下が古い.上が新しい.間は他所

2009-04-29

J.v. Uexkull の環世界論は,主観を重視した構成主義的なもので,つまり内部存在論的だという点は間違いないのだが,アレが生気論だとか目的論につながるという理屈がどうしても理解できない.というか,「主観的で何が悪い,目的論的で何が悪い」という開き直りと捉えるのは早計だと考えている.ポイントは生物学者としての Uexkull せんせーの態度は機能主義以外の何者でもない,というところ.つまり何を知覚しているかを反応 (作用) を見て考える,という態度.で,そこから先は,自分には内的な世界があるから他者にも内的な世界があるんだろうけど,でも見えるのは出入力だけだし,たぶん他人からは自分の内的なものなんか見えないだろうし…ってことは,出入力の対応関係のの可塑性を指して生気とか心理とか知性とか目的とかって呼んでるだけじゃねーの?という推論をしたんじゃないか,というのが個人的な解釈.そういう意味では,いつぞや語った機能主義的な心理学は成り立つ.そこからさらに,ヒトを生物の中で特別なモノと位置付けるのはやめろ,とか,知性を特別視するのはやめろ,という教訓が得られるわけで,チューリングテストやら中国人の部屋なんかの発想と極めて親和性が高い.あと,この考え方は明らかに多元主義なんだが,それは決して合意されないということでもなければ,合意したモノとしての神秘的な精神世界を必要とするわけでもなく,それこそが物質的な世界としての環境 (Umgebung) なんでないのかね?というのも非常に大きなポイント.たぶん,ここんところを指摘したのが U(ry せんせーの素晴らしいところ.要するに "構成主義 + 機能主義" は唯物論的な科学観にそれほど反しないんじゃないの?というのが結論.とんでもなく雑な考察なんで,真に受けないよーに.