下が古い.上が新しい.間は他所

2012-03-18

もちろん,歴史をサイコロを振る行為に例えることが適当かという問題がある.

あるいは,サイコロが正六面体のときもあれば正十二面体のときもあれば正二十面体のときもあるというとき,7の目が複数回出ることを「歴史は繰り返す」と呼ぶかという問題.

サイコロを振って1が複数回出ることを「歴史は繰り返す」と呼ぶかという問題.

2012-03-17

自分の経験が稀少で重要であると自分で判断し,他人の経験の凡庸さを指摘するという行為が(その人に謙虚さが感じられないという意味で)気に入らない,というだけのような気もする.

もちろん,稀少な経験のもつ情報量が大きいことは間違いないし,稀少な経験がない(と思い込んでいる)ことに対するコンプレックスの発露に過ぎないような気もする.

大半の人間が高校や大学に進学する世の中において,学校に行く代わりに仕事なり旅なりで積まれた経験は確かに稀少で素晴らしいものだとは思うのだけど,同様の理由で仕事や旅ではなく学校に通うことを選んだという経験が否定的に捉えられることにはどうにも納得がいかない(この話が藁人形論法的であるということはともかく)

2012-03-13

もちろん,他人と自分の記憶に齟齬が無いなんてことはないし,齟齬があること,もしくは他人と何かを共有していると思っていたけど実はそんなことはなかったということは,あって当然のことではある.その当然の事態に気づかずにいて,何かの拍子にそうであることが明るみに出てきてしまうという事態もそれなりに破滅的ではあるが,その齟齬を埋め合わせることができる可能性が消えてなくなることの絶望感には耐え難いものがある.

他人(面識や血縁の有無を問わない)の記憶と自分の記憶の齟齬,特に他人にあって自分にないという状況が,ただひたすらに罪深いものに思えて辛い.