下が古い.上が新しい.間は他所

2011-11-05

いまだに階層的クラスタリングが使われる理由が理解出来ない.というか,いわゆる階層的クラスタリングは暗黙のうちに (特殊な) 階層構造が存在すると仮定しているわけで,その構造の存在を受け入れて行われる各種解析の妥当性が理解出来ない.

2011-10-11

どうして魚竜類とサメ類の形態は収斂"できた"のか問題に関するメモ:10.1666/04069.1; 10.1098/rspb.2008.1441;

2011-10-08

古来,骨要素の同定というのは「要素間の位置関係」に基づいて行われるということになっているようなのだけど,果たして骨要素からなるグラフの同型性にのみ基づいて形式的に定義することはできるのかという問題.

2011-10-02

まる一日ほどかけて統計とか確率の復習.思い返してみると,おそらく講義を受けたのは学部の教養科目のひとコマだけであった.しかも,その内容といえばよくある教科書に沿った,確率論に始まり様座な分布を覚えつつ検定やら推定を,という流れで,これがもう全くと言っていいほど身につかなかった.正直よく単位がもらえたものだと思う.その後,諸々研究を初めてからは統計の本も読めるようになったのだけど,その入口はどう考えても確率論やら推測統計学ではなくて,系統学や分類学,あるいはコンピュータビジョンや形態解析といったデータマイニングの側からだった.確率論の話を理解したのは間違いなく公理論的な数学というものをおぼろげながら理解した後だし,情報理論とかそっち側から入ったような気がする.もちろん,最初にわからないながら頭に詰め込んでいるからこその理解ではあるのだけど,いわゆる統計学の教科書を見ていると,その流れじゃなくてもいいんじゃね?とか思ってしまう.

2011-09-30

統計というかデータマイニング,というか推測統計ではなく記述統計だろう,とツッコみたくなることしばしば.

2011-09-23

実のところ,たとえばグラフ G のインスタンスとしてどのようなものがあるか,そしてそれが各進化系列上でどのように変化してきたかについては, いわゆる離散形態形質の系統解析というやつで扱われている.が,それは適当か.

もうひとつ.グラフ G の比較はできないものか.

骨格を骨要素 (A),2つの骨要素の関節面 (B),2つの関節面の交線 (C),という3つの型に分ける.この3種類のノードがつくるグラフ (G) をに基づいて A を分類し,B や C を標識点として幾何学的形態解析をする.さて,C が生物学的に相同 (つまり type I landmark) だという根拠はどこ ?

2011-09-20

諸々の文献等において landmark-based morphometrics が outline-based morphometrics に並立するものとして書かれるのがよくわからない.実際に測られる outline というのは landmark 集合の特殊な例 (一列に並んだ landmarks) ではなかろうかと.あえて対比するならその landmarks 列を空間領域で表現するか,それとも周波数領域で表現するかというのが重要なのではないかと思う (eigenshape? よくわからん).

2011-09-16

科学的な言説を広めたい欲,もしくは科学的でない言説を撤回させたい欲,とでも申しましょうか,そういう伝言ゲームへの興味はとことん薄れてしまったなぁ,と.むしろ,どんな言説が広まっているのかを観察することだとか,広まってる言説の妥当性を考えることとか,そっち.

2011-09-15

あえていえば,世の中では命名規約におけるシノニムというものは当然ながら適切に理解されていなくて,そういう言葉がひょっこり(センセーショナルに)顔を出したとしても出世魚につけられる異名のようなものとしか理解されないということがわかった,といったところ.

最近ことあるごとに「古生物そのもの」よりも「古生物の研究というものが世の人々の世界観にどういう変化をもたらしてきたか」の方に興味があるなどと言い散らかしているような気がするけど, その分析では別に非職業研究者が職業研究者の発言を"適切"に解釈しようと"不適切"に解釈していようと全く構わなくて,職業研究者の発言が他者の考え方(物事を解釈する方法/モデル)を変えたかどうかの方が重要.もちろん,考え方の変化を捉えるためには変化の前と後を適切に認識する必要があるのだけど,別にトリトロ問題で特別新しい知見が得られたかといえばそんなことはないような気がするなぁ,というお話.

一連のトリトロ問題(DOI:10.1080/02724634.2010.483632 に端を発する Triceratops と Torosaurus の関係に関するアレコレ)について.論文に書かれている内容がどのように言い換えられて世の中に広まってゆくかという観点での分析も面白いといえば面白いのだけど,でも今回の一件は数多ある事象の一つにすぎないわけで,特別面白いというものでもない.やはりどちらかと言えば,どのようにすれば異なる個体を成長段階の異なる同一の種(個体群)として識別できるのか,どうすればそのような主張に反論できるのか,このことを論文中でどのような形式で宣言すればよいか (SYSTEMATIC PALEONTOLOGY に何を書かなくてはならないか,何を書いてはいけないか) の方に興味があるんだよなぁ,などと再認したのであった.

2011-09-01

わざわざ解説員が出ていく意味というのも考えたほうがいい.単純に答えを見つけるだけであれば,大抵の事はラベルに書いてあるわけで,ウォーリーを探す方式でラベル読ませたって意味はない.

よくあるケースとして,博物館に来るような子の中には図鑑を丸暗記している(私みたいな)嫌な子供がいるもので,そういう奴にはひとこと「なんで?」と聞き返してやるというのが私の常套手段だったりする.これまで私が関わってきたのが恐竜関係の展示だったということもあり,だいたい子供の知識というやつは復元画(笑)だとか「最大!最強!」みたいなものなので,「キミ,それ本物みたことあるの?」だとか,最強の矛を持つ肉食恐竜 vs 最強の盾を持つ草食恐竜などという文字通りの矛盾を指摘してやれば,なにかしらその子はウンウンの考えこむことになっている.それに対して,「こういうところを比べてあげればいいんじゃない?」などとヒントを言うこともあるし,それで正解 (貴様の言う「正しさ」とはなんだ,というのはさておき,極めて確からしいと言われていることとでもしておこうか) を導くことができたら「まぁそういうことだろうね」と生返事し,そもそも解答が得られない問いに対しては,「まぁわかるわけないよね」とか「なんでもかんでもわかるってもんじゃないのよ」などと煙に巻くのである.それがいいかは知らない.

ちなみに,その人が解説していたのは「この標本は何か」と答えさせるハンズオン型の展示で,彼は「さぁ,遠慮しないで触ってごらん」と導入し,それに対して子供が答えるというものであった.そして,私が残念に思ったのは,その答えが合っていれば「じゃあコレは?」,間違っていれば「正解は**でした~.じゃあコレは?」という流れをそれぞれの子供に対して繰り返していたことであった.

某博物館にて学芸員実習をしている人に「博物館の展示解説で心がけることってなにかありますか」と訊かれたのだけど,咄嗟には何も出てこなかった.ただ,その人が来館者相手に喋ってるのをしばらく見て気がついたのだけど,なんとかして展示している標本を観察させること,来館者が直前まで見ていたものや知っていそうなことと結びつけることの 2 つは非常に重要だと思った.

2011-08-31

安否速報:まだいきてる

2011-04-02

要するに,フィルタリングというものには,メディアの物質的な性質に起因する決定論的なものと,そこに介在する人間による恣意的なものとがあるということでまとめられる.ちょうど,悪しき意味での「機能形態」というものが,力学的な制約によるものと,恣意的な判断によるものとに分けて理解できる (ということになっている) ことに対応する.

例えばテレビ,ラジオ,新聞,インターネット,というメディアには,例えば絵を送れるかとか音を送れるか,ランダムアクセスできるかといった違いがある.しかし,それ以外の性質の違い ,たとえば言論から伺える思想 (などと,まだ漠然と思いつきを語っているだけなので,そんなものが本当に判別できているのかという問題は脇に置いておく) などというものは,メディアの物質的な違いではなく,メディアへの書き込みや読み出しといった操作,すなわちフィルタリングの違いを反映していると考えたほうがよいのだろうということ.

情報を伝えるには物質的な媒体 (メディア) が必要なのだが,メディアを物質的な性質を分類しようとすると,追記限定/上書き可能だとか,FILO/FIFO だとか,シーケンシャル/ランダムアクセスだとか,データの次元だとか,物質の耐久性だとか,そういった観点は思いつくのだが,それぐらいしか思いつかない.とはいえ,この性質によりメディアに残る情報はある程度フィルタリングされ,メディア毎に残すことができる情報には違いが生じることとなる.しかし,情報のフィルタリングの全てがメディアの物質的な性質に起因しているかといえば,おそらくそんなことはない.つまり,フィルタとメディアは別のものとして考えたほうがいいんじゃないか,ということ.

2011-03-14

安否遅報:家のふとんでぬくぬくと寝てる.

2011-03-04

3次元のボクセルデータを得られるようになるということは,断面積ではなく体積,外周の長さではなく表面積が測れることになるということではあるのだが,それを測ることができるから何だという話ではある.

2011-02-23

omnis cellula e cellula という標語に反して人工細胞を作ることが出来てしまった場合,intelligent designer の存在を認めざるをえなくなるのかという問題.

2011-02-15

たまたま目に止まった形態学という言葉を冠する本 2 冊が,ともに,形態学は要素還元主義とは違い全体論的立場に立つもので云々と書いててのけぞった.だいたいこういうことを言うのは構造主義生物学者を標榜する何かと決まっていて,要素還元の行き着く先である分子生物学では説明できないことがあって,たとえば生物をミキサーにかけて形態を破壊するとそれは既に生物ではなくて…などと続くことになっている.形態を,たとえば標識点または標識線,標識面の集合だと考えるなら,間違いなくそれは濃度が 1 以上の集合 (より正確には位相空間) を扱っているのだが,複数要素を扱うことが非還元論的 (全体論的) かといえば決してそんなことはなく,形態という一属性だけに還元して扱っているに過ぎない.

2011-02-13

測る量は測る者が恣意的に決めなければならない,言い換えれば,測る者が恣意的に決めた量しか測られることはない (おそらくこれが Rudwick のいう paradigm approach が意味するものなのだと解釈される)

新たなものを作るということは,既にあるものとは違うものを作るということであり,測ることができる量で比べられるようなものが作られる.つまり,測る量は設計者により決められている (設計者の意図に反してその他の量を測ってもよい).一方,既にあるものを比べる場合,どの量を比べるべきかは自明ではない.つまり,測る者が測る量を決めなくてはならない.もちろん前者の場合にも,設計者の意図が不明であれば何を測るかを測る者が決めなければならない.結局,どちらの場合にも最終的には何を測るかを測る者が恣意的に決めるものという点で共通しており,その一方で前者の場合には設計者の助言があるが後者にはないという点が異なる.

2011-02-13T04:41について,測る作業そのものは同じである.おそらく,何を測るかを決める手続きに違いがある.

あるものを測ることとなかったものをつくって測ることは同じことのように見える.

2011-02-12

いつぞやの,化石の産出地点を地図にプロットすれば生物地理の話になるのか問題,あるいは柱状図にプロットすれば進化の話になるのか問題について.あくまでも比喩として,小説に出てくる人物の名前だけを抽出しその順序や間隔を保持したまま並べたデータから元の物語を復元できるかといえば,そんなことはない.おそらく,そういうこと.

2011-02-04

その前に,まず,集合なのか.

考古学という言葉を字義通りに解釈するなら古生物学は考古学の部分なわけだが,それが真部分集合なのか,そうとは限らないのかは考えておいたほうがいい.部分集合ではないというのなら,それらが排他的なのかどうかを考える必要があるだろう.

2011-01-22

おそらくその後輩には morphometry だとか empirical morphology いった概念が一切無い.もっとも,その後輩のことなど全くどうでもよくて,むしろそれらの概念を消し去った morphology というのが一体どのようなものなのかに興味がある.

より詳しく説明するならば,その後輩の持っている「数学」の本は微分幾何だとか自己相似だとかいった曲面の表現に関する領域の本であり,「形態」に関する本は生物の morphogenesis を題材とするものであったり,あるいは生物の機械力学的な解釈を試みるものであったりするのだが,端的に言えばそれらに一切の関連性が見いだせない.

とある後輩の本棚には,数学や数理生物学,さらに「形態」という言葉を含むタイトルの本が並んでおり,そう表現するだけならば自分の本棚に並ぶ本棚とあまり区別できないのだが,どうしても彼が考える「形態」という概念が理解出来ない.

他人の部屋に入ったら,まずは本棚を物色させてもらい,その人が何に興味をもっているか,どのような観点で物事を解釈しているか,その解釈をどのように変えていこうとしているか,などと妄想する趣味があることを告白しておこう.それが,もちろん,こいつは絶対自分の趣味とは相容れないのだろうなと思うことも稀にあるのだけど,それはあまり関係なくて,むしろ自分に足りない知識などを発見できることを期待しているといっておけば,それなりにカッコよく聞こえるのではないかと思う.

2011-01-17

みなさまの税金を糧におよそ経済的利潤とは無縁な"自称"研究活動させていただいている身としまして,(特に基礎研究に携わる人間によって) 基礎研究の重要さを語られるのを見ていると大変腹立たしい気分になるのですが,なんなんでしょうね,これ.

2011-01-14

「幻滅」の二文字を座右に.

2011-01-12

生物系の形態測定学では測った後のデータ処理に,画像処理系の形態測定学では測り方に興味があるようにみえる.

2011-01-11

本日の夜の特別講義のまとめ:化石を化石であると見抜ける人でないと(古生物を語ることは)難しい

2011-01-10

岡村長之助 と Johann Bartholomew Adam Beringer を哂う奴は古生物屋を辞めたほうがいい.

2011-01-01

あけました おめでとうございました ことしもよろしくおねがいしました