下が古い.上が新しい.間は他所

2009-04-30

今日覚えた言葉:Computer-Aided Diagnosis (CAD)

つーか P. ingens て nomen dubium か.

上腕骨から第四指末節骨まで完全に保存されてる翼竜のうち,最大サイズのヤツってどれくらいのもんなのか,という疑問.Pteranodon ingens くらい?

結局,paleONTOLOGY なんだよねー.

2009-04-29

なんかこう,もにょもにょと残る何かがありますなぁ.

「チューリングテスト」という考え方と「中国人の部屋」という考え方の間の齟齬みたいな.個人的にはタイプ (= クラス) を対象とすると前者,トークンを対象とすると後者,という解釈.If it walks like a duck and quacks like a duck, it must be a duck は,あくまでも (クラス・ベースの) オブジェクト指向における発想.

たぶん機能主義って言葉の多義性が問題.特に機械論や還元主義との関係性という観点での違いが.

今日のおもしろ概念:科学的な定義.…だめだ,腹筋が捩れる.

懸案事項:行動主義と機能主義の違いについて

自分語りが酷い.自分で言ってりゃ世話はないが,ストレスたまってると思う.というかストレスって buzzword でしかないような気がする.

一時期やたらと固執したインターフェイス指向 (というかオブジェクト指向)や型理論の話ってのも無縁ではないし,Haskell に触れてモナドって何よ,って悩んだことも,内部存在論的でもいいじゃないかという方向に向かう要因になった.同時に,圏論の話も機能主義的なところとの関連があるし,当然それは修論で機能形態学 (笑) をやったことに関係がある.あとたぶんもうひとつ,「『こうなりたくない』ではなく『こうなりたい』と思え」的ライフハックが嫌いだといつぞや語ったことも,制約プログラミング的な意味でそれほど悪くないと思っていたりする.

個人的に Uexkull の話に傾倒するようになった下地として,学部時代の教養科目として言語学関連の講義ばっかりとって Saussure の記号論的な何かとか,神尾昭雄の「情報のなわばり理論」なんかを吸収した,というのがある.もちろん,古生物系の人間として Gould の著作の影響もでかい.

2009-04-29T01:30の続き.私が環世界論に引きつけられる理由は,これが神秘主義から陰謀論,果ては虹裏世界まで,あるいは生物と非生物の関係や,科学的な態度を選ぶべき理由まで,うまいこと表現できる気がするというのがある.ま,ご都合主義の無敵理論であり,そういう意味では非科学的なんだが.

J.v. Uexkull の環世界論は,主観を重視した構成主義的なもので,つまり内部存在論的だという点は間違いないのだが,アレが生気論だとか目的論につながるという理屈がどうしても理解できない.というか,「主観的で何が悪い,目的論的で何が悪い」という開き直りと捉えるのは早計だと考えている.ポイントは生物学者としての Uexkull せんせーの態度は機能主義以外の何者でもない,というところ.つまり何を知覚しているかを反応 (作用) を見て考える,という態度.で,そこから先は,自分には内的な世界があるから他者にも内的な世界があるんだろうけど,でも見えるのは出入力だけだし,たぶん他人からは自分の内的なものなんか見えないだろうし…ってことは,出入力の対応関係のの可塑性を指して生気とか心理とか知性とか目的とかって呼んでるだけじゃねーの?という推論をしたんじゃないか,というのが個人的な解釈.そういう意味では,いつぞや語った機能主義的な心理学は成り立つ.そこからさらに,ヒトを生物の中で特別なモノと位置付けるのはやめろ,とか,知性を特別視するのはやめろ,という教訓が得られるわけで,チューリングテストやら中国人の部屋なんかの発想と極めて親和性が高い.あと,この考え方は明らかに多元主義なんだが,それは決して合意されないということでもなければ,合意したモノとしての神秘的な精神世界を必要とするわけでもなく,それこそが物質的な世界としての環境 (Umgebung) なんでないのかね?というのも非常に大きなポイント.たぶん,ここんところを指摘したのが U(ry せんせーの素晴らしいところ.要するに "構成主義 + 機能主義" は唯物論的な科学観にそれほど反しないんじゃないの?というのが結論.とんでもなく雑な考察なんで,真に受けないよーに.

2009-04-28

ニセ科学自体は論理的な破綻や精度の低い主張なのだが,科学批判やニセ科学批判偶数組は,言語の違いによるコミュニケーション不全を指摘している場合を含むような気がする.英語で喋るな,日本語で言え,みたいな.

同じ概念を別の言葉で呼んでることもあるし,別の概念を同じ言葉で呼んでることもある.科学ってのはその辺でミスを犯さないように,言葉の正しい使い方ってのを決めている.問題は,その使い方を知らない人にとっては,その使い方の正当性ってのが分からないということ.端的に言えば,そう決めたんだからそれに従う,というだけ.つまり,科学を心得ている人が (そうでないように見える人に対して) 説明しなければならないことは,単に自身の「言い換えの規則」や「文脈」を説明することではなくて,自身の言葉と相手の言葉の対応関係を探り,それを明示することだったりする.例えば「それは科学じゃない」と言い張ることではなくて「我々が科学と呼んでいるモノは,あなたが**と表現している概念のことではありませんか?」という具合の翻訳を模索する必要があるということ.そうでなければ絶対に合意は得られない.もちろんこれは,対応関係があれば,の話.それぞれの論理にしたがう矛盾探しはそれからでも遅くない.

今日のありがたい言葉: 一般的な注意をするしかないので慌てることもありませんが

そういう意味で「ドラえもん計画」ってのは「幻視でないことを形式的に確かめたい」という素朴な欲求だったりもする.そんなもの他人との会話で済ませりゃいいじゃん,その方がはるかに早いよ,てな説もあるが.

2009-04-28T00:39 の補足.生物と非生物の識別について,全く個人的で素朴な観点からは区別できないと言うだけで,他人と合意できれば分ける (たぶん,落としどころは「細胞」).「区別できない」と言った真意は,擬人化とか幽霊とかアニミズムとか陰謀論とか,そういった方面の概念との繋がり.

2009-04-28T00:14 の続き.そういう意味では「『明らかにできた対象』を『自然』と呼び,『何かを明らかにすること』を科学と呼ぶ」の方がしっくりくるのだが,これでもまだ気持ち悪いし,他者にも受け入れられるとは到底思えない.より適切に表現しようとするなら,「『自分の考えのうち,他者と明確な合意を得られたもの』を『自然』と呼び,『他者と明確な合意を得ること』を科学と呼ぶ」といったところ.もちろんこれでも不足があると思う.だいたい,こう書くだけでは宗教でもニセ科学でも何でもアリのように読めてしまう.ただ,さんざん繰り返しているように,私には環世界以外の何かが見えているとは全く思っていないので,「他者から合意を得る」というのは「環世界内の対象に何かを入力した際に予想通りの出力が得られる」というコトとしてに捉えている.同時に,個人的には生物と非生物を区別する気がないので,というか生物と非生物の分類は自分の環世界の中で行われる極めて恣意的な分類だと思っているので (2009-03-13T13:13; 13:26),対象が非ヒトならば非言語的な対話が成功すること,すなわち高精度の観測が行われること,特に対象がヒトならば言語による対話が成立すること (展示と解説 @ 某糾弾するサイト),というように考えている.

例のエントリの最後に問われたような気もする自然科学とは、自然(現象)の法則性を明らかにする学問だという表現について.もはや文脈なんてモノは散在してしまっている状況で,ココで迂闊に何かを書いてしまうことはブーメラン以外の何者でもないのだが,この表現が気に入らない理由は,発言者が「真理」のようなものを意図したかどうかではなく,聞き手である私が,まるで小学校低学年の算数の問題のようにあらかじめ正答が与えられているかのような印象を受ける,という極めて個人的な言語感覚によるもの.あくまでも日本語の問題.そんなわけで,そんなコトは意図してないし論理的にも必要ない,ということが形式的な言い換え (あるいは文脈) によって示されれば (というか,それに気づけば) ,あぁそうですか,という生返事をするしかない.でも,この言語感覚がなかなか覆らないんだよなぁ…

2009-04-27

buzzword: 哲学.

2009-04-26

誤解というか,混乱.精度とか再現性とか,その辺は夜の特別講義「思索と人生」で毎度扱っていることなので省略>某氏.

より正確に言えば,最初から誤差論的な意味がまるっと抜けていたからではない (これでも修論では計測をやってたりする) が,若干の誤解はあった.「精度」という言葉で納得できたのは「精度」の文字通りの意味が分かったという意味ではなくて,あの一連のコメントで apj さんが「近似」ではなく「精度」という言葉だけを強調してくれたおかげで,特に 現行の科学の精度>>(越えられない壁)>>インチキ宣伝で使われるニセ科学の精度 というコメントのおかげで,「精度の高さ」を「合意」に読み替えることができた,という点が大きい.それが正しい読み替えかどうかは別として.

「測れるものの全て」は外在的な存在なのだろうが,「他者と合意したもの」は内在的になる.いや,もはやその域に達すると内とか外とかって概念自体が危ういのだが.一般には前者を自然と呼ぶのだが,Uexkull 信者の私にとっては後者.

たぶん,「自然」って言葉と「真値」とか「真理」という言葉の関係が問題.

だいたい整理できてきた.多分あのエントリでの肝は,それぞれが公準をどう設定しているか知らないけど (= それぞれの哲学なんて知ったことではないけど) それって結局は同じ公理系をつくるよねという確認をしましょうということと,それを説明する言葉は文脈 (= その場の空気) を読んで選びましょう,ということ.それだけ.そこに空気を読まない人が乱入するとああなる.問題は,空気を読まない人が「それはおかしい」という場合には,その人の個人的な公理系に矛盾がある場合と,単純に言葉の対応関係がおかしい場合があるということ.私自身は後者だと思っていて (それについては下に書いたとおり未証明),実際あの命題を文脈を全て読んで解釈すれば (= 形式的に解けば) 間違ってはいませんね,というのが一連のコメント.問題は「近似」という単語については計測屋さんの流儀に従った,あるいは数学屋さんの流儀に従った定義があるにもかかわらずそれを無視してしまったこと (むしろ俺が駄目ポストモダニスト).あとは「自然」という単語に対応する概念の,こっちとあっちの対応関係がわからないというのが引っかかっているところ.なんとなく,対応する概念が無いような気もする.それって,公理系の不一致かもー,俺オカルトかもー,って不安があるので,片っ端から確かめさせてもらえませんかー,とか思ったりもしたが,相手も暇じゃないし,あそこにはあそこの公理系でしか喋ってはいけないというルールが敷かれているので,私の公準からの演繹はまずい,っつーか他所様のテリトリーで何を始める気だよってことで,個人的に終了.関係各位には陳謝.長い.

既にある「自然」という概念は,たぶん妥当.だから自然科学という分野があるし,そこではその通りの意味で「自然」という言葉を使わなければならない.問題は,自分がその単語を口に出すためにはある程度納得できていなければならないことで,それゆえ使い方がよくわからない単語を他人が難なく使っていると,何を言っているのかさっぱりわからなくなること.そういう意味で,「自然」という言葉に疑問を呈しているのは,別に既に使われている定義を忘却したいのではなく,それが何なのかをハッキリさせておきたい,というだけだったりする.それを「素朴にわかるでしょ」と言われてしまうと,あぁそうですかとしか答えられなくなってしまう.もちろん相手だって暇じゃないので,そう答えたくもなる.

一連の発言を読み返すと,どこからどうみてもオカルトの人だったりする.ぷはー.

2009-04-25

よーやく理解した.精度な.確度じゃなくて.