下が古い.上が新しい.間は他所

2008-07-31

たとえばタンポポは“黄色い花”を属性として持っているのであって、“花の色”を属性として持っているわけではありません。 E.O. Wiley, D. Siegel-Causey, D.R. Brooks, and V.A. Funk 著,宮正樹 訳 (1991),系統分類学入門 ―分岐分類の基礎と応用―,文一総合出版.…腑に落ちない.

自然選択というやつは,客観的な基準で起こるかもしれないし,恣意的な基準で起こるかもしれない,というのは昔からグダグダ書いている通り.いわゆる Dual Inhertance Theory と呼ばれるアレ.生態や行動を観察することで他者の恣意的な基準を推定しよう,というのはフツーの科学のはず.「システムの継続」を考えると,その基準は表現型的な何かとして扱ってもいいと思う.表現型的な何か,というのを正しくはどう呼ぶべきか知らないのだが,遺伝子や環境の影響が小さいという意味で,いわゆる表現型というよりは文化的なものなので,あえて既存の (しかしマイナーな) 用語を使って呼ぶなら memotype といったところか.個人的には memotype という概念はあってもいいと思うが,meme は不要な概念だと思う.という長々とした前置きの上で,進化心理学の批判.ヒトの心理 (というか恣意的判断基準) は間違いなく進化してきたものだし,その理由を過去に求めるという発想自体は妥当だろう.ただし,現生のヒトの心理だけを見て,比較すべき他の種の心理もわからない状況で,共有派生形質などという概念もないままに過去を復元するなど,進化学をバカにするにも程がある.

2008-07-30

ここ数年の論文をぱらぱらとめくっただけだが,軟体動物の大分類があまりに混迷を極めていることに噴いた.

8 月 3 -- 4 日の2008 北海道大学オープンキャンパス理学部 自由参加プログラムで何かをカツカツやる予定.

今日覚えた言葉: adaptationism

2008-07-29

TF6 on PS2 の音楽は TAMAYO 担当らしい.な,なんだってー.

2008-07-26

そしていつも通り週末の手持ちブタさん.

学科の図書館が休みゆえ読みたい本が読めない.うがが.

2008-07-24

誤解を招いてしまったよーですので弁明.2008-07-21T22:59 について,構造主義的でイマニシズム的な人というのは決して U さんのことを指して言ったことではないので,そこんとこひとつよろしく.むしろ基本的には U さんの話に同意するところが多く,単純に自分の言葉に噛み下した立ち位置の表明だったりします.まぁ,その噛み下し方がやばそうという指摘があるのかもしれませんが.

夜食に,かわいいかわいい後輩からもらった変態もとい変身ラーメンを食す.…豚骨から醤油豚骨て,変身つーより合体?ここはひとつ,次回作は味噌から塩くらいの変化を遂げていただきたく.

2008-07-22

「ルールデザイナーまたは他プレイヤが提示したルールからプレイヤが最適解を求めようとする」という関係が成立する時、それはゲームだと言える。定義「ゲーム性」 - うさだBlog / ls@usada's Workshop

ミトコンドリア・イブ説にはどういう意味があるというのだろうか。実を言うと、「たった一人の女性から全人類が生まれた」という根本的誤解に勝るようなインパクトのある意味はない。 wikipedia/ミトコンドリア・イブ, 2008-07-04T03:39

どうしてこう某大某学部の事務は無能なのか.

2008-07-21

あからさまにおかしな異説を笑うとき,異説が異説であるということを適切に指摘できるかというのは結構重要なんじゃないかなぁ,とかなんとか.単に「***という説は少数派」という事実を言うのではダメで,それが多数派にならない理由をちゃんと説明してみよう,というコト.で,U 田さんの提起からもにょもにょと続けているアレ.個人的に,オートポイエシスの理論に辿り着く前に構造主義的生物学というヤツを経由してきたのだが,構造主義的生物学者の一部は何故だかイマニシズムに到達してしまったらしい,という意味で,その辺はそれなりに押さえておかないと危なかろう.Anagenesis というやつは全体主義的なものを想起させるのかもしれないが,それは実に目的論でしかない.オートポイエシスの理論はどこまでいっても結果論でしかないし,「システムを内側から見て…」なんて言っているがシステムに「意思」とか「主体性」なんてものは存在しなくてよい.そんなものを用意しなくとも,いわゆるダーウィニズムに収まるはず,というところが肝.

で,ここ数日,投稿が無かったが,まぁアレだ,道北某所に潜伏してちょっと自然を破壊してきた.双翅類なんて絶滅してしまえ (暴

Stein et al. (2008) Palaeontology 51 (4), pp. 967--981. 流体ネタで先を越された感あり.しかし,しかしだ.せっかく風洞実験までしておきながら,どうして性的ディスプレイなどという馬鹿げた結論に至るのか.

2008-07-16

そもそも,分裂して異なる複数のシステムが生じる,という表現自体がシステムの外から見た表現に他ならないわけで,傍から見て分裂したように見える二つのシステムの内の一方から観察し続ければ,やはりシステムに外側なんてものは無く,何事もなかったかのように一つのシステムが継続しているだけだったりするんじゃないか,とかなんとか.

「種」をオートポイエシスだと想定すると,おそらくそれはどこまでも広がって系統ネットワーク全体に一致してしまうような気もする (2008-07-16T13:58),という行は取り下げておこう.有向グラフを遡ってルートまで広がってしまうことはあっても,姉妹群は含まないかもしれないし.

ある意味,単細胞生物の分裂・融合ネットワークというのは,ほとんど系統ネットワークと等価なんじゃないかと思ってみたり.

楽観的な予想として,系統ネットワークは完全に自己相似というわけではなく,巨視的には木構造をしているだろう.どれくらい巨視的ならば木と見なせるか,という境界はやはり恣意的だが,木に見えたならばさっさとクレードとして認定してしまう,という便宜的な方法くらいは使ってもいいと思う.

細胞の親子関係という二項関係だけに基づく有向グラフを書いてみる.個々の細胞をノード,親子関係をエッジとすればよい.細胞の分裂と融合によって,二つの細胞をつなぐパスが複数生じることがある.要するに,ネットワークである.このとき重要なのは,この細胞のネットワークだけを見て個体を識別することはできない,ということである.このネットワークから個体を識別するには,たとえば親子関係の中に減数分裂とか受精という特殊な関係が存在するとか,そういう細胞システムを外から見た新たな情報が必要になる (システムを外から見る,というのも変な表現だが).これによって,細胞のネットワークを単純化し,個体のネットワークとして見ることができるようになるが,それだけであって,やはりネットワークはネットワークなのである.このネットワークの「網の目」の集合を考えると,非常に小さいもの (近親交配) からほとんど無限大のもの (いわゆる cladogenesis 的な何か) まであるし,小さい目が組み合わさって大きい目を作るという厄介な構造がある.「種」をオートポイエシスだと想定すると,おそらくそれはどこまでも広がって系統ネットワーク全体に一致してしまうような気もする.結局,「種」でもなんでもいいのだが「個体より高次の集合」を作るためには,ネットワークを外から見て恣意的な境界を設定しなければならない.

生命でも種でも個体でも,それは確かに何かを継続し続けるシステムなのだが,継続するに当たって「分岐」とか「分裂」とかいう現象,あるいはその逆の「融合」とか「共生」とかいう現象を伴うかどうかが鍵なのではないか,とか妄想してみる.

これが,例えばヒトの生殖だったりすると,若干話が変わってくる.男が精子をどぴゃーっとぶちまけたとき,はたしてそれはその男そのものなのかというと,少なくとも直感的にはそうではない.その一部が見事受精して成長し続けたとして,それはやはり少なくとも直感的には元の男とは確実に異なる個体である.要するに男 A とその息子 B は明らかに異なる個体 (システム) なのだが,「再生産し続ける (分裂し続ける)」という観点で見ると,分裂後のシステム A と B は,ともに「分裂前のシステムの続き」であり,分裂前のシステムは A でもあり B でもあるという更にややこしい事態に陥る.

ある時刻 t_1 に存在した単一の細胞が分裂し,時刻 t_2 において二つの細胞 A と B になった.分裂前の細胞は A か B か.

というか,C.J. Date 的な意味での 5NF 以外認めない非オブ脳になってるよーな.

あ,null がオッケーだからいいのか.

DarwinCore とその Paleontology Element Definition.このやり方では,各個体を主キーとし,HighestBiostratigraphicZone などの要素によって,その個体が含まれるかもしれない層序単元を列挙している.要するに非正規なので,ビューならともかく内部形式としては非常にマズいし,一つの層の中の複数個体の上下関係などを記述するための要素がないという問題もある.上限や下限を絞り込めない場合を考えると,含まれるかもしれない単元を列挙するよりは,上界または下界のデータムを列挙するという方法の方がマシだろう.少なくとも内部では,個体も一つの基準面 a として扱い,他の基準面 b より上位 (あるいは下位) であることを示すタプルの関係 [(a, b)] として表現する方が妥当,とか思ったりするのだが.

2008-07-15

今日の超絶生命体:ソマチット.ミディクロリアンと同一視する向きもあるらしい.

スタンダードセクションのレンジがおよそ完成.やはり2005年末から2006年初頭にかけての期間が一つの転機だったのは間違いなさそう.アレがああいうカタチで幕を下ろしたのはある意味必然だったのかもしれん.

2008-07-14

とあるもののレンジチャートを作成中.これまでに 1/5 程度が完了.ちなみに生物のものではない.

両論併記した途端に,知識が多い人,もしくは様々な角度から物事を考えられるスゴイ人に見える.不思議!

O 山大学の昆虫屋さん @ evolve は毎度フリーダムすぎると思うんだ.だがそれがよい.

thunderforce VI.PS2 じゃなければっ.

2008-07-13

出来合いのリストにひたすら値を代入し続けるのと,そのリストをもっと複雑な構造体にした上で値をぶち込むのとでは,全然意味が違うわけで.

すると,第一段階相手に,一方は法螺を吹きまくって A から B または C に向かわせようとしていて,もう一方はいきなり第二段階に引っ張り込もうとしている,という感じだろか.単純に鵜呑みすりゃいいだけ,と言う意味で前者の圧倒的勝利が見えてしまっているが.

確かに,採算を度外視すれば,第一段階の B 群相手に法螺を吹けば簡単に狂信者を生み出すことが可能に違いない.

やや飛躍するが,相手が"正しい"と認めることがあるとすれば,それは自分が間違っていて相手が正しいという状況ではなく,自分が知らなくて相手が知っているという状況なんじゃないか,と想像してみたり.

結局,第一段階の人間には第一段階と第二段階の区別が付かず,そして真偽判断のマトモなロジックは無いので,基本的には自分が"正しい".

第一と第二の区別がリテラシーとかロジックとかの有無,第二と第三はそれを突き詰めて学位を得るに至るかどうかにある.ところが,第一と第二を決めるロジックの有無というのは会話の度にシビアに確かめられるコトであるのに対し,第二と第三はあくまでも一時的な評価であり,あるいはディプロマ・ミル的な部分があるので,第三は必ずしも第二の上位になく,むしろ第一・第二とは別の軸である.学位持ちの方々を貶めて言うわけではないし,大半が第二かつ第三というのは十分承知しているが,所詮肩書きということになる.

結局,A 群向けの本に飽き飽きしている第一段階の B 群が C 群向けの脳に優しくない情報に価値を見い出して実際に読む (第二段階に進む) かどうかというのは,いわゆるリテラシーを身につけたか否かというデジタルな問題だったりする. 第二段階の B 群はそれは科学の理屈はわかっているけど諸々のコストの都合上読めていない人なので,おそらく話は通じる.それが第一段階の C 群に向かうと,一次資料まで色々と読むけど都合良く鵜呑みして曲解しちゃう困った人になる.

読みたいと思うこと,読む必要性を感じること,(能力的に) 読めること,(コスト的に) 読めること,読んだということは,やはりそれぞれ違うわけで.

というのを踏まえると,とりあえずマトモに一次情報に当たったり真偽判断ができたりするようなリテラシーの持ち主,というのは K 子氏の第二段階以上に相当する.この区分が適切かどうかではなく,とりあえずテクニカルターム (M田F雄的意味での密教用語) の問題として.

件の本を読みなおしてみるに,K 子氏の曰く,「第一段階」とはイメージとしての恐竜のまわりをうろうろすることに終始し,自らをアマチュアであると自覚するまでにも至らない.そして,生涯―恐竜ファンとしての生涯―ただ与えられた情報を吸収することのみに満足して終わる (p. 106) ような人のこと,そしてマスコミで目にする情報と,実際に研究の現場で今注目されている情報とのあまりの落差に気づいた時,初めてその人は,情報の原点に当たることの重要さを身にしみて理解する (p. 107) というのが「第二段階」へのステップらしい.で,最終的に学位持ちが「第三段階」なんですと.

2008-07-12

しばらく続いていた某765プロ的な壁紙から BARCA 機関的な壁紙に変更.

2008-07-11

www.mangagamer.com/hentai/ .日本語の趣深さを感じずには居られない.

ザック購入.22 l から 50 + 10 l に.また deuter.むしろいままで 22 l で何とかしていたという方がオカシイわけだが.

2008-07-10

今日の賢いソフト:E.C

2008-07-09

ざっと目を通した限りミニ長頸竜類は未発見の模様.次回の発表で使いたかったのに…

まさかのオカチョー.

性能差以前に,常に機能なんてものが付いてまわると考えるのもどうなんだろうと.カタチは何かの前提条件かもしれないし,何かの結果かも知れなくて,しかもその何かは運動がらみの何かじゃなかったりすることもある.

カタチの違いを見つけては機能!機能!と言いますがねぇ.機能というか性能に有意差があることを示さなくてはならぬわけでして.

何階分かメタなとこから見ちゃってるからなぁ.不自由な1階まで落とさにゃならぬ.

経県値.東北,中国,四国,は謎地域.

わかりやすさというのは,シンプルさかもしれないし,感情移入できる物語性かもしれない.

某掲示板定点観測所だより:一方はただの狂人.もう一方は対話次第でなんとかなりそうなものの,対話の相手を間違っているあたりが致命的.

2008-07-08

すると問題は,潔癖症ともいえる自然科学者がどれだけ脳に優しい虚構を臆面もなく語れるか,というところに辿り着くので,これはもう絶望的.

これも繰り返しだが,2008-06-28T13:13 でいうところの「わかる」とは,単純に脳に優しいだけなのか,その妥当性を適切に表現できるかという,少なくとも二重の意味がある.もちろん自然科学者の言う「わかる」は後者であり,それが脳に優しい必要など何処にも無い.したがって「わかりやすい」と言った場合には確実に前者の意味を帯びる.もちろん,妥当でありかつ脳に優しいという場合が理想であるので,最初から「脳に優しい必要など何処にも無い」と言い切ってしまうと,その辺の事情を知らない (考えたこともない) 人間にはただの不親切なダメ人間としか映らない.

悲しいかな,理解しやすいということと確からしいということとは決定的に違うわけですな,やっぱり.

科学図書館にある寺田寅彦の相対性原理側面観.大正11年当時から色々と大して何も変わっていないことがよくわかる.

おそらく絶望的なまでに対話が足りない.相手の言説を疑うにせよ,自分の言説を疑うにせよ,そのどちらがより適切であるか,あるいはそのどちらもが適切でないことを示すためには,両者の意見がどの段階で分裂してしまったかを洗い出す必要がある.そして,対立する意見 (というか,用いた導出規則) の妥当性を比較する方法を新たに探らなければならない.なぜなら,一方の論理体系ではもう一方の論理体系は自明に偽となるからである.つまり,どちらでもないメタな何かが必要になる.だからこそ,自然科学ではなくて数学が,自然言語ではなく数学が必要になる.と言っても,いろいろ端折ってるから通じないんだろうなぁ.

どうせマトモに考えられないんだから鵜呑み,という場合,どれが正しい魚なのかを適切に伝えられないと,その鵜は魚を飲み込めない.困ったことに,この鵜は中途半端に意思決定を行い,彼が魚と信じるモノを他者に伝えてくれる.

ぁー,もー,超絶展開すぎて意味わかんねーwww

とある地球温暖化に対する見解.米欄がかなりの超絶展開.やはり狂った第二段階は第三段階と同じところにいるものと勘違いしているあたり非常に危険.

詳しい説明は難しい物理の話になりますのでここでは省略し のような言い回しは,確かに物事をブラックボックス化/カプセル化してしまうので,そこに疑念が生じるのはある意味仕方がない.かといって,それを詳しく説明しようとすると,やれ難しいだの,説明が下手だのと.いったいどうしろと?

2008-07-07

「井の中の蛙」というやつは,確かに限られた範囲では筆頭であるという意味で良い喩えではないかもしれない.

某 y ちゃんの言う,第二段階がどういうわけか第一段階以下になってしまうという怪現象は,たいした努力もなく手に届く範囲の情報を眺め尽くしたが故に「井の中の蛙」になってしまうから,とでも解釈すればよいのか.

うん,誘惑に勝てなかったんだ.

某掲示板定点観測所だより:自分が理解できないのは他人の説明が下手だから,自分の言っていることを理解できないのは他人が馬鹿だから.隣人が狂ってると言い出す狂人みたいなもんですわな.いよいよ終わっとる.

もう少し別の言い方をすれば,賛成と反対というのは,コメント中の意味に対して与えられるというよりも,それが新規作成される,あるいは撤回されるというイベントに対して与えられるという方が簡潔のような気がする.

A という発言があったとき,(1) A に賛同すること,(2) A に反対すること,(3) A への賛同意見 B に賛同すること,(4) B に反対すること,(5) A への反対意見 C に賛同すること,(6) C に反対すること,この 6 つは全て異なる.更に言えば,A という発言への対応 D へのリアクションも,当然ながら別.

それにしてもイントロの「温暖化」と「寒冷化」はもはや枕詞か buzz words かといった具合で.

某恐竜模型展示室の中の人と歓談するに,やはりご当地名物的な店の調査は必須だったんじゃないかという話.結局今回は行かず終い.んー,もったいない.某カートゥーン絵師/釣師 (違) さんとも一緒に呑んでみたわけですが,やはり本物と対峙してる人の観察眼には敵わないね,もっとそういう人と会話しないといけないね,という文字にしてしまうといかにも面白くないが非常に重要ないつも通りの結論.しかし呑んだ後の甘味に関しては譲れません.

2008-07-06

仙台某所でゴニョゴニョ.何故か講演後に拍手が沸き起こる某セッションでの発表は,全く想定通り過ぎる質疑が少々あった程度で,特に問題なく終了するも,それはそれで問題.同じ流体ネタでも完璧に某腕足類の人にもっていかれたカンジ.あとは,むしろ随所に配置した小ネタへの反応が思いのほか少なくガッカリ.ゆるキャラではダメということは分かったが,さてはて.

2008-07-04

それにしても ppt ってヤツぁフォントの融通が利かなくて困る.pdf じゃダメ?