下が古い.上が新しい.間は他所

2010-12-16

いまさらながら GODAC のテングギンザメの動画を見てみた.よくもまぁ,あれだけのものが公開されていたにもかかわらず,今まで探さず見ないで放置していたものだと反省しなくてはいけないのだが,いざ見てみると想像以上に「普通」の魚すぎてがっかりしてしまった.もちろんここでいう「普通」とは,その重要さに気づけず,さりとて理解不能なわけでもない,なんとなく分かった気になってしまっているという極めてよろしくない状況を指す.あれは相当マジメに解析しないとわかる気がしない.

2010-12-09

ただいまの作業を簡潔に表現しますと,例の動物の「原型」を開発している,とでも申しましょうか.

2010-12-04

こう言っちゃなんですが,世のなんとかコミュニケーター諸氏がアレの面白さとか有益さとかそういうことをわかりやすく垂れ流したいというのであれば,アレのつまらなさとか無意味さとか困難さとか,そういうのを伝える係ってのも必要だと思うのです.まぁ「伝わる」とか幻想ですが.

2010-12-03

もちろん,例外を見つけることの凄さに関しては存じておりますので,それはそれとしまして.

まさか生物を CHONP で構成されているものとでも「定義」していたんですか,と.

2010-11-05

本日の FAQ 候補:再現性の無い化石という標本を扱う場合

2010-11-01

サイエンスカフェというやつが,対象は「科学に興味がある (とはいうものの,実際のところ科学とは何かという興味ではなく,科学者による綿密な検討を経た科学的事実という名の仮説に興味がある,口にしないまでも暗に「無知蒙昧な」と付け足される) 一般市民」であるなどと言わず,「科学の素養がある人々」と言い切ってくれたら,穿った見方などしないのだが.

マスメディアは A 層を対象にしているメディアなのだから,その程度の話をしさえすればいいし,C 層と対話できるレベルの話をする必要もないし,A 層を C 層に変えるような「教育的」配慮なんてものをする必要もない(もちろんこれまでの話の通り,A 層はそうそう C 層に変わるようなものではない).問題は,C 層はマスメディアで流れている A 層向けの荒唐無稽な話を訂正するような発言を A 層に向けてするべきか,するべきだというのならば,それはどのように行うのがよいか,という点である.もちろん,C 層はそんなことに時間を割いてないで突っ走っててください,というのもひとつの答えなのだけど,残念ながら「説明責任」という言葉を都合よく解釈して A 層への「還元」が要求されていたりもする.そういう理由で行われているのが,いわゆるサイエンスカフェとかなんとか呼ばれるものなのだけど,自分の経験では,その場に現れるのは非職業科学者とでもいうべき C 層だったり,あるいはそういうところに出入りすることをステータスシンボルとする A ないし B 層だったり,要するにあれは決して A 層向けのものではないと思ってる.そういうわけで,この辺のターゲットに関する勘違いが,いわゆるサイエンスコミュニケーションに (笑) をつけたくなる理由の一つでもある.そういう A 層に向けての活動を大義名分とする人々は,いかに効率的に A 層に呼びかける方法はないものかと探していたりするのだけど,それは結局マスメディアの再発明にしかならないだろうという点は重要だと思う.また,ごく狭い観測範囲では,サイエンスコミュニケーション (笑) の人々というのは,現状のマスメディアを動かす人々が A 層向けに荒唐無稽なことをいう A 層から構成されているとでも思っているのか,C 層によるマスメディアならば荒唐無稽なことを垂れ流すことはないだろうという荒唐無稽な希望的観測に満ちているように見えることがあり,その辺がますます信用ならない.

2010-10-31

「マス」を相手にしようとするから話がおかしくなる.

2010-10-18

某掲示板定点観測所だより:部分的な骨格が鉱物化石化してされに風化などで劣化した標本等からしか情報を得られないから、もっと大雑把にしか分類できないという大昔の生き物ならではの難しさがありますからねえ…そろそろ FAQ 入りですな

2010-10-12

科学 (という言葉を使うことが適切かはさておき) は現実みるものであって夢をみるものじゃないわけで.

2010-09-24

指導・教育するということは,相手の能力を向上させることではなく相手の能力を評価することだと捉えたほうがいいのだろうし,「よりわかりやすい伝え方」を模索するというよりは,より適切に相手を見極めるための試験を模索すると捉えたほうがいいのかもしれない.

教育というのは,変化させることではなくて選別することなんでしょうな.

2010-09-20

ブラックリスト方式で処理することの気持ち悪さとかナンセンスさについては (実に中途半端ながら) 以前にもぼやいてた (2009-10-12T22:45)

水伝でも血液型占いでもホメオパシーでもパワーストーンでも恐竜の絵でも何でもいいんだけど,いわゆる科学的ではない言説というやつは,これらを駆逐することで健全で理想的な社会を構築できるという言説が出てくるという点で,エロ本と同じくらい魅力的だと思う.その「駆逐することで健全で理想的な社会を構築できるという言説」も,相当魅力的な言説だと思う.

2010-09-19

たぶん,ロマン主義とか神秘主義とかいったものがナニモノなのかについての理解が必要.

たとえば,某界隈で「歯や爪が鋭いので捕食者」という表現をみかけたとき,それは解剖学で言うところの「歯」だとか「爪」だとか,幾何学で言うところの「鋭角」だとか,生態学で言うところの「捕食者」だとか,いわゆる科学者 (職業研究者) が使う論理における「ので」だとか,そういうことを想定すること自体が間違っている可能性すらある.

たとえば,ホメオパシーの体系は,疫学 (効く効かないの問題) や物理や化学 (波動とか濃度云々の問題) と矛盾を引き起こすことがある.より正確に言えば,ホメオパシーの体系でいう効くだとか物質の変化といった用語は,そもそも物質科学で用いる用語と表現としては一致していてもそれが指し示す意味が違うので,矛盾どころか,そもそも共通して扱っている対象が存在しない可能性がある.パワーストーンについてもおそらく同様だし,恐竜の絵についてもそういうことだと思う.

2010-09-18

twilog:2010-09-01 で言ったことだけど,同じ石を見ながら,物質科学的な鉱物学という体系を作ることもできれば,あるいはその心理的な効能に基づくパワーストーンの体系を作ることもできる.同様に,化石骨を見ながら,古生物学という体系を作ることもできれば,怪獣の体系を作ることもできる.それぞれの後者は,某同僚が指摘したとおり石を単なる記号表現として扱うだけの体系であり,前者の体系に対して何か致命的な矛盾を生むようなものではない.極端なことを言えば,彼岸の世界でいう Tyrannosaurus rex とこちらの世界で言う Tyrannosaurus rex は別のものを指しているし,どのような名前を使うべきかという問題に関しては 2010-08-08T12:13 に書いた程度の理由付けしかできない.問題があるとすれば,それら 2 つの体系を混同するような状況.

もちろん,生きていくには経済活動が必須なのだが,その上で研究活動を継続しようと考えると,どうしても議論相手だとか後継者といったもの (K 村さんのいう C 層) が欲しくなることがある.そこから,いわゆる教育活動というものによって A 層から C 層を生み出すことはできるのか,より分の悪いアイデアとして, C 層へのアピール (あるいは C 層との対話方法) は A 層へのアピールに流用できるか,などと考えたくなることがある.よりドライに,A 層には都合のいい知識を鵜呑みにさせておけばいいという考え方もあるが,マトモな研究を行うためには研究以外の場で何をしても許されるのかという倫理的な問いが生じることもある (ただ,これはあくまでも倫理の問題である).

経済的な観点から言えば K 村さんのいう A 層 (電通のいう B 層) へのアプローチが最も効率的,というのはかなり確からしいと思う.単純に自分の意見を広めたいのであれば,大声を張り上げてこの層にアピールすればいい.

電通の言うところの B 層への広告戦略というのが実に興味深い.

2010-09-17

「有害情報を無くそう」って運動はどうかと思うんですよ.全く同様に「有用な情報を広めよう」って運動もどうかと思うんですよ.

2010-09-13

自分の場合,少なくとも高校生の頃までは「恐竜の絵」が好きだったのだけど,これを脱したの父親の発言によるところが大きい.ひとつは「恐竜学恐竜学って言ってるけど,お前がやってるのは恐竜学じゃないよね」もうひとつは「なんで恐竜マニアっていつも恐竜のTシャツ着てるの」であった.

もうひとつ,twilog:2010-09-01あたりから某同僚と話していて気がついたのだけど.おそらく「恐竜の絵が好き」から「恐竜が好き」に変化することはない.最初から「恐竜の絵」と「恐竜」は別物でしかない.

たぶん「数少ない古生物学者の多くが元々恐竜好きであった」が都市伝説である可能性を疑ったほうがいい.

根幹の部分でとんでもなく初歩的なミスを犯していたのだけど,古生物学に携わる数少ない研究者は多くはまず最初に恐竜に興味をもったと言われているのだけど,数少ない恐竜に興味がある人間の多くが古生物学を志すわけではない.それだけ.

アレですね,時間をかけるか,お金をかけるか,人生をかけるか,ってやつ.

やはり,領域侵犯が嫌なだけかもしれない.スルー力が足りないだけかもしれない.

2010-09-12

そろそろ「好き」とかいう謎の概念を使うのをやめたらどうだろうか > 俺

たぶん,この辺の問題について管を巻いてるのは,自分が恐竜よりも恐竜の絵が好きだったり,恐竜以外は好きじゃなかったりしたからだと思う(現時点でどうかは知らない).ビジネスとして他人をどうのこうのするというよりは,自分はどう変わって,どう変わりうるか,という実に無益な思考で時間を潰しているだけじゃないかと言う気もする.実に切迫感がない.

備忘:2010-09-12T03:06 に対する K 村さんの解答

(1) いわゆる「恐竜好き」は恐竜が好きなのか恐竜の絵が好きなのか問題,(2) 恐竜の絵が好きな人は恐竜を好きになれるのか問題,(3) 恐竜が好きな人は恐竜以外を好きになれるのか問題.さらに,以上の問いにおける「好き」を「興味をもつ」に変換してもよいか,変換するべきかという問題.

2010-09-03

2010-08-11T00:13 あたりに関する若干の補足.記述できたというのは,あくまでも型に無理矢理当てはめることができただけであり,無駄なく無理なく当てはめることができたというわけではない.ある人が,ほらこの型に当てはまったよとか言ってみたところで,他の人も同様に当てはめることができるわけではないし,その人はもっと当てはまりのよい型を探し始めるかもしれない.そういう型が見つかったら,じゃあやっぱりそっちの方がいいねってことで乗り換えるだけ.これはこれで面白い営み.

2010-09-02

結局,「お前らニセ科学ってレッテル貼ってるけどそれって何よ」という質問は,2010-08-08T12:05 と同じく「あなたの言う『ニセ科学』って何」ではなくて「私の言う『ニセ科学』ではダメな理由って何」という質問に置き換えられるもので,そんな理由は存在しないという辺りの問題ということなんだろうね,という理解.前に言ってた「お前の言う恐竜って何」という問題に関する「理由」が何かといえば,命名規約とか,それを守るべきという研究者間の紳士協定といったところ.それくらい根拠がない.

えぇまぁ,その辺はさっさと論文化しないといけないとは思うんですが > ギンザメ

2010-08-31

本屋でブルーバックスの某深海生物本を発見するも,ギンザメが載ってなくてやや残念であった.

2010-08-11

ところが,というか勝手に自分が思い込んでるだけなんだけど,恐竜業界の言説は「恐竜は特別だ」みたいな臭いがして耐え難い.「わたしたち哺乳類」とか「わたしたち人類」も同様.

たとえば私は長頸竜の研究は面白いと思ってるんだけど,長頸竜自体は面白いとは思ってない.いままではこの生き物をエキゾチックなやつだと思ってて,ネッシーだの何だのといった「モンスター」という恐怖の対象扱いしてたわけだけど,たぶんそれは単純な力学で理解できる程度のつまらない動物で,ちょうどそれが「わからない」から「わかった」に変わりそうってところが面白いだけだったりする.

たぶん,わかってしまったものというのは当然すぎて面白くなくて,わからなかったものがわかることというのが面白いんじゃないかと思う.わからないままだとか,わかる気がしないとか,そんなものは不安だとか恐怖といったものでしかない.

特定のタクサを特別視しないというのは,つまり全ての生物と全ての非生物は普通で常識的だ,と思ってるということ.そういうことを言うと,お前の言う普通とは何だ,常識とは何だ,などと訊かれることになるのだろうけど,とりあえずここでは,閉世界の中の得体の知れたもの,とでもしておきたい.むしろ特別というか「変」なものというのを考えてみると,それはつまりルールが通じないものであり,わからないものであり,記述できないものであり,世界の外にあって語りえぬもの,ということになるかと思う.記述できたものというのは,所詮得体の知れたものあり,それほど面白くはないと思う.

2010-08-10

で,とりあえず何が嫌いなのかをアレコレ考えてみた.たぶん,特定のタクサを特別なものとみなすことが嫌いなんだと思う.これは前にも書いたことがあったかもしれないし,そういう意味では再発見ということになる.

私が恐竜に関するアレコレを見聞きして感じる違和感というやつは,単純に私の好き嫌いの問題で,しかもそれは勝手に想像した情報発信する側の考え方に対する感情だったりする.通ってた高校では「真善美」という言葉が標語として掲げられてて,高校生だった頃には全然分かんなかったんだけど,大学に入った後になって,真偽と善悪と美醜を間違えてはいけない,というあたりに思い至りはした.好き嫌いと,真偽,善悪,美醜は対応しないし,好きな言葉は何ですかと聞かれたら「好きなものは好きなんだからしょうがない」と答えることにしているのだが,たぶんその好き嫌いに対して理由付けをしようとしてしまっていたのが問題だった.たぶんそういうこと.

あえて適当かそうでないかという観点ではなく,好きか嫌いかという話にしてしまったらどうだろうかという発想で.

まさかそんな尺度が存在するとでも?

物書きでも何でもいいんだけど,それを経済的な尺度以外で評価する方法を知らないから,わけのわからないことになってるような気がする.

わかるように説明せよ,という要求自体キチガイじみてる気もする.日頃から目的論的な考え方を排そうとしながら,コミュニケーションと呼ばれる何かについては何故か目的があると思い込んでたあたりに問題があった,とでも言いますか.

2010-08-09

とはいえ,コミュニケーションに参加してる誰が悪い?という話に落とし込もうというのがそもそもおかしいような気もしないではない.

2010-08-08

例の展示を見た結果どういう分類が提示されていたのか理解することができなかったと表明したとして,それ読解力不足ではないかという批判も出てきたりするわけで,結局見せる側と見る側のどちらの落ち度なのかといういつもの話に至ってしまうのも,それはそれでつまらない気がする.

たぶん,見せる側は「私はこういう観点でモノを分類したんだけど,どうですか?」という立場に立つものだし,見る側に「なるほどそういう観点でも分類できるのね」とか「そういう覚え方もあるのね」と思わせることが出来れば上等なんじゃないかと思う.ときには,見る側に無理矢理考えさせるという教育的な効果を狙うこともあるかもしれないし,世の中の物事は素朴に分類できるとは限らないのだが,あえてそのような問題を強調するのではなければ「どういう意図で並べてあるのか皆目見当がつかない」と思われた時点で,説明としては失敗していると思う.特に,そのような教育的であると自称する不親切な展示を,見たり聞いたり考えたりする時間が限られた場でやるべきことかというと,それは違う気がする.

誰に何を見せるか,という制作者側の意図はともかく,誰が何を見たか,というデータ収集が必要.ただ,それに基づいて多くの人に何かを見せる方法を編み出すことはできるのか,という問題もある.この方法ではダメだった,の積み重ねが向上を意味するのかというと,疑わしい.もちろん,少なくともダメだった方法の繰り返しを避けるには役に立つかもしれないし,それで十分なのかもしれないが.

ここまでのまとめ:「恐竜って何ですか」という質問の真意が「私はこう定義してるんですけど,自称専門家の皆さんはどう定義されてるのですか,それは私のいう何と対比できるんですか」という場合はかなり楽な方で,場合によっては「自称専門家の皆さんがいう定義に私が従わなければならない理由は何ですか」ということもある.

という,どの名前を使うべきかという基礎がないところに「鳥は恐竜だ」的な話をすることは適切なのか,とかなんとか.

結局,「私の言う『恐竜』」がダメな理由なんてものは,「研究者の言う『恐竜』」とカブるから,そちらのほうで遠慮してもらえませんか,という程度のものだったりする.

たとえば「この『恐竜』とこの『恐竜』は何が違うの?」と訊かれてα分類的な「ここの骨が違うの」と答えるのは容易なのだけど,「それ恐竜なの?恐竜じゃないの?恐竜の定義って何?」という質問に答えることは難しい.より正確に言えば,恐竜の定義や,恐竜なのか恐竜ではないのかという他人の解析結果,その方法の妥当性とか,分類が恣意的でいい理由だとか,名前を適切に使うことの重要性とか,研究者がどの名前を使うべきだと決めているかとか,そういうことはいくらでも説明できる.むしろ「恐竜って何?」という質問は「研究者の言う『恐竜』って何?」ではなくて「私の言う『恐竜』ではダメな理由って何?」という質問に置き換えたほうがいいんじゃないかという気がするし,それを「展示」という手法で示すことができるかというと,疑問に思ったりもする.

こないだの恐竜展は工学系の友人と一緒に行ったのだが,その人は「で,結局,これとこれは何が違うの?恐竜の定義って何?似たようなものでしょ?いいじゃんそれで」と言った.私もそう思う.

2010-08-06

ここまで,「専門家」という言葉を適切に定めずに使っているため,無効.

専門家から非専門家への伝達が失敗しているという場合,聞き手ないし第三者の非専門家が判断しているのか,第三者の専門家が判断しているのか,そのあたり.

本でも展示でも,誰かに何を伝えようと明確にして作るものってことになってるし,専門家はどこか適当な層の非専門家を対象に設定して何かを作ったりするんだけど,問題になるのはその対象から外れた人々がどう見るか,というような気がする.特に,他の専門家がどう見るか.

というか,真面目に取り組むといくらお金と時間があっても足りないという例の極論になるのであんまり進展のあるネタじゃない.

むしろあの展示を見て考えたのは,いわゆる科学コミュニケーション(笑)の限界とかそういうことではないので,とりあえずその辺りの話はそれくらいにしておく.

悲観的にならざるを得ないとか書いたけど,それがそういうことならわざわざ悲観するのも無意味なわけですがー.

結局あの展示は誰に何を見せたかったのかさっぱりわからなかった.博物館のようなところで行われる文字や音声を用いた一方向的な手法では,各々の興味や知識に応じた解説をすることは困難,というか無理と言っていいだろうし,受け手は自分が理解したいように理解するだけ,という例の理屈によるならば,どんな解説をしようとも失敗に終わりかねない.そういう意味では,いわゆる「見世物」というものが,一体誰に何を見せたいものなのかというのは気になるところ.ただ,多くの人が見世物を受け入れるような何かしらの共通性があるというよりは,個々の勝手で素朴な解釈を妨げるものを排除しているだけ,という方が正しい気はする.だとすると,その勝手な解釈をあらゆる手段を用いて排除しようと努める科学的な態度の下での解釈を伝えられるかどうかという問題に対しては,悲観的にならざるを得ない.

例えば,アルゼンチンの化石だからアルゼンチン土産を売るというのは,一見すると当然に見えるのだけど,よくよく考えてみると空間座標(緯度・経度)という観点以外に共通性はない.

あの恐竜展は,森ビルの展望室でバー併設なんていうセッティングからして他の恐竜展とは違う客層を狙ってるのは明らかだし,案内員が安いプリントTシャツではなくてスーツを着てめかし込んでたあたりは笑いをこらえるのがキツかったくらいだけど,そのせいもあって「見世物小屋」感がどうしようもなかった.あの業界がお金稼ぐにはアレを見世物にしないといけないんじゃないかという考え方はあるだろうし,私もそれ以外で稼げるとは思えない.ただ,あの展示が,あの業界で真摯に研究を続ける者の苦渋の決断として出来上がったものなのかというと,そうとは思えなかった.

上野の哺乳類展(海編)と六本木の恐竜展を見てきた.前者は誰にでも勧められるけど,後者については勧められない.というか行かないことを勧めたいレベル.

2010-06-29

異なるモノに共通点があると言うか,異なるモノが同じモデルに当てはまったというか,むしろ無理矢理同じモデルに当てはめただけと言うべきか.

2010-06-28

Extant phylogenetic bracket …ねぇ.

2010-06-23

いわゆるPaul走りについては色々思うところがあるものの,アレを超える規模で同一フォーマットで描かれたものというのも存在しないあたり,いろいろ悩ましい.

2010-06-22

長らくわかったつもりになって放置していた Archaeopteryx が Ornithischia ではなく Saurischia であるという理屈に手を出している.というか,Archaeopteryx が Ornithischia とされていた論文を読んでいる.

2010-05-28

外力しか測ってないヤツが内力の話をするとか笑止,との助言を受けた.

2010-05-20

いわゆる標識点ないし標識点間距離を使った形態解析に,分岐分析に用いる(名義的な)離散形態形質を組み込めないかという妄想.連続変数を分岐分析に取り入れるんじゃなくて,その逆.

2010-05-07

昨日か一昨日くらいに明文化したこと:世の中には死体が残る絶滅イベントと残らないイベントがある (かもしれない).

某掲示板定点観測所だより (番外編): いかがわしい書き込みがイロイロとありましたので、削除をお願いします 自殺願望でもあるんだろか.

2010-05-05

境界線を見たいのか,境界線のこっちとあっちを見比べたいのか.

2010-05-02

今日のありがたいお言葉:論文は報告書じゃなくてラブレター

2010-03-25

某掲示板定点観測所だより:いままでの「証拠が残りようもない事象」に関する妄言については寛容になれるような気がしてくる流れである.

2010-03-24

まぁなんといいますか「自然」なんて言葉を使うような人は信用できませんよね,えぇ.

2010-03-14

安否遅報:まだ生きてる.

2010-03-05

そういやここでは告知してなかったけど,引越しです.で,この部屋は今夜で最後.札幌に来てから 8 年,学部時代に区内で引越してるんで,この部屋は 6 年半.実家に次いで長く住んでたことになるものの,院に入ってからはどう考えても学校で寝泊まりしてた時間のほうが長いのも事実.それなりに家に帰りたくなるような環境を作ってみたりもしたけど実を結ばず,色々あったはずだけどもあまり印象に残っておらず,まぁなんと言いますか,house ではあったけど home だったかというと疑わしかったり.

2010-02-25

あとは,コンプレックスというかなんというか,記載の一つもせずに「科学」を語るとかできないだろうという気持ちが非常に強くなったというのもある.昔は paleobiology に傾倒していたのが.今では完全に paleontology だったり.

重い腰を上げて,とある化石の記載論文を書きあげようという流れを作ってみた.卒論どころか 学部の3年の時から関わり始めて,よくもまぁ長々と放置したもので,我ながら救いようが無い.そう書き始めたところで言い訳をしておくと,正直なところ化石の記載論文がどういう論理で書かれるものなのかを心得ていなかったが故に筆が進まなかったというのがある.たとえば,SYSTEMATIC PALEONTOLOGY と題してタクサを宣言した後にその記載をするというフォーマットだとか,diagnosis と description の区別だとか,そういうあたりである.自分の場合,それを理解する前提として,関係代数とか型理論とかへの理解が必要だった.あとは,関数型言語を常用しはじめたついでに命令型言語や宣言型言語との違いを把握したというのも大きい.

2010-02-07

某掲示板定点観測所だより:例の「なんであいつら大股開き復元なんかやっちゃったの?」問題を解くためのリファレンスを見つけてきたあたりには素直に感心せざるを得ない.5 年以上続く例の「議論」のなかで唯一の有意義な話かもしれない.

予測の妥当性が確かめられないなら,それは予測でも何でもないわけですよ,えぇ.

2010-02-05

たとえば限られた文字数ないし時間で殺人事件の情報が伝えられるとき,何時何処で誰が死んだとか誰が殺人の容疑者として捕まったとかいう情報を流すのと,それに対して「ゲーム脳」だの「フィギュア萌え族」だのという考察を垂れ流すという2種類の事態を想定するといい.後者の情報を聞いたとき,端からゲーム脳という概念がジョークだと思ってる人間はそれをジョークだと受け止めるし,あれを本気で信じている人はおそろしく深刻な殺人の原因だと理解する.では前者の情報だけを流したらどうなるかというと,ゲーム脳を信じている人が「ゲーム脳のせいだ」と叫ぶのは容易に想像がつくところだが,おそらくゲーム脳を信じていない人も「ゲーム脳のせいだ」と叫ぶ.

去年の Kuehneosaurus と Kuehneosuchus の flight dynamics ネタといい,今年に入ってからの化石メラノソーム祭りといい,その事実だけならものすごく面白いのに,なんでアレをわざわざ「性的ディスプレイ」として解釈するのかというお話.おそらくアレは OAE ないし PETM の古気候学的研究における枕詞であるところの「近年の温暖化」と同じ「業界内でのジョーク」というところまではわかるのだが,ネタをネタと見抜けない人には (職業研究者の発言を理解するのは) 難しい.文字数などがごく限られたメディアにおいては簡潔な結論だけが求められるのは当然なのだけど,そこで紹介されるのがその難解なジョークで,しかもどう好意的に解釈してもジョークとして認識されずにコピペされているという事態を見ると非常に残念な気分になる.

2010-02-03

ここ最近,実験は何も再現しない云々言っていた真意についてのまとめ.現生生物を観察にしても,非生物的な機械の観察にしても,論理的な模型の観察 (数値計算) にしても,どれも「再現性」のある実験と言える.ここで常々問題にしているのは,それは生物だったり,非生物的な機械だったり,数値的なモデルの挙動の観察にすぎないことである.つまり,どれも実際の絶滅生物の観察ではなく,そこから最後の一歩としての「類推」は外挿であって,何一つ正しいことが保証されなくなる.その意味で,これらの観察ないし実験というものは絶滅生物の何かを「再現」するものではありえない.もし仮に絶滅生物の復元をしたいのならば,それが外挿にならないような論理的な基礎が必要ということになる.

2010-02-02

Todoist 使い始めた.UI が好みだったり Firefox サイドバーで使えたり,これなら何も考えずに使える.というか,以前 Remember the Milk を使おうとしたんだけど,そっちは UI に馴染めず三日坊主.ようやくスケジュール管理がうまくできそうな気がする.

2010-02-01

某掲示板定点観測所だより:正直なところ,あの分野に関しては査読を通った論文でもクソみたいな実験と考察しかしていないので「古生物学者」の信用が落ちても仕方がない,という点は同意せざるをえない.もちろん,あの界隈の非研究者がよぶ「古生物学者」が特定のタクサの機能形態学的復元をするごく少数の人々のみを指すものであって,いわゆる職業研究者の呼ぶ「古生物学者」とは一致しない点には注意する必要がある.

2010-01-29

懸案事項:自然選択と機械学習の違いについて.あるいは,世代を超えた「習慣」の伝達について.これらをミームという概念を使わずに説明すること.

まぁなんといいますか,安全圏で管巻いてるだけってのもアレですが.

2010-01-28

もうこんな非形式的で非科学的な業界だいっきらいだー (なら論文書け

某掲示板定点観測所だより:学者がトンデモなことを言うからって,素人もトンデモなことを言っていいなどということはない.

2010-01-27

某掲示板定点観測所だより:そーだね,そーだね,実験が何かを再現してるなんてありえないもんね!

2010-01-26

タンデム翼ですか,そうですか.

2010-01-25

常々思ってることだし何度も書いてることだけど,サイエンスコミュニケーションというのは「科学的な疑問」を抱く人々の間に成り立つ対話を指すのか,それともそんな疑問を抱けない人間の性根を叩き直すような治療 (あるいは教育とか洗脳とか呼ばれる何か) を指すのか,そこんところがわからん.

2010-01-22

極端なことを言ってしまうと,何処に何がある,という型の表現しか使わなくて済むことになる.もちろん,型の定義やらなにやら,メタな説明も必要ではあるけど,おそろしく形式的なものにできてしまう.できればそうしたい.

要するに,見たいのはテキトーに定義した空間にたくさんの点がどう分布するかということ.何千何万次元の空間上の何億何兆という点を覚えるとか無理なんで,空間内のどの部分には分布しえないかみたいなことをテキトーに抽象化して表現しようということになる.

とはいえ,系統関係の復元てあんまり興味ないのよね,正直なところ.

(2010-01-22T00:19 の続き) という前提で,stratocladistics といいますか cladistic biogeography といいますか,その辺を真面目に勉強してみないといけないかなぁとかなんとか思ってみたり.

(2010-01-21T23:58 の続き) じゃあ phylogenetic analysis てなんだよってことになると,実空間×形態空間×性能空間×…という空間上にプロットされた生物体をつなぐ作業だと思ってる.昔は,生物体を系統樹上にプロットする作業だと思ってたけど,それだといろいろおかしいような気がする.

2010-01-21

Biogeography にしても biostratigraphy にしても,その基本的は生物体を 3 次元ないし 4 次元の時空にプロットする作業だと認識している.それに対し,morphometrics は,そういう実空間 (という表現自体がアレだけど,気にしないで欲しい) じゃなくて,形態空間 (morphospace) を定義してプロットする作業と言える.では biomechanics はいったい何かというと,"性能"空間 (performance-space: 仮称) を定義してプロットする作業ということになる.形態空間と性能空間の対応関係は力学的法則なんで,工学的になんとかするべき領域だと思う.だとすると,古生物屋さんがするべき仕事というのはおよそ明快で,4次元実空間と多次元形態空間と多次元性能空間の対応付けということになる.もちろん,それは対応関係の単純な記載であって,そこに因果関係を見出す必要は無い.

H. Petroski の「フォークの歯はなぜ四本になったか」を読んでるわけだが,そもそも「形は機能に従う (form follows function)」なんつー標語がどこからわいてきたのかが謎.「発生は進化を繰り返す」に近いものがありますな.

2010-01-20

某掲示板定点観測所だより:ぅゎぁ…

まぁ,件の発言がどこから来たか知る由もないわけですが,biostratigraphy/paleobiogeography な研究計画を立ててる身としましては,いろいろ考えさせられますなぁ,と.

今日のありがたいお言葉:分布とか系統とか地図に落と・・・してどうする?

2010-01-18

エゲレスの某雑誌に載った「寒冷化」の話とそれにまつわるあれやこれや,というか今回の一件に限らずいわゆる「温暖化」の話について,いわゆる査読誌以外のメディアで騒がれてるネタが,一次情報である査読誌に書かれてることとか執筆者の発言とかと一致している例を見たことがないような気がするのだけど,気のせいかね?

2010-01-17

ふとぐぐって気づいたけど Duria Antiquior のパクリの変遷がおもしろすぎる.

2010-01-16

某掲示板定点観測所だより:まだやる気かよ.

2010-01-13

自分の考え方が更新されるのは論文に書かれてることを受け入れたときばかりではなく,いろんなところで見聞きした事をつなぎあわせて思いついてるわけだが,それを正式に発表しようという段で「コレ全部自分で思いつきました」などとしれっと言ってのけるなんてことは,さすがにできませんわな.まぁ,そんなものは往々にして哲学の人が先回りしてる書いてるわけで,それはそれで恐ろしかったり.

2010-01-13T16:04 とかなんとかブーたれながらあれこれ探すに,たぶん Krohs, U. (2009) あたりはかなり自分の考えに近そうな感じ.本文では触れられてないけど,計算機科学方面の用語とも親和性が高そう.

どうにも先鋭的な機能主義者のいう「機能」が不可解すぎて死ねる.

そういや,いつからアンモナイトって空飛ぶようになって,いつから海を泳ぐようになったんだろね.などと,ネットブックの壁紙にしている Duria Antiquior を眺めては思うわけですよ.

2010-01-05

某掲示板定点観測所だより:復旧させる気ないでしょw

そんなわけで,復元という抽象的な作業を行っている身として欲しいのは,それを不必要に尤もらしく魅せるための超絶技巧ではなくて,抽象的なものを抽象的なまま伝えるための,数学のグラフのような定形の手法だったりする.

もちろん視覚化は重要で,そういう意味での「アート」は必要.ただ,昔から書いてるように,抽象的なものは抽象的に見せるべきで,そこを具体的なものがあるかのように見せちゃうようなアートは要らない.というか有害.

(2010-01-05T02:26) もちろん,当の本人の好みの問題もあるだろうけど,まっとうな復元すなわち観察や再現実験まで行ってモデル選択できるような人物をクリエイターと呼んで良いのか.少なくとも,まっとうな科学者を指して夢想家などと呼ぶ勇気は,私にはない.

復元という作業をモデル選択 (あるいはアブダクションと呼ばれる何か) と考えると,モデルを選ぶ前にはモデルを創らなければならない.そして,脳内の脳内の復元像を他人に伝えるためには,絵にしたり立体にしたりと,適当なメディアを創ると効果的である.その意味では,確かに復元は「クリエイター」のお仕事なのかもしれないが,クリエイターにできる仕事は高々その程度にすぎない,と言った方が適切.

2010-01-04

もちろん,眼球としての役割は必要なのだが,脳ミソの足りていない眼球を多く目にしてきてしまったせいで,脳ミソとしての役割を重視し,眼球としての機能をおろそかにしてきてしまったというのが事実.できることなら眼球付きの脳ミソになりたい.

2010-01-01

あけました.おめでとうごさいました.今年もよろしくお願いしました.