「目的」を「役割」に言い換えて解決した気になってるんじゃないかと思えて色々恐ろしい.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2009-12-16
2009-12-10
2009-11-29
さて Hesperornithiformes が drag-base の泳法 (paddling/rowing) だったって根拠はあるのかね? とPodiceps の論文を読んだ思いつきで言ってみる.
2009-11-25
2009-11-22
2009-11-21
2009-11-20
2009-11-03
2009-10-29
2009-10-28
2009-10-25
2009-10-24
2009-10-21
いまさらながら Seilacher の言う konstruktions morphologie (constructional morphology) なる概念を整理しておこうかなぁ,などと思い立つ.
2009-10-19
2009-10-18
テキストマイニングというか,文書クラスタリング.ひとつの文書に出現する単語 (形態素) の組成をベクトルで表現して,各単語の出現頻度や共起性なんかに基づいて,複数の文書をクラスタリングするというアレ.この場合,文章が何を意味するかとか,単語がそれぞれの文章の中でどのようなロールを果たしているかなんてのはどうでもよくて,単純に出現するかとうかということが問題とされる.これはちょうど,各生物体が生態系の中でどのようなロールであるかの情報が欠損し,単純に居たか居ないかが問題になる群集組成を扱う事態に対比できる (もっとも,化石群集では出現したか否かに関するデータ自体に欠損がある).問題は扱う文書ないし化石群集の時系列性.つまり,同時間面の異なる地域の群集を扱っているのか,同地点の異なる時間面の群集を扱っているのかということ.文書の場合には,引用の構造なんかを使った場合のグラフクラスタリングとの比較ができるので,その辺の効果の見積もりができると面白いなぁ,とかなんとかいう妄想.
2009-10-14
2009-10-13
function と聞いて Haskell みたいな関数型言語を想起する人にとっての function (関数) には副作用などあってはならないものなのだが,機能主義の人にとっては副作用のない function (機能) などありえない.というか,副作用こそが機能.
たぶん,古生物の復元は MPBF 派の考えに従い現生生物の MB 対に基づいて行われているのだけど,古生物の B なんてどこまでいっても憶測で,せいぜい分かるのは MP 対くらいでしょ,といういつものお話.これが実験生物屋さんあたりだと P も怪しいもんだぜ?とか言い出しちゃうところに,ロボット屋さんが P くらいならいけるよ,とか言い出してるような現状.つまり古生物でも何とか MP 対まではいける.そんなわけで,とりあえず MPF で考えておこうということになる.進化の話として面白いのは,MF と PF のどっちが強いかを判別すること.といったところを考えて,確かに例の棒状生物は MP まではいけそうだけど,MF とか PF を出せる気がしない.一方で MF や PF を出すには微化石くらいの産出密度が欲しいけど,こんどは MP を出せる気がしない.そんな深夜のネガティブ思考.
2009-10-12
2009-10-11
読めば読むほど Arnold (1983) の Morphology -> Performance -> Fitness,あるいは Garland and Losos (1994) の Morphology -> Performance -> Behavior -> Fitness がわからなくなってくる.
2009-10-10
2009-10-09
2009-10-08
いわゆる離散形質を使った最節約法による系統解析 (分岐分析) もさることながら,Navier-Stokes 方程式を暗算で解いてることになってるあたりも笑いどころ (某方面を向きつつぼそりと).
2009-10-06
2009-10-04
某掲示板定点観測所だより:ついカッとなってやった.今は(ry.「職業研究者とそれ以外,すなわち素人」という対立軸で語るのは全くナンセンスだというのは常々思うところで,その辺の詰めが甘すぎるとは思う.
2009-10-02
2009-09-25
とある航空力学の人が書いた paleobiological な本を立ち読んでみた.有体に言ってしまうと,よくある「アメーバ→クラゲ→三葉虫→魚→両生類→爬虫類→哺乳類→人.万歳」な話のひとつ.たまに出てくるメカニクスの小話は真っ当なのだが,化石の形状云々にまつわる認識がダメダメなせいでどんどん捻じれた方向へと突き進んでる感じ.
2009-09-17
2009-09-16
2009-09-15
同僚のフィールドにサンプリングのお手伝い.5 人がかりでツルハシを振るうこと 6 日間,約 1 t の岩石を掘削.とはいえ,同行したメンバーの中でもっとも非力だったりするため結構他人任せだったような気もする.
2009-09-05
あらためて,例の棒状生物の総説を眺めてみて,あの業界 paleobiology どころか paleontology って概念もビミョーで,ホント phylogeny にしか興味ないんじゃなかろか.うへぁ.
2009-09-02
「○○は無いが,●●はある」という結果論が「○○という可能性もありうるが,●●しかない」くらいの確率論的な話へと展開されるのはアリだと思う.しかし,それが「昔は○○もあったが,今は●●しかない」みたいなコトになってくると,これはただのトンデモ.つまり,○○はあくまでもコヒーレントな世界であって,実現はしていなくてもよい.殊,進化の話としてなまじ適応度なんて概念を持ち出すと,存在しなくてもよい○○が自然選択の末に絶滅したという解釈を成立させ,過去には (コヒーレントな像でしかない) 適応度の低い○○がいたことにできてしまう.
2009-09-01
2009-08-25
あの界隈がトンデモとかニセ科学と呼ばれる何かだというのは今更言うほどのことではないのだけど,アレに対し純粋に科学をやってる側が何らかの教育的行動をとってるかというと,多分無い.この辺が他のニセ科学問題とは違うところ.「お前らの言うことは間違いだ!」と言い出すことはあっても,その次に出てくる言葉が「『最新の研究成果では』こっちが正しいんだ!」だったりすると,これはもう事態を悪化させるだけ (誰とは言わないけど,そういうことしか言わない人いるよね).つまり,必要なのはもう一段二段メタな「考え方」のはずだし,K 村さんの恐竜本はその辺を狙っているものと個人的には読解してる.ただ,それによってあの表層的な知識の蓄積だけを善しとする末期的なヲタ的思想に満ちた界隈にパラダイムシフト的な何かを起こせるかといえば,非常に残念ながら私の観測範囲では確認できていないし,なかなか期待できない.もちろん,そういうことを高々数回の行動で実現しようってのが戦略としてお粗末だというのは T 川さんあたりが度々主張されてる通り.で,私個人が何か活動できるかというと,基本的に抽象的なコトばかりなのでさっさと具体例を創っとけ,という話になるので,さっさと仕事に戻る.
2009-08-24
2009-08-16
2009-08-15
2009-08-13
掲示板でもblogでもなんでもいいんだけど,ああいう場における「空気」ってヤツは,ロジックだとか,自明に導かれる命題などといったいわゆる「文脈」を指すのか,それともレスをするべきかしないべきか,ロジカルなレス以外の例えば感想などといったものを述べるべきかという問題を指すのか.まぁ,両方だろうけど.
ひさびさに夜の特別講義「思索と人生」.主に,絶滅生物の復元は現生生物の姿形や振る舞いに準拠しなければならないのかという問題.端的に言えば,「絶滅生物+現生生物」という巨大な集合の諸要素を「現生生物」のみから定義される分類群に同定することは決して妥当とは考えられないだろうというお話.つまり「復元」と称して同定する先の分類群は,既知の生物から外延的に定義する集合ではありえないということ.たぶんそれは,新たに発見される生物にも対応できるよう一段階メタな視点から構築される分類群,たとえば物理モデルというクラスなんだろうということで,これは前から主張していることでもあり,大してブレていない.
2009-08-11
「長頸竜って何ですか」という問いに「ネッシーみたいなヤツです」って答えることと,「ベレムナイトって何ですか」という問いに「タイタニック・ランスみたいなヤツです」って答えることの違いについて.
2009-08-09
なぜ長頸竜類が鎌首持ち上げて泳ぐように復元されるのか.大半は復元画から復元画を生み出すプロセスだとか,ヘビが首を持ち上げられるんだから長頸竜類もできるだろ的発想もあるだろうが,Martin J.S. Rudwick 著,菅谷暁 訳の「太古の光景」見てると,どうも「復元画」に特有の視点のせいなんじゃないかという気がしてきた.人間の視点で陸から海を眺めたときに首を持ち上げてくれないと長頸竜の姿は見ることができないわけで,それがあの不自然なポーズを生み出しているような気がする.という,昼下がりの妄想.
2009-08-08
2009-08-06
2009-08-04
2009-08-02
2009-07-31
2009-07-30
Eliot Sober 著, 松本俊吉+網谷祐一+森本良太 訳の「進化論の射程」と,Kim Sterelny + Paul E. Griffiths 著 太田紘史+大塚淳+田中泉吏+中尾央+西村正秀+藤川直也訳の「セックス・アンド・デス」の適応主義がらみのアレコレを眺める.とりあえず,ささっと眺めただけではどうにも腑に落ちない.じっくり読まなくては.
2009-07-29
一昨日から NHK-FM でクロスオーバーイレブンの再放送.俺の青春.…青春なんて安っぽい概念でもないんだが.まぁいいや.mp3 プレーヤを zen stone に変えたために家のステレオ以外に受信できるものがなく,昨日と一昨日はこの時間にあわせて帰宅.まぁ 23 時にもなったら家に帰れって話なのだが,なかなかそういうわけにもいかない.探してみれば,同僚が USB のチューナーを持っていたりするもので,懇願して借りてみる.鉄筋コンクリートの箱の中で PC やらケータイやらやら電波状況が劣悪という環境でスイートスポットを探してみたり,ホントに 10 年ぶりくらいの経験.
2009-07-28
2009-07-26
えーと,三笠のは 24 日 (金) の話.で,25 日.エヴァ破見てきた.よくわからんかった.というか,テレビ版とか旧劇場版見て深読みしてたのは昔の話.なんかもう,わかんなくていいんじゃないかって気がした.たとえば赤木ハカセの台詞.BGM が BGM なんでよくわからんかったのだが,あの台詞がバックグラウンドなんじゃないかっていう.Don't think. Feel It. あと,365歩のマーチをニャーニャーと叫ぶ人 (いろいろ混信) とか,あのメタなとこから眺めてるような感じのおかげで,不必要に没入しなくて済んだという気もするけど,あと何回か見直したら感想なんて変わっちゃうもんだろう.まぁ,そんなことはどうでもよくて,マヤたんとヒカリたんがよく喋ってたのでそれだけで十分という説もある.某の登場により,以後の話でノゾミたんとコダマたんも出てくるんじゃないかという期待も出てきたし (妄想).
三笠の博物館でサメ展を見る.楯鱗の化石は慣れないとわからん.初めてみたものとして,ラブカの歯,あれはすばらしい.魚の歯の「プロトタイプ」を見た気がする.あと_Xenacanthus_の歯.昔,新札幌の科学館で「ディメトロドンの歯」などとして展示されてて全く腑に落ちなかったやつ,アレだわ.
2009-07-23
2009-07-22
2009-07-21
2009-07-19
2009-07-17
2009-07-16
締め切り直前のクソ忙しい最中,ファイルサーバーに使ってるマシンが壊れたっぽい.RAID カードを認識しない.RAID カードだけ交換すりゃいいんじゃないかという説もあるが,そろそろPATA から eSATA に移行しとけというお告げだろか.
2009-07-12
2009-07-10
カメの肩甲骨周りの発生を扱ったNagashima et al.の話.去年の SecAD2008 で聴いた話の論文とゆーことになるのか.後出しジャンケン方式で言うと,卒論の時に長頸竜類の肩甲骨周りの相同性を考えながら妄想してたトポロジーのまんますぎて,その話を聞いた当時はやっぱりそうなのかくらいの感想だったのだが,よくよく考えてみるとそれを発生学的に観察できちゃったというのは凄いとしか言いようがない.
2009-07-07
某所で,生物はオブジェクト指向~みたいな話を見掛けたが…いや,オブジェクト指向自体は否定しないし,生物をオブジェクト指向的に説明することも可能だと思うのだが,そう説明することのご利益というのは,一部の人間にとって理解しやすいということでしかなくて,それ以外の体系で説明されることがどう言い換えられるかとか,そういう問題でしかないような気がする.個人的に,オブジェクト指向というのは,オブジェクトに着目しているのか,メッセージに着目しているのか分かりづらい,すなわち同時に見ることが不可能なはずの前景と背景を同時に見ているような説明にしか見えないのだが,まぁ,そっちのほうが分かりやすいって人もいるんでしょうなぁ,という.
いわゆる教養 (正式名称:高等教育機能開発総合センター) の倉庫から,長頸竜類化石のレプリカを発掘.頸椎を見る限りではエラスモサウリダエなのだが,遠位第四手根骨のカタチが腑に落ちない.こんなんだったっけ.
2009-07-03
2009-06-26
知識のない読者にとっては,知識のある著者の考察と知識のない著者の思い込みは区別できないし,むしろ同じ立ち位置にいるおかげで後者の方がより受け入れられやすいのではないかという想像.「世の学者連中があーだこーだ言ってますけど,素人の俺はこうだと思うわけよ,分かりやすいでしょ?お前らも考えてみなよ?」とか言ったら簡単になびきそう.おまけに,コストのかかるマトモな考察より,コストの要らない妄想の方が生産されやすいし,コピーされやすい.このように,知識のある者にとって受け入れられるはずのない思い込みが受け入れられているという事実に対し,何とも言いがたい無力感が沸き上がるというカラクリ.
ペドフィリアのような異端者を排除するとか,「こども」をペドフィリアから守るとか,いろいろな大義名分はあるにせよ,作った法律がその目的を果たすかどうかというのはどう測られるのか,そもそも測られるのかという疑問.
コミュニティの構成員を均質にしようという試みは古来何度となく繰り返されたコトかと思う.その端的な例が民族浄化で,ある種の文化や思想が通用しない集団を抹殺しようという行為として捉えられる.同様に,児ポ法を成立させようってのも,ある種の思想を持つような集団を無くそうという行為として解釈できると思う.主な違いは,異端な思想を持った人間を殺すのではなくて,異端な思想を持った人間が使うモノを無くすことで,そういう思想を消そうというあたりかと思う.問題は,モノが無ければ異端の思想は生まれない,という発想がどれだけ妥当か,排除の対象となるモノの分類基準を定めることが可能か,ということ.たぶん,というか,間違いなく無理.
同じ感想を抱かないようなヤツを排することで,均質なメンバーのみからなるコミュニティを作ることは可能かもしれないが,内部に一切の対立のないコミュニティができあがることは保証されない.仮にコミュニティ内部でうまいったとしても,コミュニティ間の対立は免れない.
極端なことを言うと,同じモノを見たときに同じ感想を抱かないヤツは同類ではない.問題はその「類」ってのが社会的にどういうものかということ.個なのか,仲良しグループなのか,職業集団なのか,民族なのか,国民なのか,人類一般なのか,生物一般なのか.
児ポ法がらみのアレコレを見てると頭が痛くなってくる.対象となるようなモノを持ってるとか,そういうことじゃなくて,議論の拙さが.世の中では,同じモノを見たときの「感想」ってものは必ず同じ,ということにでもなってるんだろか.
2009-06-24
2009-06-23
2009-06-20
2009-06-18
2009-06-13
2009-06-12
2009-06-11
2009-06-07
2009-06-04
今日から学園祭的な何か.というか学園祭.基本的には,入学したてでテンションが高いだけがうりの 1 年生とナンパ系サークルがたむろするキャンパス北側と,留学生が家族や近隣のエスニック料理屋まで巻き込んで勝負をしかけてくる南側の区画の 2 つに分離しているというのが概要.当然,経験者 (院生) は 13 条より北側には行かない.とりあえず,チリのスペアリブが美味かったのと,胡麻団子売ってた中国の留学生がかわいかったのと,そんな感じで.
2009-06-01
2009-05-30
気まぐれに「戦闘妖精・雪風 <改>」と「グッドラック 戦闘妖精・雪風」を読み直してみたわけだが,このなかでの生命体という概念が,2009-03-13T13:03以降でグダグダと書いてきた「生物」の定義の話とほとんど一致してたという話.特に,グッドラック― の VI-2,零と桂木小尉の会話での「鐘」の喩えとか.もっとも,この小説を初めて読んだのは遥か昔なので,無意識的に感化されていただけじゃないかという説もある.
2009-05-29
進化が進歩を意味するわけではない,という概念は大前提としているつもりだったが,「つもり」でしかなかった.たとえば,大局的な最適化はないだろうけど局所最適化くらいはあるかもしれない,と考えていた節がある.海棲爬虫類の研究なんてものに手をつけてしまったことが,その理解を阻む最大の原因だったような気もする.迂闊にも,イルカやサメなどの体型は抵抗が最小である形状に収斂している,という事態を「進歩」として受け入れてしまっていたわけである.あるいは「局所」最適という言葉で繕ってしまったことこそが問題とも思える.
2009-05-28
2009-05-27
2009-05-26
2009-05-25
2009-05-24
2009-05-21
2009-05-20
学内ソフトボール大会の開催に感化され,研究室内で野球チームを結成.ひとまずド素人なのでカタチから入っておこうということで外野用のグローブを購入.小学校以来.商品タグに「プロ野球**選手モデル」とか書いてあったけど,こないだの WBC やら日本シリーズくらいしか見ることもないミーハーなので,さっぱり誰の事やら.
2009-05-19
2009-05-18
2009-05-17
2009-05-15
2009-05-12
2009-05-11
2009-05-05
機能形態学 (笑) 的に「**する能力があった!」てな発想をするってどうなのよ?という点に関して言えば,そういう行動を裏付ける生痕化石が見つかるんでもなければ主張するだけナンセンスだよなぁ,ということ.あるいは逆に「**が無ければ生きることすらままならない」てな制約を,やっぱり体化石として見つかりうることを前提としないと意味がない.もちろん,発見される確率は途方もなく低かったりするわけだが,反証可能性の問題として.
2009-05-05T02:48 の補足.単純に強度って言ってしまうのは不適切かなー.羽ばたき運動というか翼の姿勢を維持するのに必要な力に耐えるような構造が必要なわけで,つまり「骨折しやすさ」とか「脱臼しやすさ」とか「肉離れしやすさ」なんてものを定量化しないといけないような気がする.難問かもー.
個人的には「(羽軸に関し非対称な) 初列風切はあるけど羽ばたかないよ.何故って胸部の骨格が貧弱だからね!」という考えの方が解せない.もちろん,初列風切の機能なんてものを適応主義的に解釈して反論するんではなくて,「胸部の骨格が貧弱」ってところへの違和感.確かに Archaeopteryx なんかは現生鳥類に比べりゃ随分と自由度が高くて無駄が多いような気はするのだが,あのサイズの生物が羽ばたくために最低限必要な強度っていかほどのものかね?という意味で.2009-02-12T09:15 の前後の発言はその辺が動機だったりする.
2009-05-04
2009-05-03
常々人やら生物の定義の話にこだわるのは,何も大学で古生物の勉強を始めたからではなくて,実は中学受験のときの演習問題で読んだ断片的な「論説文」が影響していたりする.そんなわけで出典もなければ自分の解釈まみれの記憶なのだが,いわく,アフリカと日本の同年代の子供に動物の絵を描かせると,前者は割と写実的な絵を描くのに対し,後者はデフォルメされて,場合によっては擬人化されたものが描かれる,という話.
2009-05-02
2009-05-01
ある種の枠組みに当てはまる立場を「科学」と呼び,それに当てはまらない何かが「科学」を詐称する立場を「ニセ科学」と呼び,その詐欺行為を非難する立場を「ニセ科学批判」と呼ぶ,というところまでは分かった.問題は「科学」ってものが何かという点に若干の曖昧さが残るという点.というか,それを曖昧と呼ぶのこと自体どうなのよ?という話.つまり,「科学」ってのは「『科学以外の何か』以外」としてしか表現できないんじゃないかという主張.「差違のシステム」というか「制約プログラミング的に記述される何か」とでもいうか,そういう感覚で「科学」とか「自然」などという概念を捉えている人間にとって,「科学とは**だ」という型の定義を行うことは,論理的でない (つまり科学的ではない) 行為に見えることとなる.
2009-04-30
2009-04-29
「チューリングテスト」という考え方と「中国人の部屋」という考え方の間の齟齬みたいな.個人的にはタイプ (= クラス) を対象とすると前者,トークンを対象とすると後者,という解釈.If it walks like a duck and quacks like a duck, it must be a duck
は,あくまでも (クラス・ベースの) オブジェクト指向における発想.
一時期やたらと固執したインターフェイス指向 (というかオブジェクト指向)や型理論の話ってのも無縁ではないし,Haskell に触れてモナドって何よ,って悩んだことも,内部存在論的でもいいじゃないかという方向に向かう要因になった.同時に,圏論の話も機能主義的なところとの関連があるし,当然それは修論で機能形態学 (笑) をやったことに関係がある.あとたぶんもうひとつ,「『こうなりたくない』ではなく『こうなりたい』と思え」的ライフハックが嫌いだといつぞや語ったことも,制約プログラミング的な意味でそれほど悪くないと思っていたりする.
個人的に Uexkull の話に傾倒するようになった下地として,学部時代の教養科目として言語学関連の講義ばっかりとって Saussure の記号論的な何かとか,神尾昭雄の「情報のなわばり理論」なんかを吸収した,というのがある.もちろん,古生物系の人間として Gould の著作の影響もでかい.
2009-04-29T01:30の続き.私が環世界論に引きつけられる理由は,これが神秘主義から陰謀論,果ては虹裏世界まで,あるいは生物と非生物の関係や,科学的な態度を選ぶべき理由まで,うまいこと表現できる気がするというのがある.ま,ご都合主義の無敵理論であり,そういう意味では非科学的なんだが.
J.v. Uexkull の環世界論は,主観を重視した構成主義的なもので,つまり内部存在論的だという点は間違いないのだが,アレが生気論だとか目的論につながるという理屈がどうしても理解できない.というか,「主観的で何が悪い,目的論的で何が悪い」という開き直りと捉えるのは早計だと考えている.ポイントは生物学者としての Uexkull せんせーの態度は機能主義以外の何者でもない,というところ.つまり何を知覚しているかを反応 (作用) を見て考える,という態度.で,そこから先は,自分には内的な世界があるから他者にも内的な世界があるんだろうけど,でも見えるのは出入力だけだし,たぶん他人からは自分の内的なものなんか見えないだろうし…ってことは,出入力の対応関係のの可塑性を指して生気とか心理とか知性とか目的とかって呼んでるだけじゃねーの?という推論をしたんじゃないか,というのが個人的な解釈.そういう意味では,いつぞや語った機能主義的な心理学は成り立つ.そこからさらに,ヒトを生物の中で特別なモノと位置付けるのはやめろ,とか,知性を特別視するのはやめろ,という教訓が得られるわけで,チューリングテストやら中国人の部屋なんかの発想と極めて親和性が高い.あと,この考え方は明らかに多元主義なんだが,それは決して合意されないということでもなければ,合意したモノとしての神秘的な精神世界を必要とするわけでもなく,それこそが物質的な世界としての環境 (Umgebung) なんでないのかね?というのも非常に大きなポイント.たぶん,ここんところを指摘したのが U(ry せんせーの素晴らしいところ.要するに "構成主義 + 機能主義" は唯物論的な科学観にそれほど反しないんじゃないの?というのが結論.とんでもなく雑な考察なんで,真に受けないよーに.
2009-04-28
ニセ科学自体は論理的な破綻や精度の低い主張なのだが,科学批判やニセ科学批判偶数組は,言語の違いによるコミュニケーション不全を指摘している場合を含むような気がする.英語で喋るな,日本語で言え,みたいな.
同じ概念を別の言葉で呼んでることもあるし,別の概念を同じ言葉で呼んでることもある.科学ってのはその辺でミスを犯さないように,言葉の正しい使い方ってのを決めている.問題は,その使い方を知らない人にとっては,その使い方の正当性ってのが分からないということ.端的に言えば,そう決めたんだからそれに従う,というだけ.つまり,科学を心得ている人が (そうでないように見える人に対して) 説明しなければならないことは,単に自身の「言い換えの規則」や「文脈」を説明することではなくて,自身の言葉と相手の言葉の対応関係を探り,それを明示することだったりする.例えば「それは科学じゃない」と言い張ることではなくて「我々が科学と呼んでいるモノは,あなたが**と表現している概念のことではありませんか?」という具合の翻訳を模索する必要があるということ.そうでなければ絶対に合意は得られない.もちろんこれは,対応関係があれば,の話.それぞれの論理にしたがう矛盾探しはそれからでも遅くない.
そういう意味で「ドラえもん計画」ってのは「幻視でないことを形式的に確かめたい」という素朴な欲求だったりもする.そんなもの他人との会話で済ませりゃいいじゃん,その方がはるかに早いよ,てな説もあるが.
2009-04-28T00:39 の補足.生物と非生物の識別について,全く個人的で素朴な観点からは区別できないと言うだけで,他人と合意できれば分ける (たぶん,落としどころは「細胞」).「区別できない」と言った真意は,擬人化とか幽霊とかアニミズムとか陰謀論とか,そういった方面の概念との繋がり.
2009-04-28T00:14 の続き.そういう意味では「『明らかにできた対象』を『自然』と呼び,『何かを明らかにすること』を科学と呼ぶ」の方がしっくりくるのだが,これでもまだ気持ち悪いし,他者にも受け入れられるとは到底思えない.より適切に表現しようとするなら,「『自分の考えのうち,他者と明確な合意を得られたもの』を『自然』と呼び,『他者と明確な合意を得ること』を科学と呼ぶ」といったところ.もちろんこれでも不足があると思う.だいたい,こう書くだけでは宗教でもニセ科学でも何でもアリのように読めてしまう.ただ,さんざん繰り返しているように,私には環世界以外の何かが見えているとは全く思っていないので,「他者から合意を得る」というのは「環世界内の対象に何かを入力した際に予想通りの出力が得られる」というコトとしてに捉えている.同時に,個人的には生物と非生物を区別する気がないので,というか生物と非生物の分類は自分の環世界の中で行われる極めて恣意的な分類だと思っているので (2009-03-13T13:13; 13:26),対象が非ヒトならば非言語的な対話が成功すること,すなわち高精度の観測が行われること,特に対象がヒトならば言語による対話が成立すること (展示と解説 @ 某糾弾するサイト),というように考えている.
例のエントリの最後に問われたような気もする自然科学とは、自然(現象)の法則性を明らかにする学問だ
という表現について.もはや文脈なんてモノは散在してしまっている状況で,ココで迂闊に何かを書いてしまうことはブーメラン以外の何者でもないのだが,この表現が気に入らない理由は,発言者が「真理」のようなものを意図したかどうかではなく,聞き手である私が,まるで小学校低学年の算数の問題のようにあらかじめ正答が与えられているかのような印象を受ける,という極めて個人的な言語感覚によるもの.あくまでも日本語の問題.そんなわけで,そんなコトは意図してないし論理的にも必要ない,ということが形式的な言い換え (あるいは文脈) によって示されれば (というか,それに気づけば) ,あぁそうですか,という生返事をするしかない.でも,この言語感覚がなかなか覆らないんだよなぁ…
2009-04-27
2009-04-26
「測れるものの全て」は外在的な存在なのだろうが,「他者と合意したもの」は内在的になる.いや,もはやその域に達すると内とか外とかって概念自体が危ういのだが.一般には前者を自然と呼ぶのだが,Uexkull 信者の私にとっては後者.
だいたい整理できてきた.多分あのエントリでの肝は,それぞれが公準をどう設定しているか知らないけど (= それぞれの哲学なんて知ったことではないけど) それって結局は同じ公理系をつくるよねという確認をしましょうということと,それを説明する言葉は文脈 (= その場の空気) を読んで選びましょう,ということ.それだけ.そこに空気を読まない人が乱入するとああなる.問題は,空気を読まない人が「それはおかしい」という場合には,その人の個人的な公理系に矛盾がある場合と,単純に言葉の対応関係がおかしい場合があるということ.私自身は後者だと思っていて (それについては下に書いたとおり未証明),実際あの命題を文脈を全て読んで解釈すれば (= 形式的に解けば) 間違ってはいませんね,というのが一連のコメント.問題は「近似」という単語については計測屋さんの流儀に従った,あるいは数学屋さんの流儀に従った定義があるにもかかわらずそれを無視してしまったこと (むしろ俺が駄目ポストモダニスト).あとは「自然」という単語に対応する概念の,こっちとあっちの対応関係がわからないというのが引っかかっているところ.なんとなく,対応する概念が無いような気もする.それって,公理系の不一致かもー,俺オカルトかもー,って不安があるので,片っ端から確かめさせてもらえませんかー,とか思ったりもしたが,相手も暇じゃないし,あそこにはあそこの公理系でしか喋ってはいけないというルールが敷かれているので,私の公準からの演繹はまずい,っつーか他所様のテリトリーで何を始める気だよってことで,個人的に終了.関係各位には陳謝.長い.
既にある「自然」という概念は,たぶん妥当.だから自然科学という分野があるし,そこではその通りの意味で「自然」という言葉を使わなければならない.問題は,自分がその単語を口に出すためにはある程度納得できていなければならないことで,それゆえ使い方がよくわからない単語を他人が難なく使っていると,何を言っているのかさっぱりわからなくなること.そういう意味で,「自然」という言葉に疑問を呈しているのは,別に既に使われている定義を忘却したいのではなく,それが何なのかをハッキリさせておきたい,というだけだったりする.それを「素朴にわかるでしょ」と言われてしまうと,あぁそうですかとしか答えられなくなってしまう.もちろん相手だって暇じゃないので,そう答えたくもなる.
2009-04-25
環世界の存在とか言語の恣意性とか,あるいはシステム内部からは出入力が見えないとかって話をあの場で演繹的に示せばいいんだけなんだが,一口で言えばめんどい.超めんどい.いや,それじゃ対話が成り立たないのは知ってるが.
一応 Natural History Science を専攻しているというコトになっているのだが,Natural History ってのがナニモノなのかをちゃんとわかってるとは言えないことは正直に告白しなければなるまい.
備忘:2009-04-24T10:26がらみのアレコレは「oanus-bookmark/比喩」で.いかに限られた語彙を駆使することで異なる (かもしれない) 概念を伝えるか,あるいは,いかにして誤解が生じるか,という意味で.
2009-04-24
K 村さんが例のダーウィン本で科学ジャーナリスト賞2009の大賞を受賞したらしい.個人的にアレはとてもいい本だと思うので,理由はどうあれ (リンク先変更: 2009-04-24T22:43),アレとかアレ以外かがたくさん売れるようになることはとてもいいことだと思う.いや,いつぞやの本が売れる売れないという文脈で考えた上で,ですよ.とりあえず,おめでとうございます.
某所で生じた…というか元々あった熱源に油を注いでしまった件について.ひっかかったのは,統計学で言うところの fitting と model selection をまとめたものを「近似」と呼ぶコト自体は ok なの?ということと,「真理」とか「自然」という文字列で指したものは J.v. Uexkull の言う環境 (Umgebung) と環世界 (Umwelt) のどっち?ということの 2 点.まとめたものを「近似」として環境を「自然」と呼ぶなら「自然科学は自然を近似する」でも間違ってはいないと思うのだが,この話を目撃するまでは fitting が近似で umwelt が自然だと思っていたので,むしろ発端の記事の方が違和感が無かったという話.まぁ,両者の話を聞いた今となってはどっちでもいいんだけど.
2009-04-23
2009-04-22
2009-04-20
2009-04-19
某画像解析プロジェクトがらみで論文を物色.当初は単純作業のお手伝い的な意味合いでの提案だとばっかり思っていたのが,実はあのツンデレ指導教官ってば,ガチでこの仕事狙ってたんじゃないかって気がしてきた.KOEEEEEE!
2009-04-18
どっかの誰かさん (笑) が同時多発的にメディアリテラシーの話を書いてた.おそろしいおそろしい.なんつーかね,発信者は発信者が伝えたい情報しか伝えないし,受信者は受信者が信じたい情報しか受け入れないわけですよ.そんなもん受信者の積極性やら発信者の良心なんつーもので解決するわけがない.事実だけを公平に伝えてくれれば受信者が偏り無く思考する
とか夢物語もいいところ.もはやキチガイの域.必要なのは,自分の偏りとか相手の偏りってやつを意識する機能だったり,あるいはそういうのもひっくるめた思想云々を柔軟に更新するための,再帰的な論理 (メタ論理 ?) だったり,という感じ.それって要するにこないだ書いた情報幾何がらみのアレコレとなんだけど.
2009-04-17
その昔は mixi ニュースとそれに対するユーザのレスポンスにコメントするなんてこともしていたものだが,ニュースソースが増えた (りユーザが増えたりした) 結果,S/N がどうしようもなく悪くなったので,ニュース自体を見えなくしてしまった.つまり,ニュースを自分で探しに行かなければならない.どうやらサンプルサイズの増加率に対し,シグナルの増加率はそれほど高くないらしい.それでもシグナルを増やすためにはサンプルサイズを増やさなくてはならないわけで,なんとも効率が悪い.何もこんな話ははじめてではなくて,その昔テレビを見るのをやめたのと同じ経過のような気がする.今はソースを選んで RSS 集めている方式なわけだが,これもいずれ破綻するんじゃないかと思ったりする.
Adobe Illustrator CS3 は 1024x768 以上のディスプレイ解像度を要求しており,ideapad s9e (1024x600) のようなマシンでは,インストールが強制的に終了してしまう.実際,インストールができてしまった状態でウィンドウのサイズをそれ以下にできるんだから,そんなわけわかんない仕様にすんなよ,って気もするが,逆に言えば,インストールのときだけ騙してやればインストールできるいうこと.で,探してみると「Illustrator CS4を無理矢理インストール - HP Mini 1000」のようにソフトウェアのレベルで解決する方法が編み出されていたりするのだが,インストールの時だけ高解像度のディスプレイを接続してやるというハードウェアレベルでの解決策もあったりする.とりあえず,内蔵ではなく外付けの方のシングルディスプレイとして解像度を 1024x768 以上にしてやれば,何の問題もなくインストールできる.また,その後,内蔵ディスプレイのみとして解像度を要求より下げてやっても,全く問題なく動作する.
lenovo ideapad s9e を購入.w2k pro から vista x64 biz に移行していた人間にとって xp home sp3 は耐え難く不安な os だったりする.で,早速問題になったのが,samba (on FreeBSD) への接続.CIFS で NTLMv2 認証だけ受け入れる設定にしていたのだが,xp home はデフォルトでは NTLMv2 が使えない上に,GUI での設定ができないため,regedit でレジストリを直接弄る必要がある.HKEY_LOCAL_MACHINE \SYSTEM\CurrentControlSet\Control\LSA の LMCompatibilityLevel を 3 にすると解決.つーか,これに気づくまでに何時間かかったやら.
2009-04-15
2009-04-14
例のサイトのアレコレを更新して改めて思ったのは,自分は生物云々に興味はあるものの,決して生きてる生物を追いかけ回すのが好きなわけではなくて,死体を眺めるのが好きなだけなんだなー,ということ.いや,ネクロフィリアでもないし,グロ画像コレクターってわけでもないし,人が死ぬところに立ち会ったこともないので大したことは言えないんだけど.とりあえず,生きてるものが死にゆくプロセスは生理的に受け付けないものの,それを除いてしまえば,生きてるものと生きてないものを区別することに意義を感じていないし,そういう意味で,生きてるヤツは面倒くさいから黙ってるヤツだけ眺めている方が気楽だし,それで分かることがあるならそれでいいや,とか思っているとでもいうか.これも,八百万の神がいて二次元の世界が間口を広げてるこの国に生まれ育ったせいなんじゃないかなぁ,とか.いや,阿呆くさい話なんだが.
2009-04-13
蔵本由紀の「非線形科学」を読む.買ったのは随分前だったような気もする.まずは,線形 (非線形),平衡 (非平衡),定常 (周期,カオス),安定 (不安定),閉鎖系 (開放系),散逸系 (保存系) とかその辺の概念を整理するので手一杯.という感じで,この本を読み終えた人ならわかるように,まだ読み終えていない.とりあえず,動的平衡とかいうわけわからん概念を勝手に導入するな,と言いたいところだが,そのためには F 氏の本も読まなくてはならんよーな.
2009-04-12
日本の大学で恐竜の研究ができない理由は,研究したい人数に対し日本産の恐竜の化石が少なすぎるからってことになっているのだが,範囲を世界に広げれば標本は足りてることになってるんだろか,という疑問.
2009-04-11
自転車のパーツを買いに出たついでに某書店で立ち読み.基本的には Y 本 Y 隆せんせーの本の立ち読み.お金が貯まったら買う.昨日の今日ということもあって恐竜本の本棚を眺めるものの…やっぱり M 口さんのフライドチキン本以外に初心者に勧められる本は無いなぁ.
2009-04-10
2009-04-08
基本的に,外のサイトへの言及は「某掲示板定点観測所だより」をのぞいてはてブということにしてるんだが,話のきっかけということで.で,「科学の発展のために天才のクローンを作ろう」という意見に内心は賛成の大学院生ってどれぐらいいるの?
という壮大な釣りであって欲しいネタ.コレ見て,随分前から同僚と議論してる「ドラえもん理論」を思い出した.事の起こりは「有孔虫同定すんのマジ面倒なんですけど→自動有孔虫分類装置作る方がいいんじゃね?」という発言だったりする.つまり,ドラえもん並に優秀な分類装置を作るにはどんなハードとソフトが要求されるかを大真面目に考えてみようという話.あるいは,あれほど良くできた装置があったら分類屋大絶滅ってことにゃなりませんかという話.いや,ドラえもんである必要は無いんだけど.そこから派生するのが,分類屋の教育は,分類屋としての自分をコピーすることなのか,自分のためのクロスチェッカーをつくることなのか,という教育論だったり,あるいは2009-03-13T13:03あたりの生物の定義だったり.そういう意味で,(工学ではなく) 科学に本当に必要なのは,ヒトと同じように分類してくれる機械ではなくて,それとは無関係に分けてくれる機械なんじゃねーの?と思っていて,クロスチェックって意味では絶対に生身の分類屋は絶滅するこたぁないね,という話.それが長らくクラスタリングにこだわってる真意だったりする.また長い.
2009-04-07
古生物を復元することの妥当性について.以前,2008-10-23T01:15 に書いたような欠損値に関するネタをゼミで紹介した際,教官陣からは「無いモノは探せ」というありがたいお言葉を頂戴したことがあった.もちろんこれは全面的に受け入れているし,これを否定したら人として終わってる気がする.問題はそれと一緒に出てきた「無いものを作っても仕方ない」という言葉.端的に言えば,何が無いのかをハッキリさせてなければマズイだろう,あるいは,見つけたモノが何らかの仮説を裏付けるか否定するか,そこんとこを意識しないとマズイだろう,という異論があったりする (もっとも,当時はそう言い返せなかった).で,結局なにが言いたいかってーと,古生物の復元というのは,いかにもダメダメな外延に見えてしまうわけだが,それには二つの理由があるだろうということ.一つは,当てはめられるモデルが適切に定義された上で,たとえば力学ならその方程式が正しく解かれなければならないという点,もう一つは,その計算から「どんなカタチをしていたか」という欠損値をある程度制約できるはずなのに,その計算をしていないがために検証作業自体を定義できていないということ.この辺がクリアできればただの外挿ではなく真っ当な復元,より正確にはそのプロセスとして認めてもらえるんじゃないかという妄想.もっとも,この方法で得られるのは「どう動き得たか」というタイプの話であって,「どう動いたか」というトークンの話ではない.後者を要求するのは端から非科学なんじゃねーの?とかなんとか.なげー.
例のアレ.何を以て目的を達したかと定義しておかないとロクな方向に進まないのは間違いない.というか,ターゲットが例の展示に関わった人なのか,それ以外の一般人なのか,そこんとこが分かりにくいという気がしないでもない.それが同居してるのも一つの問題.展示の改善案なのか,展示を見るための副読本なのか,という違い.前者の考え方を強行するなら当事者だけでやれって話なのだが,現に展示がある以上,後者の方にも手をつけた方がよさげという話.かといって,後者の考え方では「役に立ちますように」という七夕祭り的な何かにしかならない,というのもビミョーなところ.問題は,何も知らない一般人は,コッチ側の主張とアッチ側の主張のどっちが正しいかの判断ができるか,という点.それはもう,これまでさんざん書いてきたことでもあったりする.
2009-04-05
NORAD 的には存在していない「金日成将軍の歌」と「金正日将軍の歌」を垂れ流すアレ.陰謀論垂れ流すのもどうかと思うけど,ミサ,ロケット的なふるまいはするけど,実を伴わないブラフ的な何かなんじゃねーのかな,っていう.彼岸の国がそういう技術を持ってるかどうかは知らないけど,とりあえず持ってるよって言っておけば外交カードとしては機能するし,おかげさまで日本はミサイル防衛手段のあれこれを晒す羽目になって,余計なコストを支払ったわけだし.相手をムダに消耗させるためには (テロ) やるやる詐欺でもやって,テロ怖いよテロとか言わせりゃ大成功だし.まー,そんなことはあっちこっちで言われてる分かりきった話だから,今更ここで書くこともないんだが,結局言いたいのは,大した物的証拠があるでもなく意思決定しなきゃならないってのは不毛だよなぁ,ということ.
某所からの忠告があったりなかったりで,どんだけ細かく更新してんだよって話.公開する前にその内容を死ぬほど確認しないとマズイんでない?というのはごもっとも.どう考えても炎上する典型例です,本当にどう(ry
2009-04-05T04:20 の続き.2008-04-04T21:45 に書いてるように,実は科学には科学なりの,彼岸には彼岸なりの論理がある.これは世の中に日本語とか英語とかコイサン語族のアレコレとかってのが存在するようなもの.で,ヒトの体ってのが大体同じで,外界の刺激がどんな物理化学過程で受容されるかってのも同じことを考えると,どの論理を使うかってのは接続方法の違いなんじゃないかって気がする.大元の論理をあまり変えずに使う言語だけ変えるってことが可能ってことは,たぶんそういう論理の層と各言語との距離ってのは大体同じで,どの局所解を拾うかって違いなんではないかと想像.そういう意味では,根本的に論理が違ったり,支離滅裂な言語感覚だったりする彼岸の人々ってのは,「(脳内の) 空間が歪んでる」って言ってしまってもいいのかもしれない.いや,いろいろ問題のある推論なのは知ってるけど.
2009-04-04T04:21 について.我ながら支離滅裂なことを書いているが,結局 2007-11-18T04:40 に言ってることと変わりはない.知識を書くより知恵を書くほうが楽だ,という話.というか,進化自体は抽象的な概念であって,具体的なものをいくら挙げたって説明にはならんよなぁ,ということ.もちろん具体的な事例 (つまり知識) なくして妥当な抽象概念を選ぶことはできないのだけど,具体例を挙げること (induction) と,抽象概念をくみたてること (deduction) と,具体例と抽象概念をどう摺り合わせること (abduction) ってのは全く別なんで,アレで長々と書くのはめんどいということ.ついでに書いておくと,具体例と抽象概念のすりあわせってのは,情報幾何の発想を流用したもの.だから科学には統計が必要.
2009-04-04
2009-04-02
2009-04-01
科学なんて結局定義の積み重ねなのだが,ニセ科学の人というのはそれを逆手に「そう定義したからじゃん,俺の定義だとこうなるよ」てな話に誘導してくる.結局,科学の側の妥当性を示すということは,ニセ科学側の定義から矛盾を導くことなんじゃないかぁ,とか,あるいはニセ科学の側が自分は正しいと思っている根拠って無矛盾性に関する誤解なんじゃないかなぁ,とか思ったり.要するに,ゲーデルのアレが効いてくる世界.
2009-03-31
有限の人材と有限の保管場所,という観点では,化石の採集と保管に商取引が絡むことは避けられない,というよりは避けるべきではない,と考えるべきかもしれない.学術的価値のない化石は確かに存在するので,その意味で化石を非学術的な意味でのみ愉しむというスタイルも存在してしまう.問題は,そのような立場で化石を蒐集する場合,元々学術的価値がある化石を私物化するために,産地情報などが失われたなどと虚言を吐くことが可能だということだったりする.つまり,非研究者の倫理の問題であり,非研究者に化石を学術的価値を保持したまま愉しむ方法を普及する必要があるものと考えられる.
で,怒りにまかせて諸々更新中…つーか力尽きた.ねみぃ.その後,各所を検索して回った結果,だいたいどの辺のものを流用したか,そして誰が書いたかも,だいたい見当がついた感じ.外堀埋めてから問い詰めるつもり.もっとも,博物館の担当者が GO サインを出してるあたり救いがたいわけだが.
同僚とともに北海道大学総合博物館の古生物学関連展示を糾弾するサイトを立ち上げた.批判対象を明確にすべく展示解説パネルを書き起こしてみたわけだが,筆舌に尽くしがたいほど酷い.先日も書いた通り,この展示に関して当方の研究室は決して無縁ではなく,このような文章が公開されたことは恥辱以外のなにものでもない.そのようなわけで,第三者から指摘されるよりも前に自浄すべきだと考えて,サイト公開に踏み切った.繰り返すが,我々はこの内容の妥当さを全力で否定する.
2009-03-29
以前にも何度か引っかかった機能と形態は相関しない
という発言について.重要なのは,機能形態学的研究と称されるものが扱っているのは「どのような動きが可能であるか」という問題であって「どのような動きをしたか」という問題では無い点だったりする.この 2 つを繋ぐには動き方が一意であることを示すより他はないが,まずうまくはいかない.そこで,新たな制約条件として「生物はなるべく死なないような動きをした」という仮定を設ける.たとえば,脚の動き方を考えるとき,そうすることで前に進まないような動き方 (軌道) は棄却するわけである.ここが,純粋な機能形態屋と生物系の機能形態屋の分岐点である.もっとも,この程度で動かし方の一意性など示せるわけがない.そこで,さらに「生物はもっとも効率のよい (機能的な) 方法を採用した」という新たな強い制約条件を導入してしまうのが,適応主義という名の悪しき意味での最節約主義だったりする.この末路については S.J. Gould せんせーが色々と語ってくれているので省略.
2009-03-29T02:09 の補足.高次タクサはプロトタイプベースで作る必要があるのに対し,力学的モデルにプロトタイプは必要ない.ゆえに機能形態系古生物学者は生物屋らしからぬ素振りを見せる.
モデル選択という観点から古生物屋がすべき作業を漠然と三題:(1) 細長くて原始的なものから紡錘形の進化的なものへのモデルしかないのであれば細長いモノは当然原始的なのであって,紡錘形で原始的なモノから細長くて進化的なものへのモデルが存在しない限り,前者のモデルとそれへの当てはめへの妥当性は一切保証されない.(2) 板のある何かに対応するためには,例えば事前に武器モデルと性的ディスプレイモデルなど用意しておかなければならない.もちろん性的ディスプレイモデルというものが適切に定義できればの話である.このとき,武器モデルへの当てはまりが悪いことは,性的ディスプレイモデルへの当てはまりの良さを全く保証しない.(3) 翼のある何かが出たと言うのならば,それは翼であってパラシュートではない.トートロジーである.より正しくは,パラシュートモデルと翼モデルをあらかじめ用意しておき,新たに出てきたよく分からないものをどっちかに分類するべきである.当然,パラシュートと翼の力学的な違いは事前に十分吟味されていなければならず,しかも当てはまりの良さなどを比較する方法が明示されていなければならない.
そんなこんなで機能形態屋はカタチを見ない
の解題.繰り返しに近いが,機能形態屋には力学モデルを作る作業とモデルに当てはめる作業が課せられる.前者では,確かに実物をみる必要はこれっぽっちもない.たぶん,例の発言はこの辺を指しているんだと思う.ただ,世の中には意外なモノが存在すること,すなわち既存のモデルには上手く当てはまらないモノが存在し,新たなモデルを生み出す必要があることを知るためには,見るべきだったりする.あるいは,既存のモデルを号税して生み出される無限のモデルを全て試すというのはどう考えても不可能なので,有効なモデルを発見するための手がかりとして,見て探す必要はあると思う.
まだ自分の中でもまとまっていないので,書き殴りとして.「機能形態学的に復元」という言い回しは,素人目には古生物学という未開の学問領域に物理学の知見を取り入れた革新的手法であるかのように受け入れられるが,実際は「ごく素朴な分類」に過ぎない.より正確に言えば,機能形態学的な復元というのは,力学モデル (= 型) を作る作業と,化石をそのカタチに基づいてそのモデルに当てはめる作業に分けられる.そして,前者にはどんなデータにも応じられるように様々なモデルを用意する能力が,後者には与えられたデータに対し妥当なモデルを選ぶ能力が求められる.普通の古生物学では高次タクサという名のモデルへの当てはめ能力が,機能形態学的な古生物学であれば力学モデルへの当てはめ能力が求められる.この違いにより,前者の立場ではクジラは「哺乳類」に分類され,後者では「水中を運動する巨大な物体」となる.そういう意味で,機能形態屋はきっと流線型は物理的に速度を出すのに適しているよね.え?化石もそういう外形しているの?じゃあ,それで良いじゃん
と言うんじゃないか,という認識は実に的を射ていると思う.
自称「機能形態屋」を見た同僚は機能形態屋はかたちを見ない
なんて指摘をしたわけだが,実は言われた時点ではその真意をよく分かっていなかったという告白.機能形態屋一般ではなく,あくまでも個人の意見として書くが,実際カタチなんてものを見てるつもりはコレっぽっちも無かったりする.ちょうど,花粉に対してアレルギーが起こるようなもので,そもそも何を見てるかなんてわからんので,外界にある (はずの) 対象を見わける方法 (= 認知機構) 自体の分析と再構築に徹してる,という感じ.
2009-03-28
いまさら言うことでもないのかもしれないけど,統計モデルへのデータの当てはめとモデル選択って,要するに認知とか分類とかのメカニズムそのものなんじゃないかなぁ,という妄想.統計やってる人には当然すぎる話なんだけど,扱いたい対象ってのは統計モデル云々を抜きにして先験的に数として存在するわけではなくて,あくまでもモデルに当てはめた結果,数として見えるということ.より正確に言えば,数とは限らないんだけど.
2009-03-27
中谷宇吉郎先生の本の隣に水伝の本を平積みした前科持ちの某大学生協書籍部が,K 村さんのダーウィン本の隣に ID 論の本を平積みしてる件.そして,その近所の某大型書店でもドーキンスとかグールドとかの隣に ID.いや,もうね…
2009-03-26
W. Pauli 著,内山龍雄訳の「相対性理論」を購入.その前に J.A. Coleman 著,中村誠太郎訳の「相対性理論の世界」を読んでいたりする.いずれ量子力学とかも勉強しないといけないんだろうなぁ,とか思ったり.動機としては,物とか時間とかって概念を素朴にしか捉えていないのはまずかろう,というあたり.
これは個人的な好みの問題なのだが,「単細胞生物 → 多細胞生物 → カンブリア爆発 → 脊椎動物の上陸 → 恐竜の繁栄 → 哺乳類との交代 → 人類の歴史」という語り口が大嫌いである.大嫌いというか,このような語り口をするヤツは,それが客に媚びた結果そう喋らざるを得ないような状況に追い込まれたということを伺わせない限り,生物というものも地球というものも,そして歴史科学というものも何一つ理解していない只の馬鹿とみなしている.無知というか,視野が狭いというか,思慮が浅いというか,どう罵倒したらよいのかわからないような,そんな気分になる.
2009-03-25
某博物館の化石の展示リニューアルについて.自分自身も関わりかけながら自分の研究の都合上何もしなかったこと,さらに主に携わった人間が自分のごく身近なところの目上の人というのを加味して,全ての発言がブーメランになることを恐れずに言うが,改悪でしかないと思う.骨を見せたかっただけか,でなければ骨以外に関し全く無知であるか,どちらかにしか見えない.客は無知で媚びなければならないという前提があるにせよ,ほどがある.
2009-03-22
今使ってるノート PC を購入した時の日記を読み直してびっくりしたのだが,当時はメインマシンもほぼ同等のスペックだった.といっても,メインもノートも 3, 4 年落ちの中古だけで組んでいたので大したものは無いのだが,その後メインマシンは画像解析用に湯水の如くリソースを使う富豪的構成へと変貌を遂げた都合上,いろいろと不満も増えてきたというわけで.もっとも,一番の問題は単なる性能云々ではなく,メインとノートでイラレのバージョンが違うことだったりもする.
2009-03-21
2009-03-20
2009-03-19
2009-03-19T20:28 の続き.より正確に言えば,分岐年代分析というものは,間違いなく初産出年代というデータを入手した上で解析しているはずなのだが,同時に手に入れることができるはずの最終産出年代というデータと合わせて議論している例を見たことがない.
2009-03-18
2009-03-17T17:50 の補足.最初にブラックボックスあるいは function と名付けながら,その直後に状態機械と混ぜて扱っていることに問題があることは十分承知している.これについては 2008-12-31T05:06 と 2009-01-08T16:36 に書いた通り.状態モデルでもラムダ計算モデルでもかまわないのだけど,そのどちらでもいいことを示したり,あるいはそれに実際の生物の話を当てはめたりという作業をするためには,圏論の言葉を使うといいんじゃないかなぁ,と思っただけ.初学者の安直な妄想.実際,function という文字列にとらわれまくった上で諸概念をつぎはぎしているのは認めざるを得ない事実.
2009-03-17T17:50 とその他諸々への反応について.まぁ,いつも通り分かりにくく書いてごめんなさいって感じなので,ちまちまと補足していくつもり.もっとも,私の席の裏で論文書きながら反応してきた人には,既に特別講義「思索と人生」(午前 4 時より開講) で説明済だったりするが,そこを深く追及してはならない.
2009-03-17
古生物学における機能形態学,つまり生物体の振る舞いを扱う機能形態学に関わる者は,他の機能形態学と違って「還元主義的機械論 vs. 生気論」という実にくだらない,くだらなさすぎて関係者を虐殺したくなるような議論に付き会わされなければならない.21 世紀も 9 年目だというのに「私は機能主義者です」などとわざわざ名乗らなければならないあたり,本当に悲惨としか言いようがない.
機能は何か,形態とは何か,という問いに関するものすごく大雑把な私的定義.適当なブラックボックスとその外界 (環世界ではなく環境) を設定し,このブラックボックスが存在するが故に生じる外界の変化を考える.このとき,外界の始状態と終状態とを結ぶ射 (morphism) を機能 (function) とよぶ.機能は参照透過とは限らず,実はブラックボックスには内部状態があって,外界の状態の変化に伴って内部状態も変化するものとして扱うほうが都合がよい.形態 (morphology) はその内部状態量の一つであり,その射を運動 (motion) とよぶ.心とか自由意志とか生気とかクオリアといった数々は,こういった内部状態量とその射のうち物理量として表現できていなために議論の対象にしえない (つまり使い物にならないゴミみたいな) 諸概念,という認識.目下の疑問は,機能に恒等射を想定してよいか,という点.
2009-03-17T14:46 あるいは 2009-03-16T00:10 あたりに話を戻す.結局,何が起こったか,か,何が起こりえないか,しか語れないということ.起こるはずのことが起こらない,というのは予測不可能性と非決定性ゆえに生じうる事態だが,起こりえないはずのことが起こった,というのは観測か予測の誤りでしかない.
2009-03-17T15:55 の続き.つまり,クラスタリングというのは,ある型の対象をその値に基づき分類する手法のように見えるのだが,その手法で扱う型の定義そのものの妥当性 (整合性) を問う手法だったりもする.
例えば,ランドマーク・ベースの形態解析は,事前にどのランドマークだけを比較するかを定義され,少なくともそのランドマークを全て認識できるような物体のみを扱える,という点が非常に重要だったりする.仮に 10 個のランドマークを比較する手法で,11 個目のランドマークもある物体を扱おうとすると,11 個目のランドマークは無視される.この解析により抽出できた或るクラスタの構成要素が軒並み 11 個目のランドマークを共有していれば,この解析手法の有用性と 11 個目のランドマークの有用性が認められることとなる (といいな).ではそうでない場合はどうなるか.たとえば実数値に基づきクラスタリングをする手法があるとしよう.この方法で複素数扱ったらどうなるか.しかもその手法が,ご丁寧にその虚部を無視して実部だけを扱ってくれるとしたらどうなるか.
たぶん,非決定性と予測不可能性が混ざっているのがマズイ.非決定性の観点からは,結果論にこだわった記述を行うべきだし,予測不可能性の観点からは,制約条件にこだわった記述を行うべき,とかなんとか.ある形質が何かの役に立つか,という話の場合,それによって何かができないという制約を語ることはよくても,何かができるという話にしてしまうと,話が収束しない.
2009-03-16
2009-03-14
マンガとかによく出てくる,やたらと計算高いというか,相手の行動を寸分違わずシミュレーションして主人公を苦しめながらも,主人公の予測不能なまでの頭が悪さとかよく分からない愛とか何とかを前にして「ばかな,僕の計算は間違ってなかったのにっ」と言いながら負けていく悪い意味での天才キャラ.21 世紀にもなって古典的決定論に毒されているという意味では間違いなく痛いキャラなのだが,アレを決定論の誤りとして描いてる例を見たことが無いあたり,単に,勉強が苦手だったり愛に生きたりする読者に媚びているとか,執筆者が何かコンプレクスを抱いているとかそういうことだけではなく,決定論まわりの理屈が根本的に理解されていないというか,(実は存在しない) 仮想敵としての科学万能主義が残っているというか.
2009-03-13
プロトタイプベースのクラスとして定義
というあたりに若干の違和感もあるが,逆に言えば,根がプロトタイプベースゆえ,いくらでも恣意的な定義を生み出せるし,観点が違えばあっさり却下できてしまう.だが,人とか自分をプロトタイプに据えない定義の場合,人とか自分が生物ではなくなってしまうことがある.むしろ,自分をプロトタイプに据えるクラスを人間とか生物などと呼んでるというような感じ.
2009-03-13T13:03 と 2009-03-13T13:07 について.気が狂ったとでも思った?少しだけ緩めて,それぞれ,生物は人間のようなものだ,人間は私のようなものだ,に変換すればいい.何を生物や人間のプロトタイプと思って考えているかという問題.あるいは,生物や人間という概念はプロトタイプベースのクラスとしてしか定義できないんじゃね?という提案.
古生物の対義語は現生生物でいいような気もするが,生物というのは時間面をまたいで存在するので,単に現在と過去とを分ける区分では対応しきれず,過去にも生きていて現在はもういない場合と,現在も生きている場合との 2 つに分けなければならない.実際,絶滅種と現生種という言葉にはそういうニュアンスが含まれているわけで,古生物というよりは絶滅生物って単語を使えばいいような気もする.むしろ分類以外の場に於いて「種」という概念と単語を全力で排除したい場合,どんな単語を使えばいいんだろうかという悩み.
2008-11-14T03:30 の続き.paleontology の対義語が何かといえば paleo- を取っ払った ontology ではなく neontology だろーね,という話.現在の非生物を過去の生物として解釈するという言い回しをしてきたが,実のところ,現在の非生物と生物とを分ける,あるいはヒトとそれ以外とを分けるということが非常に重要.
2009-03-09
2009-03-05
見ての通り,毎度ここの投稿は一段落のみで構成されているわけだが,特に p タグで括ることもなくダラダラと書き込むと勝手にタグを付加してくれるという仕組み.逆に,あえて複数段落の構成にしようと p タグを書くと,冒頭の空文字列に p タグを付けてくれる.実は同じ blogger 上でこっそり別の blog を運用しているのだが,そっちでは勝手な p タグの付加は起こらず,自分で p タグを付けて複数段落構成にできる.p タグの付いていない投稿が一つでもあると,あるいは最初の投稿がそんな感じだと,他の投稿でも同様に世話を焼いてくれるんではなかろうかと想像.
さらに続き (2009-03-04T18:25).「関係」を正規化しろ,話はそれからだ!みたいな感じなのだが,その後の処理は要するに supertree method.とはいえ,対立関係にある (あった?) supermatrix のコトはよくわからんので,これから読む.もっとも,個人的な興味は「樹」を作る方法の形式化より「関係」をつくる方法の形式化だったりするし,「樹」にはあまり固執したくない (とか書くとその筋の人に罵倒されそうな).
2009-03-04
系統解析に用いる「データ行列」とよばれる何かが実のところ「行列」ではなく,あえていえば「関係」だというのは過去にも書いたと思うのだが,そもそもあの解析手法自体,「型」を比較しているのか「値」を比較しているのか,そこんとこがマトモに論じられているのを見たことがない.見たことがないだけだけど.
2009-03-02
yahoo! news のコメント機能にまつわるアレコレ (2009-02-06T09:53).記事に id を振らず,ユーザ名も頭の 3 文字だけしか表示していないせいでリンク可能性が著しく低下しているよーな.
一晩ほど web 情報のみに基づいて心理学って何やってんの?ってことを妄想.個人的にいちばんとっかかりやすかったのは機能主義的な心理学ってやつ.とにかく「心理」とか「意識」とかよくわかんないから,とりあえずそれを「状態」扱いにして,環境や入力に応じてどんな出力があるかを色々試してみよう,ってことらしい.つまり,環境も入力も同じなのに出力が違えばそれは心理の違いによるものだ,という発想.で,そのときの脳の「状態」を fMRI 使って直接見てやろうってのが最近の流行り.この心理を状態として持つ関数的な何か (閉包) ってのは,複数の閉包の合成と見なすことができて,個々の閉包を「心のモジュール」と称するわけだ.このモジュールと脳神経系のサブセットが一対一対応するかは不明ということになっていて (というか,あれだけ複雑で冗長性の高そうなネットワークにおいて,厳密に一対一対応である必要はこれっぽっちもない),そこを勘違いした生気論的何かが蔓延っているらしい.ともかく,一見複雑な心理という状態を持つ何かは,実は離散的な細かいものの合成であって,しかも全てが同時に獲得される必要はなさそうというのが肝.故に,それを形質として系統解析ができるんじゃね?というのが進化心理学 (もちろん,他の系統の生物の心理と比較せずに系統解析とか笑止).そういう意味で,いわゆる "ポップ進化心理学" ってのは極めて創造論的.
2009-03-01
2009-02-27
2009-02-23
www.mer-maid.jp 定点観測所だより:今度は「川村明宏博士の『ジニアス記憶術』」とかいう謎商品の宣伝サイト.http://www.mer-maid.jp/kioku.html から http://www.kioku-jutsu.com/it/ に飛ぶ仕様.
結城浩せんせーの「数学ガール」の話.この第一章でミルカさんが数列クイズに正解なし
と宣言し,その後は何の違和感もなく一般項が与えられ,ひたすら数学の話になる.ここを分岐点に,ひたすら数列が数えられ続けていれば,つまりページが実データで埋め尽くされていくと,数学ではなく科学の話になる.そんな裏数学ガール的な何か.
未観測ゆえに確かめられていない仮説が多数あることと,遙か昔に棄却されたか観測により確かめることが不可能な仮説 (という名の妄想) が多数あることは全く違う.とりあえず,「わからない」には少なくとも 2 種類あることを知っていて,他人が言った「わかりません」がどちらの種類なのかを思案できれば問題ないが,なかなかそうはいかない.分かっている人は前者も後者もまとめて「わかりません」という一言で済ませてしまうし,分かってない人はそれを聞いて都合良く解釈する.
2009-02-21
2009-02-20
エゲレスでもお世話になった某 P.T. せんせーの講演を聴く.要するに,フツーのデジカメでも,レンズと照明次第で全く問題なし.それでも解像度が足りなければ SEM で後方散乱像を撮るよろし.結局そーなりますか.そーですか.
2009-02-19
2009-02-17
2009-02-16
2009-02-15
2009-02-15T03:38 の続き.要するに,テキトーなインターフェイスを決めて,それを外側から見たり操作したりするのがマクロで,その内側にあったり起こったりすることがミクロ.だから microbiology というのは微生物を扱う分野ではなくて,生物 (細胞) の中で起こっている現象を扱う分野だったりする.
2009-02-14
ソース出せ出せとうるさいらしい wikipedia だが,どうも引用が要求されてるのは言った言わないの水掛け論に関する話ばっかりで,用語の定義とかそういう基礎の部分には大してチェックが入っていないような感じ.まぁ,定義とデータがあれば結論を導けてしまう人と,結論を読むしかできない人とでは,そりゃー需要は違いますわな.
2009-02-12
ちょうど所さんのトコで長頸竜の腹肋骨の話が出たついでに長頸竜類の胸骨に関する Nicholls and Russell (1991) を読み直したり,獣脚類の鎖骨に関するNesbitt et al. (2009) を見かけたりっていう流れ.で,2009-02-12T09:15 の話.
2009-02-11
四肢で推力を得るには,上腕骨-鳥口骨または大腿骨-坐骨の系で後ろ向きの力を生じて支えなければならない.で,この 2 組のどっちを使うか (もちろん両方使っても良い).O'Keefe & Carrano (2005) では後者のみを検討しているが,以下略.
オブジェクト指向とか全然ワカンネ―YO! と言い続けて幾年月,ようやく個人的な決着がついた (ような錯覚).あの界隈ではオブジェクト様を崇め奉っては犬にワンと鳴かせて悦に入ってるようだけど,要するに写像とか射とか呼ばれるモノ以外の何者でもないじゃないか,という話.
2009-02-10
2009-02-09
2009-02-08
隣の棟の某先生のダーウィン医学本を立ち読み.なんで立ち読みかって,そりゃ今日は日曜で生協の本屋が閉っているから.正直に言えば「ダーウィン医学」という名前は全然知らず,手に取り表紙をめくるまで警戒していたのは事実.と,安心と信頼の T 先生を引っ張り出しておきながらこう書くと色々と問題がありそうだが,研究してることがことだけに身についてしまった「『ダーウィン』とか『進化』とか安易に付けちゃうような新概念/新名称には条件反射的に警戒してしまう癖」が発現しただけ.内容はフツーに進化生物学.乱暴な要約をすると,医学の話というのは極端なことを言えばヒトにしか通用しない (もちろん実用上それでいい) のだけど,それを汎化してヒトを数多ある系統の一つとして見て考え直したら色々幸せになれるよ,ということ.一点気になったのは,ヒトもただの生物の一系統だから,という話で進めればよさそうなものを,1 万年前の (野生の) 性質を維持したままだから,と導入していたこと (立ち読みしただけなので,後でちゃんと確認しておく).ここだけ,進化心理学と同じ胡散臭さを感じてしまった.ま,この本においてはその後の論理に大して響かないのだが.
2009-02-06
2009-02-01
今日のありがたいライブラリ:misc3d @ CRAN.パラメトリックな三次元のオブジェクト (の二次元への投影) を OpenGL ではなく通常の作図関数を経由して吐き出してくれる.つまり,eps で保存できる.だいたいこんな感じ.修論用にコレの劣化版みたいなヤツ (z バッファだけでゴリ押し.メチャクチャ重い) を作っていたが,04-Jun-2005 には 0.3-1 がリリースされていたらしい.無駄な時間を使ってしまった…
2009-01-31
つい先ほどから google の全検索結果に対し「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。」というコメントが付いた上でアクセス不能に.StopBadware.org が提供する機能らしく,過去にもフィルタリングの設定でミスったことがあるらしい.なんだかなー.
2009-01-30
2008-12-27T15:56 のに関連して,Solomon et al. (2009) を紹介する technobahn.com の記事に対するはてブ (論文に対するはてブもある).いまさら「温暖化」を取り巻く事情を分析するのも野暮だと思うが,ひどい.端的に言って,進化論は創造論との対立であり,科学を採用しない理由として「科学も宗教の一つ」であり「科学的立場を採用しなくてもいい」という妙な教義があると思っている.これに対し,温暖化や環境問題は「科学は政治と同じくらいご都合主義」であり「科学的立場を選んではならない」という困った懐疑論で成り立っているような気がする.
2009-01-27
口頭発表の準備において,時間制限に対し内容を選別するという作業に時間を割かれるのはともかく,根本的に内容が無いとか論理が無いために時間がただ流れてしまうというのは,どうしようもなく救い難い気がする.
ここ数週間,後輩の修論的な何かやら口頭発表の準備を見てわかったこととして,並立の関係って概念のない説明ほど分かりにくいものはない.ちょうど,データを計算機で扱うために適切に正規化し,型を明示するようなもので,逆に言えば,それが出来ていない混沌としたものは解析しようが無い,というような感じ.つまり,データの正規化さえ出来ていれば,多少それ以外の点で発表が拙くとも.議論はゴミカス以下であろうとも,少なくとも適切な解釈を行うことが出来るの賢い聴衆/読者からは「結果は有用だよね」という比較的ポジティブな評価を得ることができる.
同僚から見た Johnson et al. (2009) と,そこから始まる古生物学に関するアレコレ.あえて彼と意見が違うところを挙げるとすれば形態分類は生態や進化と相関しない
という部分で,そこんところは形態分類は生態や進化と相関するかどうかわからないくらいにしておきたい.もう少し控えめに言って相関しなくていいくらい.コレには,同じ古生物系研究室に所属しながら,彼の専門が paleontology/stratigraphy である一方,私の専門が paleobiology だというのが影響しているんでないかと思う.もっとも,この辺はごく単純な言葉遣いの問題かもしれないので,真意は不明であるとしておく.そんなことより,一応名目上同じ研究室に所属しながら必ず相関する
と言いきってしまうような適応主義者らしき人がいるというのが,これまた大いなる謎.
2009-01-26
2009-01-25
2009-01-20
2009-01-19
2009-01-18
2009-01-16
2009-01-12
2009-01-11
2009-01-09
ヒト,というか大雑把に言って左右相称動物の成熟した個体はトーラス体であり,それを一般化して「個体は単一の多様体として認識できる」と予想できるのだが,果たして結び目のある複数のトーラス体からなる生物っているんだろかという疑問.
2009-01-08
たびたび引用している 2008-07-16T13:58 とかその前後の記事.これらから得られる一番重要なコトは「現在生きている生物は,最初の生命システムが誕生して以来 (30 億年くらい前から),一度たりとも死んだことがない」というコト.
「時間を追って内部状態が変化する物の同一性」というか,「内部状態も外部状態も変わるけど同一」であることを保証する方法の一つとして,某純粋関数型言語で用いられるモナドを使っちゃうという発想.より正確には,同一性を関数の参照透過性によって定義し,副作用をモナドで誤魔化すということ.こうすることで,システムの境界が世界全体の境界と一致してしまうというオートポイエシスの話をしているとよく出てくるあの発想に辿り着く.あと,たぶん歴史というのはモナドを使って実現できる処理順序そのもの.
結局のところ,時間概念が問題.つまり時間を追って内部状態が変化する物 (というか,そもそも全く変化しない物など存在しないのだが) の同一性をどう確認するか,あるいはどうやって保証するかというのが問題.そこんとこがフツーの生物屋には決定的に足りていない気がする.それを考慮した種概念を明確に提唱したのが G.G. Simpson をはじめとする古生物屋.悪名高き断続平衡説も,基本的には時間変化するものの同一性を考慮したことが重要だったりする (もちろん,その考察は結構ダメダメ).結局,古生物屋として,しかも旧「層位・古生物学教室」に所属している身としては,時間概念がまるっとすっぽぬけた (Mayr をはじめとする生物学屋の言う) 種概念は全然受け入れられないんだよねぇ,というのがここ数ヶ月あまりの考察の結論 (そのうちちゃんとまとめる).
2009-01-08T13:57 「生物体」というよりは「系譜 (lineage)」の扱い.2008-07-16T13:58 に書いた通り,まず基本的生物体である細胞の分裂と融合に基づくネットワークがあって,コレを適当に切断したものが彼らの言う生物体であり,任意の点から適当に辿ったものが系譜.彼らの言う「物」の定義を理解していないだけかもしれないが,生物体が物であるなら lineage も物でなければならないような気がする.
今日から通常業務.結局,この一週間で読めたのは「生物哲学の基礎」(2008-09-30T15:02) くらい.機能形態学と呼ばれる何かをやってる身として,「機能」とか「適応」などと呼ばれる諸概念を分析し定義しようという試みは非常に有益なのだが,どうも腑に落ちない.たぶん「生物体」の定義が曖昧すぎる.
2009-01-05
2009-01-04
実家に帰れば嫌でも生活リズムを家族に合わせにゃならず,それなりに真っ当な方向へと矯正されるんじゃないかと思っていたが,結局そんなことは無く,いつも通り徹夜で椅子に座って本を読んでっていう.とはいえ,予想ほど積ん読を解消することもできそうもなく,にんともかんとも.