懸案事項:自然選択と機械学習の違いについて.あるいは,世代を超えた「習慣」の伝達について.これらをミームという概念を使わずに説明すること.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2010-01-29
2010-01-28
2010-01-27
2010-01-26
2010-01-25
常々思ってることだし何度も書いてることだけど,サイエンスコミュニケーションというのは「科学的な疑問」を抱く人々の間に成り立つ対話を指すのか,それともそんな疑問を抱けない人間の性根を叩き直すような治療 (あるいは教育とか洗脳とか呼ばれる何か) を指すのか,そこんところがわからん.
2010-01-22
極端なことを言ってしまうと,何処に何がある,という型の表現しか使わなくて済むことになる.もちろん,型の定義やらなにやら,メタな説明も必要ではあるけど,おそろしく形式的なものにできてしまう.できればそうしたい.
要するに,見たいのはテキトーに定義した空間にたくさんの点がどう分布するかということ.何千何万次元の空間上の何億何兆という点を覚えるとか無理なんで,空間内のどの部分には分布しえないかみたいなことをテキトーに抽象化して表現しようということになる.
(2010-01-22T00:19 の続き) という前提で,stratocladistics といいますか cladistic biogeography といいますか,その辺を真面目に勉強してみないといけないかなぁとかなんとか思ってみたり.
(2010-01-21T23:58 の続き) じゃあ phylogenetic analysis てなんだよってことになると,実空間×形態空間×性能空間×…という空間上にプロットされた生物体をつなぐ作業だと思ってる.昔は,生物体を系統樹上にプロットする作業だと思ってたけど,それだといろいろおかしいような気がする.
2010-01-21
Biogeography にしても biostratigraphy にしても,その基本的は生物体を 3 次元ないし 4 次元の時空にプロットする作業だと認識している.それに対し,morphometrics は,そういう実空間 (という表現自体がアレだけど,気にしないで欲しい) じゃなくて,形態空間 (morphospace) を定義してプロットする作業と言える.では biomechanics はいったい何かというと,"性能"空間 (performance-space: 仮称) を定義してプロットする作業ということになる.形態空間と性能空間の対応関係は力学的法則なんで,工学的になんとかするべき領域だと思う.だとすると,古生物屋さんがするべき仕事というのはおよそ明快で,4次元実空間と多次元形態空間と多次元性能空間の対応付けということになる.もちろん,それは対応関係の単純な記載であって,そこに因果関係を見出す必要は無い.
H. Petroski の「フォークの歯はなぜ四本になったか」を読んでるわけだが,そもそも「形は機能に従う (form follows function)」なんつー標語がどこからわいてきたのかが謎.「発生は進化を繰り返す」に近いものがありますな.
2010-01-20
まぁ,件の発言がどこから来たか知る由もないわけですが,biostratigraphy/paleobiogeography な研究計画を立ててる身としましては,いろいろ考えさせられますなぁ,と.
2010-01-18
エゲレスの某雑誌に載った「寒冷化」の話とそれにまつわるあれやこれや,というか今回の一件に限らずいわゆる「温暖化」の話について,いわゆる査読誌以外のメディアで騒がれてるネタが,一次情報である査読誌に書かれてることとか執筆者の発言とかと一致している例を見たことがないような気がするのだけど,気のせいかね?
2010-01-17
2010-01-16
2010-01-13
自分の考え方が更新されるのは論文に書かれてることを受け入れたときばかりではなく,いろんなところで見聞きした事をつなぎあわせて思いついてるわけだが,それを正式に発表しようという段で「コレ全部自分で思いつきました」などとしれっと言ってのけるなんてことは,さすがにできませんわな.まぁ,そんなものは往々にして哲学の人が先回りしてる書いてるわけで,それはそれで恐ろしかったり.
2010-01-13T16:04 とかなんとかブーたれながらあれこれ探すに,たぶん Krohs, U. (2009) あたりはかなり自分の考えに近そうな感じ.本文では触れられてないけど,計算機科学方面の用語とも親和性が高そう.
そういや,いつからアンモナイトって空飛ぶようになって,いつから海を泳ぐようになったんだろね.などと,ネットブックの壁紙にしている Duria Antiquior を眺めては思うわけですよ.
2010-01-05
そんなわけで,復元という抽象的な作業を行っている身として欲しいのは,それを不必要に尤もらしく魅せるための超絶技巧ではなくて,抽象的なものを抽象的なまま伝えるための,数学のグラフのような定形の手法だったりする.
もちろん視覚化は重要で,そういう意味での「アート」は必要.ただ,昔から書いてるように,抽象的なものは抽象的に見せるべきで,そこを具体的なものがあるかのように見せちゃうようなアートは要らない.というか有害.
(2010-01-05T02:26) もちろん,当の本人の好みの問題もあるだろうけど,まっとうな復元すなわち観察や再現実験まで行ってモデル選択できるような人物をクリエイターと呼んで良いのか.少なくとも,まっとうな科学者を指して夢想家などと呼ぶ勇気は,私にはない.
復元という作業をモデル選択 (あるいはアブダクションと呼ばれる何か) と考えると,モデルを選ぶ前にはモデルを創らなければならない.そして,脳内の脳内の復元像を他人に伝えるためには,絵にしたり立体にしたりと,適当なメディアを創ると効果的である.その意味では,確かに復元は「クリエイター」のお仕事なのかもしれないが,クリエイターにできる仕事は高々その程度にすぎない,と言った方が適切.
2010-01-04
もちろん,眼球としての役割は必要なのだが,脳ミソの足りていない眼球を多く目にしてきてしまったせいで,脳ミソとしての役割を重視し,眼球としての機能をおろそかにしてきてしまったというのが事実.できることなら眼球付きの脳ミソになりたい.