための手がかりとして,見て探す必要はあると思う.
まだ自分の中でもまとまっていないので,書き殴りとして.「機能形態学的に復元」という言い回しは,素人目には古生物学という未開の学問領域に物理学の知見を取り入れた革新的手法であるかのように受け入れられるが,実際は「ごく素朴な分類」に過ぎない.より正確に言えば,機能形態学的な復元というのは,力学モデル (= 型) を作る作業と,化石をそのカタチに基づいてそのモデルに当てはめる作業に分けられる.そして,前者にはどんなデータにも応じられるように様々なモデルを用意する能力が,後者には与えられたデータに対し妥当なモデルを選ぶ能力が求められる.普通の古生物学では高次タクサという名のモデルへの当てはめ能力が,機能形態学的な古生物学であれば力学モデルへの当てはめ能力が求められる.この違いにより,前者の立場ではクジラは「哺乳類」に分類され,後者では「水中を運動する巨大な物体」となる.そういう意味で,機能形態屋はきっと流線型は物理的に速度を出すのに適しているよね.え?化石もそういう外形しているの?じゃあ,それで良いじゃん
と言うんじゃないか,という認識は実に的を射ていると思う.
自称「機能形態屋」を見た同僚は機能形態屋はかたちを見ない
なんて指摘をしたわけだが,実は言われた時点ではその真意をよく分かっていなかったという告白.機能形態屋一般ではなく,あくまでも個人の意見として書くが,実際カタチなんてものを見てるつもりはコレっぽっちも無かったりする.ちょうど,花粉に対してアレルギーが起こるようなもので,そもそも何を見てるかなんてわからんので,外界にある (はずの) 対象を見わける方法 (= 認知機構) 自体の分析と再構築に徹してる,という感じ.
2009-03-28
いまさら言うことでもないのかもしれないけど,統計モデルへのデータの当てはめとモデル選択って,要するに認知とか分類とかのメカニズムそのものなんじゃないかなぁ,という妄想.統計やってる人には当然すぎる話なんだけど,扱いたい対象ってのは統計モデル云々を抜きにして先験的に数として存在するわけではなくて,あくまでもモデルに当てはめた結果,数として見えるということ.より正確に言えば,数とは限らないんだけど.
2009-03-27
中谷宇吉郎先生の本の隣に水伝の本を平積みした前科持ちの某大学生協書籍部が,K 村さんのダーウィン本の隣に ID 論の本を平積みしてる件.そして,その近所の某大型書店でもドーキンスとかグールドとかの隣に ID.いや,もうね…
2009-03-26
W. Pauli 著,内山龍雄訳の「相対性理論」を購入.その前に J.A. Coleman 著,中村誠太郎訳の「相対性理論の世界」を読んでいたりする.いずれ量子力学とかも勉強しないといけないんだろうなぁ,とか思ったり.動機としては,物とか時間とかって概念を素朴にしか捉えていないのはまずかろう,というあたり.
これは個人的な好みの問題なのだが,「単細胞生物 → 多細胞生物 → カンブリア爆発 → 脊椎動物の上陸 → 恐竜の繁栄 → 哺乳類との交代 → 人類の歴史」という語り口が大嫌いである.大嫌いというか,このような語り口をするヤツは,それが客に媚びた結果そう喋らざるを得ないような状況に追い込まれたということを伺わせない限り,生物というものも地球というものも,そして歴史科学というものも何一つ理解していない只の馬鹿とみなしている.無知というか,視野が狭いというか,思慮が浅いというか,どう罵倒したらよいのかわからないような,そんな気分になる.
2009-03-25
某博物館の化石の展示リニューアルについて.自分自身も関わりかけながら自分の研究の都合上何もしなかったこと,さらに主に携わった人間が自分のごく身近なところの目上の人というのを加味して,全ての発言がブーメランになることを恐れずに言うが,改悪でしかないと思う.骨を見せたかっただけか,でなければ骨以外に関し全く無知であるか,どちらかにしか見えない.客は無知で媚びなければならないという前提があるにせよ,ほどがある.
2009-03-22
今使ってるノート PC を購入した時の日記を読み直してびっくりしたのだが,当時はメインマシンもほぼ同等のスペックだった.といっても,メインもノートも 3, 4 年落ちの中古だけで組んでいたので大したものは無いのだが,その後メインマシンは画像解析用に湯水の如くリソースを使う富豪的構成へと変貌を遂げた都合上,いろいろと不満も増えてきたというわけで.もっとも,一番の問題は単なる性能云々ではなく,メインとノートでイラレのバージョンが違うことだったりもする.
2009-03-21
2009-03-20
2009-03-19
2009-03-19T20:28 の続き.より正確に言えば,分岐年代分析というものは,間違いなく初産出年代というデータを入手した上で解析しているはずなのだが,同時に手に入れることができるはずの最終産出年代というデータと合わせて議論している例を見たことがない.
2009-03-18
2009-03-17T17:50 の補足.最初にブラックボックスあるいは function と名付けながら,その直後に状態機械と混ぜて扱っていることに問題があることは十分承知している.これについては 2008-12-31T05:06 と 2009-01-08T16:36 に書いた通り.状態モデルでもラムダ計算モデルでもかまわないのだけど,そのどちらでもいいことを示したり,あるいはそれに実際の生物の話を当てはめたりという作業をするためには,圏論の言葉を使うといいんじゃないかなぁ,と思っただけ.初学者の安直な妄想.実際,function という文字列にとらわれまくった上で諸概念をつぎはぎしているのは認めざるを得ない事実.
2009-03-17T17:50 とその他諸々への反応について.まぁ,いつも通り分かりにくく書いてごめんなさいって感じなので,ちまちまと補足していくつもり.もっとも,私の席の裏で論文書きながら反応してきた人には,既に特別講義「思索と人生」(午前 4 時より開講) で説明済だったりするが,そこを深く追及してはならない.
2009-03-17
古生物学における機能形態学,つまり生物体の振る舞いを扱う機能形態学に関わる者は,他の機能形態学と違って「還元主義的機械論 vs. 生気論」という実にくだらない,くだらなさすぎて関係者を虐殺したくなるような議論に付き会わされなければならない.21 世紀も 9 年目だというのに「私は機能主義者です」などとわざわざ名乗らなければならないあたり,本当に悲惨としか言いようがない.
機能は何か,形態とは何か,という問いに関するものすごく大雑把な私的定義.適当なブラックボックスとその外界 (環世界ではなく環境) を設定し,このブラックボックスが存在するが故に生じる外界の変化を考える.このとき,外界の始状態と終状態とを結ぶ射 (morphism) を機能 (function) とよぶ.機能は参照透過とは限らず,実はブラックボックスには内部状態があって,外界の状態の変化に伴って内部状態も変化するものとして扱うほうが都合がよい.形態 (morphology) はその内部状態量の一つであり,その射を運動 (motion) とよぶ.心とか自由意志とか生気とかクオリアといった数々は,こういった内部状態量とその射のうち物理量として表現できていなために議論の対象にしえない (つまり使い物にならないゴミみたいな) 諸概念,という認識.目下の疑問は,機能に恒等射を想定してよいか,という点.
2009-03-17T14:46 あるいは 2009-03-16T00:10 あたりに話を戻す.結局,何が起こったか,か,何が起こりえないか,しか語れないということ.起こるはずのことが起こらない,というのは予測不可能性と非決定性ゆえに生じうる事態だが,起こりえないはずのことが起こった,というのは観測か予測の誤りでしかない.
