気候と気象,環境と環世界の違いが分からない輩は「環境問題」を語るべきではない.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-12-31
2008-12-29
某大学院理学研究院生物科学講座が,生命科学院生命科学専攻,理学院生命理学専攻,理学院自然史科学専攻に切り分けられたのは,組織運営云々を抜かして純粋に学問分野の切り分けという観点で見ると妥当だったように見える.特に多様性生物学講座が自然史科学専攻に分類されているという点で.
2008-12-28
2008-12-27
かれこれ 3 年使ってきた Creative Zen Neeon.ここ 1 ヶ月弱の間にディスプレイが化けて何も見えず曲の検索等ができない状況に陥っていた.on/off はわかるからとりあえずいいかー,とか思って放置していたのだが,ついに何も表示されなくなった.もう on だが消音状態だとか,誤操作で空のプレイリストを再生してしまっているのかわからない.まだ 2GB の usb メモリとしては使えるしぃ,とか言いたいところだが,ケーブルが無いと繋がらないあたり,生協のレジ横で売ってる 4GB で 960 円のメモリにも劣る.正月のセールまで耐えるかねぇ.
2008-12-26
2008-12-23
2008-12-22
結局,ネクトンとプランクトンの違いというのは,能動的に泳げるかどうか (などというよくわからん言い回しで定義される違い) ではなくて,サイズによる恣意的な区別でしかないよなぁ,とか思ったり.区切りをどこにするかは曖昧だけど,水そのものの性質とか,海洋とか湖沼に生じる流れのスケールとか,言い訳はそれなりにある.そうやって識別されるネクトン (つまりサイズが大きい生物) が能動的に泳いでいるように見えるのは,たまたまヒトがネクトンのサイズだからだよなぁ,とかなんとか.
2008-12-21
ここのサイトにコメント欄が無いことについて.コメントが集まるほど読まれていないのでコメ欄を用意するだけ空しいという事実もあるが,それなりの言い訳もある.端的に言えば,ここは自分の考えを時系列に残すためのところだということ.もちろん,思想は他人との会話によっても更新されるのだが,それをここに残した場合,その言葉は誰の言葉になるのか,という問題が生じてしまう.極端なことを言えば,各自の思想というのはそれぞれが一つのスレッドで,複数のスレッド間でメッセージパッシングが起こっている,というモデルでセカイを捉えている,という意味.言い換えれば,各自がコメント欄もなければ記事の修正もできない blog を運用し,そして会話は trackback だけで成り立ち,各自の blog には ping を受け取った時刻だけが記録される,というイメージ.
ココの話はあまりにも断片的過ぎるのでそれなりにまとめようかなぁ,というプロジェクト.最初からまとめて書けよという話ではあるが,基本的に思想なんてものはコロコロと変化するものなので,内容はどんどん更新されてしまう.ところが,或る時刻にどのようなコトを考えたのかという事実そのものは覆せないので,それは時系列データもどきとして累積すべきだろう,とも考えたりする.何かをまとめようというとき,それをまとめるためのメタな思考がまとわりつくことを考えると,無理にそれを分別するのは面倒くさい.より正確に言えば,1階の部分を切り離すのは簡単だが高階の部分を切り離すのは難しいんじゃないか,ということ.かくして,この log は用意されていた.
2008-12-20
2008-12-18
[リンク先注意] 知ってる人は知っている,その昔メイド喫茶に通っていたという話.どこかといえばその昔 www.mer-maid.jp を使っていたステキなトコロ.そのドメイン名は,横浜の同業者に使い回された後,放置されていたのだが (2008-03-20T15:51, 15:57),いつの間にかよくわからんメイド喫茶レビューらしきものが置かれるようになった.この末尾のリンクを辿ると「ユダヤ学習法」などというますます怪しいテキストに辿り着き,さらに別のドメインに誘導される.これ以上は深追いしていない.
某掲示板定点観測所だより:あの本に関する言及が現れる.数値数値と言うが,問題は数値で表現されているかよりも,その数値が何を意味するかを読み取る能力があるかだったりする.証拠があれば,数値や写真を用意することが可能であり記されて然るべき情報ではあるが,実際には捏造可能なので,それが記されていることだけでは証拠の正当さは保証されない.また,数字や記号を任意に並べて作った文字列が妥当な数式であるかどうかは,数学的な表現を自在に扱える人間にとっては自明なことだが,そうでない人間にはわからない.極端なことを言えば,職人は数字なんぞ見なくてもそこに本質を見てしまうので,職人芸でなんとかなってしまうものを適切な数式で表現することは,職人芸を否定することではなく,むしろ職人芸を肯定することに過ぎなかったりする.そういう意味で,何かを数字を用いて定量的に表現して見せることは,バカに対するハッタリ以外の何者でもなかったりする.
2007-05-11T02:48 なんかで言ってた形態があって,それで実現できる動きがあって,その性能があって,その動きを実現して,その差が淘汰の対象となるというパラダイムが,既に Garland and Losos (1994) で言及されていたという話.やっぱりそこにたどり着くよね.というか,自分でひたすら悩みぬいて思いついた話が既に他人により論文になっていると安心感が違う.
2008-12-16
Firefox 3.1 beta 2 をインストール.Add on のフィードリーダーが使えなくなったので,ついでに google reader に移行.メインマシンとサブノート上での同期をちゃんとしていなかったので何かと問題があったのだが,これで解決.
2008-12-10
2008-12-08
家族以外で顔と名前に加え誕生日までもが一致している人間は 3 人しかいない.これがまた別に好きになった女の子というわけでもなく (当然ながら好きになった男の子でもなく),なぜ覚えてしまったのかも分からないが,とにかく覚えてしまったものだったりする.なんでそんな話かといえば,今日はそのうちの 1 人の誕生日だったりする.これまた,そいつの電話番号を知っているわけでもなく,だいたい卒業後はただの一度も会っていないし連絡をとる気もないのだけど,とりあえず誕生日なのでめでたいんじゃないかとは思う.
2008-12-07
2008-12-05
動物の遊泳速度等のデータを網羅的にコンパイル中.文献の数もさることながら,表記どころか実験手法も全く正規化されていないのが非常に辛い.今やってる作業もだが,例の棒状生物の形態解析も同様.死ねる.
2008-12-04
2008-12-02
Cooper et al. Journal of Experimental Biology 211, 1859-1867 (2008). Balaenoptera の前翼が妙に大きいことへの回答.なーる.
2008-11-30
いわゆる機能形態学について,単にその生物のカタチや構造により動きが制限されることを理由にその生物を復元するだけならば,進化という概念は要らない.適応,という概念を組み込んだ場合でさえ,天下り的に最適形状が付与されるというのでは,やはり進化学ではない.そのもの自体がメタヒューリスティックな最適化を起こしている,という点が重要になる.
2008-11-29
2008-11-28
2008-11-27
2008-11-26
有孔虫の殻のカタチを理論的に生成しようという,Tyszka, J. 2006. Lethaia 39(1):1--12.要するに隣接する apatures の位置,つまり 2 点を基準にして座標決めて 3 自由度の殻の構造を再現したよって話なんですけど-,その座標系っていろいろチートしてませんか?
2008-11-25
大学生協の科学書のコーナーに「地球はやはりがらんどうだった」なんつー本が平積み.これ,徳間書店の超知ライブラリーという,いかにも怪しいシリーズだったりする.そりゃマトモな科学書のフリをしてデムパ飛ばしてる M 山 S 徳の環境問題本とか,誰とは言わないけど平気で嘘話載せてる某大型恐竜本とか,タイトルからじゃ科学なのかオカルトなのかわかんないこともあるってのは事実.まぁ,中谷宇吉郎大先生のお膝元だというのに E 本の水伝の本を平積みするという前科持ちなので,これはもう最早救いがたい現象としかいいようがない.
適応ってのは,要するに cladogenesis と anagenesis による多様化と,明確な基準のある selection による絶滅の組み合わせで起こる現象で,これのおかげで (良くも悪くも) 進化に物語性を与えることができる.当然,明確な基準もなく絶滅は起こるのだが,そういう明確な基準がなかったことは示せるのか,それが問題になったりする.その背後には,さらにある種の anagenesis が起こらなかったこと,あるいは起こりえなかったことを示す必要も出てきたりする.なんというか,悪魔の証明としか思えないが.
2008-11-23
2008-11-23T10-31 のつづき.Dollo の法則という,一度消失した形質は再び現れない (と表現すると色々問題があるのも事実),という概念があるが,実際の進化を見てみるとそうでない場合があって,或る形質の発現が別の形質との相互作用で起こったり起こらなかったり,同様に異なる系列で独自に同じ形質が発現することがある.つまり,同じ形質が異なる系列で独自に生じた場合を平行と呼ぶ.逆に言えば,homology と homoplasy は,構成要素などは間違いなく同じ形質であるが共通祖先が同じ形質であるかどうかによって判別されるものである.一方の heterogeny は,そもそも構成要素などが違うので別の形質なのだが,幾何学的に同じであると錯覚してしまう形質,ということになる.
どうも修論を書いている時から指導教官さまと「収斂」という言葉の使い方が違うなぁというのを薄々感じつつ,つい先日のゼミでも苦言を呈されたので Desutter-Grandcolas et al. (2005) を読んでみる.おそらく,高校の時から教科書としている Wiley E.O. 他著,宮正樹訳の「系統分類学入門」(どうやら絶版.元の pdf が公開されている) の影響じゃないのかなぁ,という感じ.Wiley は,基本的に形質が相同形質なのかどうなのかってのは分かんないから,とにかく系統解析して変換系列とか分岐のパターンを見て収斂か平行か決めよう,と言っており,基本的に自分はこの考え方で喋っていたわけだ.ところが,実際にはデータマトリックスを作る時点で対象の生物を形質の集合に分解しているわけで,つまり,系統関係の推定に先んじて異なる生物の形質の同値性について議論をしてしまっているぞ,というのがDesutter-Grandcolas 他の言い分 (この発想の基礎は Petterson (1982) から出ている).結局,データマトリクスを作るという作業自体が homology かもしれないものと heterology というのを分けている,ということ.Wiley らは Hennig の補助原則を「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,収斂や平行は仮定してはならない」と表現しているが,データマトリクスを作り上げ解析を行うという段階では既に heterogeny に基づく収斂という概念は排除されているのだから,「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,平行は仮定してはならない」と表現されるべきだ,というお話.
2008-11-22
2008-11-21
2008-11-20
2008-11-19
[全ゲノム解読計画の副産物として現れる,遺伝子が何割似ている,というナンセンスな言い回しへの対策コピペ,その 2] A, B, C, D でトーナメント方式の 3 試合を行い,以下のような結果になったとする: A ○-× B; C ○-× D; A ○-× C.このとき,1 勝 1 敗の C が 2 勝 0 敗の A の次に強いかどうか,言い換えれば 0 勝 1 敗の B より強いかどうかは,戦ってみるまでわからない.
[全ゲノム解読計画の副産物として現れる,遺伝子が何割似ている,というナンセンスな言い回しへの対策コピペ,その 1] A の遺伝子が {a1, a2, ..., a10} の 10 コあるとする.それに対し B の遺伝子が {a1, ..., a6, b7, ..., b10},C の遺伝子が {c1, ..., c5, a6, ..., a10},D の遺伝子が {a1, ..., a4, d5, ..., d10} だとする.このとき,B, C, D の A との類似度は,見ての通りそれぞれ 60 %, 50 %, 40 % となる.A と B が最も似ていると言うことに異存はないだろう.問題は C と D のどちらが A に似ているかである.D には A にも B にも共通する遺伝子が 4 つあり,一方の C は 1 つしかない.したがって類似度の低い D の方が近縁という結論に至る.
2008-11-18
2008-11-16
2008-11-14
なんつーか,自分のしたいことは paleontology そのものじゃなくて,paleontology engineering だったり,そのための paleobiology だったり,そーゆーことなんじゃないかなー,とかなんとか.
2008-11-14:T02:58 の続き.Paleontology の原義が過去の存在を記録する分野だとするならば,その生物としての特性を明らかにする分野が paleontology ではなく paleobiology と呼ばれる分野に属すること,Journal of Paleontology が記載専門,Paleobiology がその他全て,というのは非常に納得できるお話.また,1876 年以来のデューイ十進分類法において,paleontology は geology (550) でも biology (570) でもない領域 (560) を割り当てられているというのも頷ける.ただし日本十進分類法では 457 で,450番台の地球科学の一分野として扱われている.
2008-04-17T05:30 あたりで言ってた,古生物学が paleontology である理由についてのアレコレ.Ontology を哲学領域として解するならば存在論であり,根源的な存在とは何かを問う学問領域である.転じて,実際に何が存在するかを明示する作業ないし学問領域というのが生まれる.同時に,何が存在するかを明示するための方法を開発する必要も生まれる.この先鋭的な例が,計算機にも「理解」できるような手法 (システム) を開発するオントロジー工学であり,それに基づいてオントロジーを構築する.そういう意味で paleontology は過去に存在したものを記載していく学問領域と解釈できる.単純に過去に存在したもの,と言った場合には過去に存在した非生物も paleontology の対象になりそうなものだが,おそらく,生物に限っては死という現象によってあからさまに過去と現在を分断できるという意味で (例えば岩石は過去に於いても岩石だったので),paleontology の対象は古生物に限られる.
2008-11-13
ブラックボックスという概念について,外から中を見ることができないクセに入力とか出力って概念があるわけで,これは結構妙な話.システムの内部から見ると入力とか出力とかないよって話はオートポイエシスの概念を踏まえて主張されるが,ではシステムを外部から見るとどうかというと,入力と出力はあるけど内部なんてものは無いんじゃないかと思ったり.見えてるのはインターフェイスだけなんだから当然といえば当然ではある.
所属する講座が「地球惑星物質科学講座」から「地球惑星システム科学講座」になって久しいが,結局「システム」って何よ?という話.大して新しいことを主張するわけではないが,システムというのは要するに「ブラックボックス」に他ならない,と勝手に定義してみた.既に存在しているとしているブラックボックスを理解する分野がシステム科学であり,新たにブラックボックスを開発するのがシステム工学.当然ながら,ブラックボックスを理解する手法というものもまたブラックボックスであり,その理解や開発もシステム科学や工学の範疇であるという具合.確かに地球惑星物質科学分野と地球惑星物理学分野を統合して新名称にしようとしたら地球惑星システム科学になるかもしれないけど,それって地球惑星科学でも大して変わらないよね,などと言ってしまっては身も蓋もないか.ま,システムという概念を意識して考えるのは悪いコトじゃないだろうが,それが大学院の講義のレヴェルで適切に指導されているかというのと,これは大いに疑問.
2008-11-11
2008-11-08
話の筋がふらふらしてしまったが,要するにテキトーに拾ったサンプルが静的な状態からのサンプルだと主張するための前提条件とか,その条件の妥当さを説明する事実とか,それって何?という話.なんか混乱してきたのでひとまず放置して本業に戻る (ことができたらいいな).
それなりに巨視的なスケールの標本が手に入れば平衡状態かどうかというのは判別できるんじゃないかと楽観視してみるとして,絶望的なまでに標本数の少ない化石を手にして「これは**に適応していたんだよ!」では「な,なんだってー」としか返しようがないような気もする.そういう意味では断続平衡ってのは非常に便利な発想だと思うのだが,どうにも腑に落ちない.
進化の話で「平衡」という単語を出すと,どうしても Gould のいう断続平衡 punctuated equilibrium が連想されてしまうのだが,アレは平衡というよりは静的な状態を指しているような気がする.問題としているのは,anagenesis は準静的過程なのか非平衡過程なのか,それを見分けられるのかということ.
2008-11-07
2008-11-06
過日,某同僚と話していて至った結論として,新たなパラダイムを採用することで古いパラダイムの下で生まれる命題が片っ端から棄却されるという場合と,その一部のみが棄却される場合,というのは分けて考えないとマズイ.特に後者は,古いパラダイム下で生まれた真である命題が棄却されないことがあるがために,新しいパラダイムを採用するものの,古いパラダイムを無闇に否定する立場に対しては批判的であるがために,古いパラダイム下で考えているかに見えてしまうという場合がある.そういう意味で,プレートテクトニクスをめぐるアレコレで批判されることのある某 M 先生は,多少の政治的問題はあったにせよ,実はそういう立場だったんじゃないかという予想してみたり.
2008-11-04
2008-11-02
2008-11-01
2008-10-31
ついカッとなって Evangelion: 1.0 / 1.01 と 空の境界 第一章 俯瞰風景 の DVD を借りる.前者は映画館で見たけど,後者を上映してるところは限定的ということで初見.前者は工場マニア,後者は廃墟マニアの匂いがする映像.あまり映像作品てものに縁が無い生活をしている人間の感想として,どうもこのシーンだけ撮りたかった/描きたかったんだろーなー,というのを感じてしまう.作者が全編こだわってるうちで私が一部のみに関心を寄せただけなのかもしれないけど,そういうところとそうでないところの落差ってのが激しいというかねぇ.これが例えば音楽だと,このフレーズだけやりたかっただけだろーとかいう感想はあまり沸かなくて,全編聴かないとその曲の良さってのがわからん,つまり全部が良くないと良い曲には思えないのだけど,映像だと,このワンシーンだけでいいんじゃねーの? とか思えてしまう.まぁ,そのシーンだけ切り取ったらやっぱり駄目なシーンでしかないので全体を見ないと意味がないのだけども,逆に言えば,映像には全体の中でそのシーンが特に重要というのがあるけど,音楽にはそういう部分が希薄というか.まぁアレだ,ラスト付近のベッドで横になった式の表情 (つーか髪) が気合入りすぎでしょ,ということで.
2008-10-30
2008-10-29
2008-10-27
2008-10-26
2008-10-24
2008-10-23
というわけで,しばらく急用はなくなった.暇ではないし,こういうタイミングで遊び呆けるとボディーブローのように効いてくるに違いない.しかしこういうタイミングでなければ休みが取れないのもまた事実.もっとも先日,風邪をひいたので 3 連休というのがあったにせよ,ここ 2 年は休みらしい休みも取っていない.というわけで,勝手に連休宣言.とはいえ,どーせ病院に行くとかその程度しかできないに違いない.旅行に行きたいと口走りはするが,そんなお金も精神的余裕もないし,仮に旅に出たとして徘徊老人と変わらないようなコトして何か変わるとも思えず,結局行かないんだろーなー,とかなんとか.
2008-10-20
2008-10-19
2008-10-17
2008-10-14
こないだのゼミ後の話.例によって例の如く,お前さんの研究は世の中に貢献するのかね,物質的にじゃないにせよ何か日常レベルの教訓てのは得られるのかね,というツッコミが入る.えー,そりゃー難しいですねぇ.
ThinkPad X200s.ちゃんと X シリーズっぽくて悪くない.つーか未だに X22 なんで,何を見ても大抵のものは悪くない.むしろハードよりもソフトを揃えるのが大変という話.それも,モバイル環境以前に,メインのデスクトップ環境.そろそろ Office 2007 的ファイルに対応しなきゃいけないとか,OCR ソフトもあると便利だろうなぁとか.
2008-10-13
大型ゴミの手数料に 3200 円.捨てるのが面倒くさいってんで 2 年以上溜め込んでたりするくらいなんで,むしろ安上がりというべきか.独り暮らしなのにワーキングチェアを 2 台捨てる奴なんてフツーいないだろうし,そりゃー電話越しの受付嬢 (?) が「家庭ゴミですよね」と聞き直すのも無理は無い.てなわけで,新しいイスを調達しようという話.家にいる時間と学校にいる時間を考えると,どう考えても学校の椅子を交換したほうがいいような気がするが,それはそれ.てなわけで東急ハンズに試座しに行ったものの,あんまり種類がない.さすがに 10 万を越えるのは無理だろー,とか思いながら一応 Aeron Chair とかには座っておく.悪くは無いが,何か違う.一番良かったのは ITOKI の COPEL.これぜひ学校で使いたい.きっと仕事が捗る.ではなくて,家用.ステレオの前でぐで~んと仰け反れるようにヘッドレストとアームレストは欲しい.が,店にはベストなのが無い.まぁいいや,ってんで家に帰って web を見るに ITOKI の Levino がよさげ.お前は ITOKI の回し者か,と言われそうだが,実際 COPEL が良かったんで,同じ会社なら設計思想とか同じだろー,とかいう安直な妄想.で,お金をどうするのか.ちなみにこの記事,ホームセンターで 1000 円くらいで買ったスツールに座って書いていたりする.
2008-10-12
2008-10-11
2008-10-10T23:56 で言ってたプレゼンの資料.勢い余って pdf を公開してみる.反論,苦情等ありましたら,私のメールアドレスを探すなり mixi 経由なり,他所に晒すなり,テキトーによろしく.
某掲示板定点観測所だより:絶対儲かるよ,とか言う割には,データを欲しがるような人々の性質も,データを生み出すためのコストも,この手の研究費の出所も,何も考えていないとしか思えない.それで,あんたら研究者は社会のことを知らなさ過ぎる,とか片腹痛い.
形質行列を作り変えて系統解析結果が変わったというとき,それが行をひとつ増やしただけである場合と,列をひとつ増やしただけである場合,果たしてどちらが意義があるだろうかという問題.直感的には,単にデータを増やしただけでなく,ものの見かたを変えたという意味で後者.
2008-10-10
いつもの研究グループ向けではなく,他の研究グループにも向けた講座全体のゼミで喋る.しかもよりにもよってテーマは「パラダイムシフトと異端の学説」で,自分の割り当てが進化論.いや,好きでやってるんだけど.結局 Aquarboreal Ape Hypothesis をネタに,最終的には Gould & Lewontin, 1979 の適応主義のネタで落とすという,それなりに無難な話.いや,人類の進化自体に答えを与えないという点では全然無難ではない.大半が地質屋で,進化そのものを誤解してそうな人々が集まっていたので,時間がないにも関わらず色々話を詰め込みすぎたかなという感じ.そういうつっこみもあったし,まだ若くて覚えたことを何でも喋りたがるお年頃なのね,結局喋り方の問題よね,といういつも通りといえばいつも通りの結論.
2008-09-30
Mahnerm, M. & Bunge, M. (著), 小野山 敬一 (訳),「生物哲学の基礎」, シュプリンガー・ジャパンと Filler, AG. (著), 日向やよい (訳), 「類人猿を直立させた小さな骨―人類進化の謎を解く」, 東洋経済新報社を購入.後者は人類の進化のみならず,動物の進化一般や哲学的な領域について非常に示唆に富み,かつ読みやすい良書.
昨日は調査で某 B 唄市の山中へ.巨皪だらけで歩きにくいことこの上なく,かつてないほどの疲労.まだだるい.おまけに若干の寒気.街はすでにダムに沈み,周辺には民家などの痕跡すらないというとんでもない場所だが,沢の最上流近くに擁壁が残るあたり,全盛期の炭坑の街のバイタリティにドン引き.より正確には,それが廃墟になっている,というあたりか.
2008-09-28
地質学的な時空スケールというのはどうしたら理解できるか,という話.よくある地球の歴史を1日に置き換えるとか,地球をリンゴの大きさに例えるとか,確かにそう例えるしかないのだが,あれは必要な喩えではあるけど,足りるとは思えない.何も考えずに一秒過ごすように,水を飲まずに丸一日を過ごすこともできてしまうし,リンゴ一個は一食分に足りるかも怪しい.毎日ひたすら歩いて地質図を書いてはそれを世界地図に落とし込むとか,ひたすら柱状図を書いては地質年代表と対比するとか,そうやってさんざん苦労して自分が体験できることがどれだけ小さいか,ということを感じられるかにかかっているような気がする.
2008-09-27
そろそろ冬靴をどーするかなーとアレコレ物色中.この 5 シーズンほど,NIKE ACG の Air Zoom Tallac を 2 代ほど履いてきたのだが,いよいよこのブランドが消滅したらしい.さてはて.
2008-09-18
2008-09-16
相談できる人間がいるかどうかってのは,それが軽いことでも重いことでも,致命的ですよね,というアレやコレで浮いたり沈んだり.毎度書いてることではあるけど,話をする上で謙虚さというのは非常に重要.ただそれが度を過ぎて卑屈になってしまうのも問題.(自分が悪い?→相談できない→鬱) → 自分が悪い? という無間地獄.まぁなんと言いますか,いろいろ救われてますなぁ,と.
2008-09-15
2008-09-15T14:40 の続き.いろいろと妙なインデクスを発明してみては有意差は無いよと言っているのだが,話の前提として Ornithodira と Crurotarsi で占有していた Morphospace が違うって言ってる時点でイミフ.原因はそこじゃないのかよ,と.
2008-09-14
2008-09-13
2008-09-12
2008-09-11
そういや今日は 9.11 だったよーで.高卒後のプータロ 2 年目のときのことですな.思えばテレビを見なくなったり新聞を購読しなくなったきっかけが,まさにコレ.この頃,受験対策と称して英字新聞を購読していたりしたわけだが,この日以来,毎朝 Bush か小泉の顔,そして大本営発表のみ.イスラム圏からの率直な感想など聞こえもしない.という具合に,いわゆるマスメディアってヤツの偏りを痛感したわけである.もっとも,毎度書いていることではあるが,個々のメディアが偏っているのは仕方のないことだし,歪みのないメディアなんて期待してない.むしろ,自分の行けないところの情報を拾ってきてくれるジャーナリストという役は間違いなく必要なものである.問題は,個々のメディアの歪み方というものを見抜けるかであって,そのためには可能な限り多数のメディアから情報を得て,可能な限り多数の他人の意見を参考にして,そのフィルタを推定し,フィルタの向こう側を推定しなければならない,というのが自分なりの結論.ついでに言えば,情報源は,(見かけの) S/N 比が高いことよりも,意見の多様度が高いことの方が重要.
2008-09-10
2008-09-09
2008-09-08
某掲示板定点観測所だより:相変わらず science と engineering の境界がオカシイ気がする.物理屋さんを敵に回してることに気づいてない.…機能形態学,というか適応主義ですね,わかります.
2008-09-07
2008-09-06
2008-09-03
2008-09-02
2008-09-01
2008-08-31
2008-08-30
2008-08-29
何しろ判断基準がないのだから,積極的に他のことをする理由がない.現状維持する理由というのも大してあるわけではない.問題は,サイコロを転がした結果に従う,という変化すら面倒くさいと思っていること.ルールが天下り的に決められてしまったどうしようもないことならともかく,その決心を覆す決心が可能というあたりに,決心することのナンセンスさを感じているのかもしれない.そういう意味で,超保守的.
基本的に思考がブラックリスト的.最善であるものを具体的に想定できない.必要条件を挙げることはできるが十分条件を挙げることができない.必要条件を満たさないものは,もはやどうでもいいものなので,さっさと無くなって欲しいと思っている.
たぶん,それなりの装備を用意してもらった上で砂漠の真ん中まで送り届けてもらったようなもので,想定できる限り最悪のコトは選ばないまでも,どっちに進んでも砂漠は砂漠という意味で積極的にどこかに向かうでもなく,とりあえずそこに立ち続けているような状況.
2008-08-26
2008-08-24
2008-08-23
2008-08-22
2008-08-21
2008-08-20
2008-08-19
2008-08-15
で,ポニョ.たぶん世の自然史系博物館の泥盆紀コーナーに軒並み「あのポニョにも出てます!」の POP が踊り狂うくらいの祭.特に触手系エロアニメで無いにもかかわらず登場するメクラウナギは要チェック.全コノドント屋が泣いた (嘘).一方,頭足類屋は (略).多くの脊椎屋はあの船のカタチと動きを見てしたり顔でほくそ笑むのだろうが,その傍らでウチの研究室の人間は抱腹絶倒.LoRI たん大勝利.
某掲示板定点観測所だより:
なるほど,分かりやすく書いても,曲解されるのですねぇ.あらゆる生物を紹介しているので監修者は立ていません。ですから基本的にスタンダードな見解だけを紹介しました。
なるほど、分かりやすくするためには、こういう配慮も必要なのですねえ。
2008-08-14
某掲示板定点観測所だより:まさかの管理人による削除.ポニョを観に行っていたので,残念ながら事の顛末は不明.もともと建設的じゃないんだからわざわざ修正する必要もないだろう.削除依頼に応じるくらいなら,さっさと某 R をアク禁にするか,掲示板自体を廃止すればいいのに.
某掲示板定点観測所だより:例の記事は削除されたらしいので察するのみだが,自分が知らない他人の知識を些細な問題をつつくイチャモンと一蹴,といった様子.ひどい話だが,いつも通りといえばいつも通り.毎度9割9分とか出てくる腐った乱数発生装置もさることながら,相変わらず物事の真偽は多数決で決まるなどと思い込んでいる可哀想な頭の持ち主というのもかなり悲惨.
某掲示板定点観測所だより:実際にモノを見ず,他人と用語の使い方を合わせず,脳内世界をそのまま垂れ流せる人間は無敵.仮想敵であろうボストン在住の某も同様に無敵の人なので,ああいう術語は使えないと思う.索敵能力が甘い.
2008-08-07
2008-08-06
2008-08-03
2008-08-01
2008-07-31
たとえばタンポポは“黄色い花”を属性として持っているのであって、“花の色”を属性として持っているわけではありません。
E.O. Wiley, D. Siegel-Causey, D.R. Brooks, and V.A. Funk 著,宮正樹 訳 (1991),系統分類学入門 ―分岐分類の基礎と応用―,文一総合出版.…腑に落ちない.
自然選択というやつは,客観的な基準で起こるかもしれないし,恣意的な基準で起こるかもしれない,というのは昔からグダグダ書いている通り.いわゆる Dual Inhertance Theory と呼ばれるアレ.生態や行動を観察することで他者の恣意的な基準を推定しよう,というのはフツーの科学のはず.「システムの継続」を考えると,その基準は表現型的な何かとして扱ってもいいと思う.表現型的な何か,というのを正しくはどう呼ぶべきか知らないのだが,遺伝子や環境の影響が小さいという意味で,いわゆる表現型というよりは文化的なものなので,あえて既存の (しかしマイナーな) 用語を使って呼ぶなら memotype といったところか.個人的には memotype という概念はあってもいいと思うが,meme は不要な概念だと思う.という長々とした前置きの上で,進化心理学の批判.ヒトの心理 (というか恣意的判断基準) は間違いなく進化してきたものだし,その理由を過去に求めるという発想自体は妥当だろう.ただし,現生のヒトの心理だけを見て,比較すべき他の種の心理もわからない状況で,共有派生形質などという概念もないままに過去を復元するなど,進化学をバカにするにも程がある.
2008-07-30
2008-07-29
2008-07-24
誤解を招いてしまったよーですので弁明.2008-07-21T22:59 について,構造主義的でイマニシズム的な人というのは決して U さんのことを指して言ったことではないので,そこんとこひとつよろしく.むしろ基本的には U さんの話に同意するところが多く,単純に自分の言葉に噛み下した立ち位置の表明だったりします.まぁ,その噛み下し方がやばそうという指摘があるのかもしれませんが.
2008-07-22
「ルールデザイナーまたは他プレイヤが提示したルールからプレイヤが最適解を求めようとする」という関係が成立する時、それはゲームだと言える。
定義「ゲーム性」 - うさだBlog / ls@usada's Workshop
ミトコンドリア・イブ説にはどういう意味があるというのだろうか。実を言うと、「たった一人の女性から全人類が生まれた」という根本的誤解に勝るようなインパクトのある意味はない。
wikipedia/ミトコンドリア・イブ, 2008-07-04T03:39
2008-07-21
あからさまにおかしな異説を笑うとき,異説が異説であるということを適切に指摘できるかというのは結構重要なんじゃないかなぁ,とかなんとか.単に「***という説は少数派」という事実を言うのではダメで,それが多数派にならない理由をちゃんと説明してみよう,というコト.で,U 田さんの提起からもにょもにょと続けているアレ.個人的に,オートポイエシスの理論に辿り着く前に構造主義的生物学というヤツを経由してきたのだが,構造主義的生物学者の一部は何故だかイマニシズムに到達してしまったらしい,という意味で,その辺はそれなりに押さえておかないと危なかろう.Anagenesis というやつは全体主義的なものを想起させるのかもしれないが,それは実に目的論でしかない.オートポイエシスの理論はどこまでいっても結果論でしかないし,「システムを内側から見て…」なんて言っているがシステムに「意思」とか「主体性」なんてものは存在しなくてよい.そんなものを用意しなくとも,いわゆるダーウィニズムに収まるはず,というところが肝.
Stein et al. (2008) Palaeontology 51 (4), pp. 967--981. 流体ネタで先を越された感あり.しかし,しかしだ.せっかく風洞実験までしておきながら,どうして性的ディスプレイなどという馬鹿げた結論に至るのか.
2008-07-16
そもそも,分裂して異なる複数のシステムが生じる,という表現自体がシステムの外から見た表現に他ならないわけで,傍から見て分裂したように見える二つのシステムの内の一方から観察し続ければ,やはりシステムに外側なんてものは無く,何事もなかったかのように一つのシステムが継続しているだけだったりするんじゃないか,とかなんとか.
「種」をオートポイエシスだと想定すると,おそらくそれはどこまでも広がって系統ネットワーク全体に一致してしまうような気もする
(2008-07-16T13:58),という行は取り下げておこう.有向グラフを遡ってルートまで広がってしまうことはあっても,姉妹群は含まないかもしれないし.
楽観的な予想として,系統ネットワークは完全に自己相似というわけではなく,巨視的には木構造をしているだろう.どれくらい巨視的ならば木と見なせるか,という境界はやはり恣意的だが,木に見えたならばさっさとクレードとして認定してしまう,という便宜的な方法くらいは使ってもいいと思う.
細胞の親子関係という二項関係だけに基づく有向グラフを書いてみる.個々の細胞をノード,親子関係をエッジとすればよい.細胞の分裂と融合によって,二つの細胞をつなぐパスが複数生じることがある.要するに,ネットワークである.このとき重要なのは,この細胞のネットワークだけを見て個体を識別することはできない,ということである.このネットワークから個体を識別するには,たとえば親子関係の中に減数分裂とか受精という特殊な関係が存在するとか,そういう細胞システムを外から見た新たな情報が必要になる (システムを外から見る,というのも変な表現だが).これによって,細胞のネットワークを単純化し,個体のネットワークとして見ることができるようになるが,それだけであって,やはりネットワークはネットワークなのである.このネットワークの「網の目」の集合を考えると,非常に小さいもの (近親交配) からほとんど無限大のもの (いわゆる cladogenesis 的な何か) まであるし,小さい目が組み合わさって大きい目を作るという厄介な構造がある.「種」をオートポイエシスだと想定すると,おそらくそれはどこまでも広がって系統ネットワーク全体に一致してしまうような気もする.結局,「種」でもなんでもいいのだが「個体より高次の集合」を作るためには,ネットワークを外から見て恣意的な境界を設定しなければならない.
生命でも種でも個体でも,それは確かに何かを継続し続けるシステムなのだが,継続するに当たって「分岐」とか「分裂」とかいう現象,あるいはその逆の「融合」とか「共生」とかいう現象を伴うかどうかが鍵なのではないか,とか妄想してみる.
これが,例えばヒトの生殖だったりすると,若干話が変わってくる.男が精子をどぴゃーっとぶちまけたとき,はたしてそれはその男そのものなのかというと,少なくとも直感的にはそうではない.その一部が見事受精して成長し続けたとして,それはやはり少なくとも直感的には元の男とは確実に異なる個体である.要するに男 A とその息子 B は明らかに異なる個体 (システム) なのだが,「再生産し続ける (分裂し続ける)」という観点で見ると,分裂後のシステム A と B は,ともに「分裂前のシステムの続き」であり,分裂前のシステムは A でもあり B でもあるという更にややこしい事態に陥る.
DarwinCore とその Paleontology Element Definition.このやり方では,各個体を主キーとし,HighestBiostratigraphicZone などの要素によって,その個体が含まれるかもしれない層序単元を列挙している.要するに非正規なので,ビューならともかく内部形式としては非常にマズいし,一つの層の中の複数個体の上下関係などを記述するための要素がないという問題もある.上限や下限を絞り込めない場合を考えると,含まれるかもしれない単元を列挙するよりは,上界または下界のデータムを列挙するという方法の方がマシだろう.少なくとも内部では,個体も一つの基準面 a として扱い,他の基準面 b より上位 (あるいは下位) であることを示すタプルの関係 [(a, b)] として表現する方が妥当,とか思ったりするのだが.
2008-07-15
2008-07-14
2008-07-13
すると,第一段階相手に,一方は法螺を吹きまくって A から B または C に向かわせようとしていて,もう一方はいきなり第二段階に引っ張り込もうとしている,という感じだろか.単純に鵜呑みすりゃいいだけ,と言う意味で前者の圧倒的勝利が見えてしまっているが.
やや飛躍するが,相手が"正しい"と認めることがあるとすれば,それは自分が間違っていて相手が正しいという状況ではなく,自分が知らなくて相手が知っているという状況なんじゃないか,と想像してみたり.
第一と第二の区別がリテラシーとかロジックとかの有無,第二と第三はそれを突き詰めて学位を得るに至るかどうかにある.ところが,第一と第二を決めるロジックの有無というのは会話の度にシビアに確かめられるコトであるのに対し,第二と第三はあくまでも一時的な評価であり,あるいはディプロマ・ミル的な部分があるので,第三は必ずしも第二の上位になく,むしろ第一・第二とは別の軸である.学位持ちの方々を貶めて言うわけではないし,大半が第二かつ第三というのは十分承知しているが,所詮肩書きということになる.
結局,A 群向けの本に飽き飽きしている第一段階の B 群が C 群向けの脳に優しくない情報に価値を見い出して実際に読む (第二段階に進む) かどうかというのは,いわゆるリテラシーを身につけたか否かというデジタルな問題だったりする. 第二段階の B 群はそれは科学の理屈はわかっているけど諸々のコストの都合上読めていない人なので,おそらく話は通じる.それが第一段階の C 群に向かうと,一次資料まで色々と読むけど都合良く鵜呑みして曲解しちゃう困った人になる.
というのを踏まえると,とりあえずマトモに一次情報に当たったり真偽判断ができたりするようなリテラシーの持ち主,というのは K 子氏の第二段階以上に相当する.この区分が適切かどうかではなく,とりあえずテクニカルターム (M田F雄的意味での密教用語
) の問題として.
件の本を読みなおしてみるに,K 子氏の曰く,「第一段階」とはイメージとしての恐竜のまわりをうろうろすることに終始し,自らをアマチュアであると自覚するまでにも至らない.そして,生涯―恐竜ファンとしての生涯―ただ与えられた情報を吸収することのみに満足して終わる
(p. 106) ような人のこと,そしてマスコミで目にする情報と,実際に研究の現場で今注目されている情報とのあまりの落差に気づいた時,初めてその人は,情報の原点に当たることの重要さを身にしみて理解する
(p. 107) というのが「第二段階」へのステップらしい.で,最終的に学位持ちが「第三段階」なんですと.
2008-07-12
2008-07-11
2008-07-09
性能差以前に,常に機能なんてものが付いてまわると考えるのもどうなんだろうと.カタチは何かの前提条件かもしれないし,何かの結果かも知れなくて,しかもその何かは運動がらみの何かじゃなかったりすることもある.
2008-07-08
これも繰り返しだが,2008-06-28T13:13 でいうところの「わかる」とは,単純に脳に優しいだけなのか,その妥当性を適切に表現できるかという,少なくとも二重の意味がある.もちろん自然科学者の言う「わかる」は後者であり,それが脳に優しい必要など何処にも無い.したがって「わかりやすい」と言った場合には確実に前者の意味を帯びる.もちろん,妥当でありかつ脳に優しいという場合が理想であるので,最初から「脳に優しい必要など何処にも無い」と言い切ってしまうと,その辺の事情を知らない (考えたこともない) 人間にはただの不親切なダメ人間としか映らない.
おそらく絶望的なまでに対話が足りない.相手の言説を疑うにせよ,自分の言説を疑うにせよ,そのどちらがより適切であるか,あるいはそのどちらもが適切でないことを示すためには,両者の意見がどの段階で分裂してしまったかを洗い出す必要がある.そして,対立する意見 (というか,用いた導出規則) の妥当性を比較する方法を新たに探らなければならない.なぜなら,一方の論理体系ではもう一方の論理体系は自明に偽となるからである.つまり,どちらでもないメタな何かが必要になる.だからこそ,自然科学ではなくて数学が,自然言語ではなく数学が必要になる.と言っても,いろいろ端折ってるから通じないんだろうなぁ.
どうせマトモに考えられないんだから鵜呑み,という場合,どれが正しい魚なのかを適切に伝えられないと,その鵜は魚を飲み込めない.困ったことに,この鵜は中途半端に意思決定を行い,彼が魚と信じるモノを他者に伝えてくれる.
詳しい説明は難しい物理の話になりますのでここでは省略し
のような言い回しは,確かに物事をブラックボックス化/カプセル化してしまうので,そこに疑念が生じるのはある意味仕方がない.かといって,それを詳しく説明しようとすると,やれ難しいだの,説明が下手だのと.いったいどうしろと?
2008-07-07
某 y ちゃんの言う,第二段階がどういうわけか第一段階以下になってしまうという怪現象は,たいした努力もなく手に届く範囲の情報を眺め尽くしたが故に「井の中の蛙」になってしまうから,とでも解釈すればよいのか.
某掲示板定点観測所だより:自分が理解できないのは他人の説明が下手だから,自分の言っていることを理解できないのは他人が馬鹿だから.隣人が狂ってると言い出す狂人みたいなもんですわな.いよいよ終わっとる.
もう少し別の言い方をすれば,賛成と反対というのは,コメント中の意味に対して与えられるというよりも,それが新規作成される,あるいは撤回されるというイベントに対して与えられるという方が簡潔のような気がする.
A という発言があったとき,(1) A に賛同すること,(2) A に反対すること,(3) A への賛同意見 B に賛同すること,(4) B に反対すること,(5) A への反対意見 C に賛同すること,(6) C に反対すること,この 6 つは全て異なる.更に言えば,A という発言への対応 D へのリアクションも,当然ながら別.
某恐竜模型展示室の中の人と歓談するに,やはりご当地名物的な店の調査は必須だったんじゃないかという話.結局今回は行かず終い.んー,もったいない.某カートゥーン絵師/釣師 (違) さんとも一緒に呑んでみたわけですが,やはり本物と対峙してる人の観察眼には敵わないね,もっとそういう人と会話しないといけないね,という文字にしてしまうといかにも面白くないが非常に重要ないつも通りの結論.しかし呑んだ後の甘味に関しては譲れません.
2008-07-06
仙台某所でゴニョゴニョ.何故か講演後に拍手が沸き起こる某セッションでの発表は,全く想定通り過ぎる質疑が少々あった程度で,特に問題なく終了するも,それはそれで問題.同じ流体ネタでも完璧に某腕足類の人にもっていかれたカンジ.あとは,むしろ随所に配置した小ネタへの反応が思いのほか少なくガッカリ.ゆるキャラではダメということは分かったが,さてはて.
2008-07-04
2008-06-29
2008-06-28
「わかりやすい」ってことと「わかる」ってことは違うってだけのこと.わかりにくくてもわかるし,わかりやすくてもわからない (わかった気になっただけでわかっていない) ってことが起こる.要するに「わかる」という意味が一致していないのがよくない.
2008-06-27
2008-06-26
2008-06-25
2008-06-24
結局のところ,一般人が理解できないのは専門家がわかりやすく説明しないからなのか,それとも一般人が自発的に学ぶ気がないからなのか,といういつもの問題.「理解できないお前が悪い」という意見と「理解できるように説明しないお前が悪い」という意見は共に最悪,というのは某所の某氏のコメント通り.そして毎度の如く, これを私は「何でも人のせいにするのは悪い」という謙虚さの問題として片付けようとしてしまう.それはそれでどうかと思ったりもするが,今のところはそんな感じ.いわゆるサイエンスコミュニケーションというヤツはひとまず科学者側から意識的に譲歩することを目指しているわけだが,その補集合である一般側からの歩み寄りを期待できるかというと絶望的にもなる,などと言ってしまうのは傲慢だろうか.
2008-06-23
2008-06-22
某掲示板定点観測所だより:まぁ,あまりにあんまりな返答についカッとなったってのもあって,こっちの受け答えもかなり悪かったけれども,なんかもうこりゃどうにもならんね.自分が理解できないのは他人が悪いからだってのは相当ひどいと思うなぁ.
2008-06-21
某掲示板定点観測所だより:超絶展開すぎて俺涙目.そして例のナメクジウオ祖先説.結局世の中は「単細胞生物→ナメクジウオ→魚→両生類→爬虫類→ネズミ→サル→ヒト」が優勢で,分岐学的概念なんてこれっぽっちも普及しちゃいないということか.
2008-06-20
[この記事には誤りがあります.新しい記事も参照してください] 巷に流れている「人の祖先はナメクジウオ」という言い回しについて,なんつーかどうしようもなく誤解されてるし,なんつーか書き手が最悪.正確には「ホヤとナメクジウオでは,後者の方がヒトに近縁」とでも言えばいいのか.同じロジックで「ナメクジウオとニホンザルでは,後者の方がヒトに近縁」だったり「ナメクジウオとクジラでは,後者の方がヒトに近縁」と言える.厳密に言えばホヤもナメクジウオもニホンザルもクジラも,全てヒトと祖先を共有するが,どれもヒトの直接的な祖先ではない.しかし,直感的にナメクジウオやサルはヒトの祖先と言われることがあるのは,要するにそれらが仮想的な共通祖先と比較的にていると思われる,というだけの話だったりする.だから,派生形質が山盛りのクジラは,いかにナメクジウオよりヒトと近縁であっても,ヒトの祖先とは言われない.なんつー背景知識がないと読めないだろう,あの記事は.
2008-06-19
学校で使ってたヘッドフォンのフレームが壊れたので,買い換え.audio-technica の ATH-PRO30.前のより耳にフィットしていい感じ.というか,前のはクッションが薄くてスピーカユニットに耳たぶに当たってたし.
2008-06-18
2008-06-16
2008-06-15
とりあえず1ヶ月の出張から戻り,昨年末以来のドタバタが若干落ち着きつきはじめたということで,数ヶ月ぶりに家を掃除し,布団で寝てみるも落ち着かない.冷蔵庫もからっぽ.ゲームは一日三時間 (by 某名人) ということで,学校.
2008-06-05
2008-06-02
2008-05-31
つまり,フツーのウェブサイトが引用に耐えるには,少なくとも全ての更新分を完全に復元できるようなバージョン管理システムと,できればそのデータを数百年単位で保存する物理的なシステムがあることが必須で,引用時にはuriとバージョン番号 (あるいはタイムスタンプ) を載せる必要ということ.現状にuriには,空間的な概念はともかくとして時間的な概念がすっぽり抜けてる気がするから使えねー,というのが俺見解.
簡単に言えば,アレの最大の問題はファイルの更新.uriは変わらないのに内容がまるっと変わるってのがマズイ.引用文献は,文責が誰かだとかオリジナリティや信憑性がどうのこうのってことよりも,その内容を未来永劫参照できることが重要だったりする.ゴミカスのような捏造論文は悪事の証拠になるけど,その論文の内容が改竄されてしまっては証拠能力がなくなるから引用に値しない.電子ジャーナルは,ピアレビューが行われているとかそういうことが重要なんじゃなくて,「最終版」であることが保証されているから意味があるということ.
実のところ,私も「参考ウェブサイト」ないですか?って訊いてた新人類で,学部時代のレポートの引用文献リストに uri がうようよしていたというのは事実.手放しで他人を笑えはしないが,アレが使えないことは学んだし,もうやってないし.
2008-05-27
2008-05-22
2008-05-11
2008-05-08
2008-05-07
2008-05-05
「さるblogというかなんというか」を再発見.なんつーか,叩く方も叩かれる方もビミョー.これは自分でも昔やってしまったことだけれども,明らかに間違っているコトでも叩き方を間違えるとその間違ったコトの信憑性が増してしまうから困る.
2008-05-01
宝くじは買わなきゃ当たらない.そしてお金が無ければ買えないし,家から出れなければ買えない.そして,買うつもりだったけど買えなかったのと,買うつもりが無かったので買わなかった,というのは結果として同じ.
2008-04-30
2008-04-29
で,結局のところ普及活動ってどーなのよ,とか,どの辺をターゲットにして喋ればいーのよ,とかいうあたりを語るに,「連載」とか毎週/毎月の「定期開催」てのが重要なんだな-,というのは個人的に割と大きな発見.突発的なイベントとか単行本だけで何とかしようとすると,教科書的な重複部分が増えるわ,その都度大量の初心者を相手にせにゃならないわ,ビジネスとしての成功事例を示せないわ,そりゃ面白くなるわけがない.
2008-04-27
2008-04-26
2008-04-25
2008-04-24
メディアリテラシーがあるってのは,或るメディアで主張されることを理解する能力があるってことではなくて,或るメディアで主張されることの真偽を判断する能力があるってこと,あるいは,或るメディアが有害か否かという知識があることではなくて,或るメディアが有害であるか否かを自力で正当に判断する能力があるという,一段階メタな話.言い換えれば,ホワイトリストやブラックリストを利用するコトじゃなくて,ホワイトリストやブラックリストを更新し改良し続けるコトであり,試行錯誤を伴う科学的な思考がが要求されるというコト.
Perfume が流行りだしたきっかけは何かという話.ニコニコだとかカエラちゃんのラジオだとか,まぁいろいろあるけど,マトモも統計とらずに何言ってんだか,というのが正直なところ.どうも何かが流行ると「最初に言い出したのは俺だ」とか「俺は絶対流行ると思ってたんだよ」とか後になって言い出す輩がいるが,まぁ要するにそれと同じ.二次裏におけるOSたんみたいに,それが完全な創作物で初出がいつどこってのが明確ならともかく,デビュー前にだって「存在」しているアーティストとかそういうものに対して,「俺」の影響力とかなんとかそういうものを言い出すのはどうしようもなくナンセンス.「誰某ゆかりの地」みたいな村おこし手法の胡散臭さも同様.くだらねー.
2008-04-23
2008-04-21
某学会のアブスト締め切り直前.修論ネタでいくつか報告書やらアブストやら書いてるが,ようやく今回の実験の意義みたいなものがわかってきたよーな.というわけで,分かっていなかった頃に書いた修論は燃やしに行っていいですか?
2008-04-19
2008-04-18
2008-04-17
今日の疑問:古生物学が palaeONTOLOGY である意味とか系譜とか,あるいはそういうことに言及している文献とか.もっともそこんところがしっくりこないのは Ontology も ontology も理解してないからなんだけど.
2008-04-16
結局,恐竜関係の論文とか本がこれっぽっちも面白くないように思える理由というのは,恐竜が何か特別な存在であるかのように扱われていること.ゼミの教科書選定時の愚痴でも吐いたことだが,要するに地球史を語るときの,バージェス動物が出てきて,恐竜が出てきて,人間が出てきてオシマイ,みたいな,局所的な優位性をそれがさも全てであるかのように語る様な頭の悪いストーリーは絶滅すべき.あるいは,エキセントリックなカタチだからといって検証不可能な夢を語るに終始するとか,そういう思考停止がまかり通るのは気が狂ってるとしか言いようがない.
もう一つ,この本のイイところというのは,地層や生痕化石を扱っていること.生の Zoophycos とか Nereites の写真とか,ホント素晴らしい.と,若干マニアックなことも書いてはみるが,要するに堆積物として保存された過去の「変」なモノが,現在の普通の現象と等価であることを示してくれているということ.逆にそれ (つまり斉一説) さえ認めてしまえば,深海探査機で表面くらいしか観察出来ないナマモノを,岩石としてあらゆる角度とあらゆる解像度で観察できるということを意味したりもする.これが地質学/古生物学の重要性の一つだったりするわけで,それを一般書で示されたというのもコッチ側の人間にとって嬉しいこと.ところで,今回は深海だったからアレなのだが,これが浅海の話だと大桑層の話になるんだろーか,とかなんとか.禁則事項?
北村雄一さんの「深海生物の謎」を購入.この本のポイントは「はじめに」として書かれた基礎概念じゃないかと思う.深海生物は確かに見慣れない「変な」姿なのだが,それは決して新たな規則を導入することなく,普通の知識体系でも理解できそうな普通の生物であり,普通の (ただし応用的な) 技術によって観察できそうな事実だということ.もちろん,ここでいう普通の体系というのは,人間の姿の優位性とか必然性を説明するような局所的な規則ではなく,もうちょっと広域的ないわゆる物理・化学的な知識体系のことであり,神さまとか妖精さんとかの趣味でもなければ,念力とか霊力が必要なものでもない.そう考えると,北村さんとか平山さんが 2ch の某スレあたりで評判が悪かったりする理由というのは,恐竜マニアにとっての神秘性とかロマン (笑) を否定しちゃっているからなんじゃないかと思えたり.だとすると,これはもう救いようがないね.
実際,物理屋さんは「Maxwell の悪魔」というキャラを想定しておきながらそんなヤツはいないと切り捨てるのだが,言うまでもなくそれは「悪魔」を否定しているのではなく「想定した行動規則を遵守できる悪魔」を否定しているだけだったりする.それができないようなヤツは「悪魔」じゃないと言われたらオシマイなのだが.
たとえば,全知全能の神様とか妖精さんとかいったご都合主義がダメな理由は,事態が成立しうるための規則というものを彼らの意思決定基準とか能力といった一段階メタな部分に棚上げしてしまっているからである.つまり,科学的な意味で知りたいコトというのは,(仮に気まぐれというランダム性であったとしても) その規則であって,その規則を何者が運用しているかではない.だから,科学者は「大宇宙の大いなる意思」的な何かを否定する気は本質的に無い.ただそういうことを予言者を通じて教えてくれた神の言葉 (規則集) というのが事実に反するというあたりが問題だと主張しているだけなのだが,こう書いてしまうと,神を信じないが故に事実の認識手法に誤りを生じている,などと反論されてオシマイ.
自分用メモ:いつの間にかAMD780Gなんつー時代.LFB付きモデルは J&W,JW-RS780UVD-AM2+; Jetway,HA06 あたり.つーか,もはやATA133ポートは一つだけ.移行するにしても手持ちのHDDはどうしてくれたものか.
2008-04-15
2008-04-14
メモリ増設しようとしてスロット1 (バンク1) をぶっ壊してしまった模様.元々2スロットで2GBのところを1GB分失って,空いてた2スロットに4GB足して,結局5GB.動くにゃ動くが精神衛生上,全然よくない…orz.
2008-04-12
性格的な問題として「謙虚さ」が感じられない無いような人間はおそらく科学的な思考というものはできないものと考えているし,それゆえそう言う人間とは絶対に仲良くなれないだろう.逆に言えばマトモに科学できる人間とは単に仕事のすばらしさという意味だけでなく人間性においても共感できるんだろうなぁと期待できるし,仮に科学に携わらなくとも謙虚な人ならば非科学に惑わされない会話ができると期待してつきあえると思ってたりする.
結局,この「謙虚さ」というやつが,これまで科学について語ってきたときの「謙虚さ」や「潔癖さ」であり,あるいはここにも繰り返し書いてきた「他人を理解しろとは言わないが,他人が自分とは違うことは理解しろ」という言葉に反映される行動規範だったりする.
かつて何度となく「口論してきた」という話を書いてきたが,要するに相手に謙虚さが見いだせなかったことに端を発する.私のことを奇人と評するのは構わないし,それは何より私が自分のことを奇人かもしれないし,あるいはコミュニティ次第ではただの凡人と評されるのも当然だと思っているからである.ただ,その評価をさも自分は平均的で正常な一般大衆であることが自明であるかのような尊大な視点から下されることに,絶望的なまでの思考パターンの違いを思い知らされ,殺意にも似た感情が沸くだけなのだ.
おそらくヤサシイという言葉の捉え方がカギなのだろう.ヤサシイ一家が現れたのは「共感能力がない世界」だった.この共感を,単に他者を理解するというように捉えると恐らく齟齬が生じる.もう一歩控えめに,他者が自分の立ち位置とは違うことを理解すると考えてみる.優しいという言葉は「無償の愛」みたいなものを想起させるが,それは一歩間違えると,あるいは間違えなくとも穿った見方をする第三者にとっては,ただの傲慢さであり,自己満足であり,偽善なのだ.そうではなく,相手が自分とは違うこと,自分の行いに誤りがないかを自省するという意味での謙虚さなのだ.「無償の愛」は自己犠牲的なものを漂わせるが,それは決して謙虚さではない.
「社会に感染する異端、星に感染する異端」という小話.作中のカワリダネが直感した永遠性については共感できるものの,ヤサシイ家・初代に何らかの理解を示したというあたりを未だ理解することができていない.
2008-04-11
2008-04-08
結局,CoSTEPというか,科学技術コミュニケーターというヤツが,どんなヤツを仮想敵にしてるのかがまるでわからない.それなりにリテラシーがあるけどうっかり誤解しているヤツなのか,厨二病患者なのか,スイーツ脳なのか.
2008-04-06
2008-04-05
2008-04-04
そう言う意味で,真偽判断をベースにする論理の他に,美的感覚を共有することで成立する論理とか,いくつか存在してはいるのだろう.そういう中でわざわざ科学的であることを選ぶってことは何なのかという話.
実際に問題になるのは,自分の感想が妥当であることをわざわざ示そうとすること,他人に共有してもらおうとすること,そのために他人に通じるとは限らない論理体系をつくること,その論理が通じないことを理由に他人を責めること(美的感覚が狂ってるとか).そういう人に,あなたの使っている論理は私には通じないので別の共通の論理を使ってくださいと頼むと,それは手前の勝手だと騒ぎ始めるから,なおさらたちが悪い.他人の論理に耳を傾けようともしない社会不適合者ともいえる.こまったことに,非科学的な範囲でもたまたま趣味(好き嫌いの判断傾向)が一致するということが起こるため,その感情的な論理が正当性を帯びてしまうことがある.
つまり,科学的に何の根拠もない命題は当然ながら好き嫌いとか美醜の判断の根拠としては不当だし,そういう感情が事実認定の根拠にならないのも当然のこと.だから,あなたの事実認識は科学的にオカシイ,というようにコメントしても,非科学的な範囲では妥当だと言い出す.もちろんそこまでは妥当なのだが,非科学的な範囲でのみ通用する霊的存在を科学的な範囲にまで適用してくれるのが問題.なにしろこの霊的存在は科学的な問題まで合理的に説明してくれる.
水は何でも知っているかどうかという問題.結局「みz(ryは非科学だよ」派のキャンペーンは何を以て達成されるのか,そこんところが分からない.そういうことを言い出すヤツはどこからともなく沸くので,いつまでたっても不愉快な思いをし続けることになるのだろう.むしろ,そういうデムパなことを言い出す人間を簡単に黙らせることができる呪文を紡ぎ出すことができるかどうかが鍵なのかもしれない.もっとも,相手は論理なんかどうでもいいと思っているので,相手の価値観と趣味を全否定するような合理性のカケラもない呪文になってしまうのだろうが.
2008-04-03
2008-04-02
2008-03-31
例えば,科学的な思考の結果を雑学としてちまちまと紹介する場合,その中にニセ科学が紛れ込んでも判別ができなくなってしまう.また科学者や技術者の人生を紹介する場合も,いわゆるライフハックと同じでいわゆる勝ち組の結果論となるか,あるいはただの精神論となってしまう.
悪循環の要因は (1) 科学に興味がない,科学を信用していない人間は,コミュニケーションの場に現れない; (2) 真っ当なフツーの研究者は忙しすぎるのでコミュニケーションの場に現れない; (3) おかしな人は暇で,しかも声が大きい.だいたいこの3つ.
北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット (CoSTEP) にでも参加しようかと思い概要のページなどを見てみるも,科学的思考の重要性はわかっているけど職業研究者じゃないから今北産業的な何か,しか想定できていないようにしか見えない.
訂正:憲法改変について,新たな憲法が既存の憲法に反するという意味では間違いなく「改悪」だし,改憲しなければならないという社会通念に照らし合わせれば「善」という概念を新たにする,すなわち「改善」となる.
一般人にとって科学が難しすぎるというのなら,言い換えれば正直どっち正しいのか専門家ではないのでよくわからんというのであれば,なぜ科学者が懸命に研究した成果が信用されずに似非科学の方が選択されてしまうのか,mixiの某氏が指摘していたが,「新しい」とか「今まで聞いた事がない」などという理由で正しいものと信じられてしまうという怪現象が起こる.つまり単なる「改変」が勝手に「改善」に読み替えられ,そこには「改悪」という発想がない.逆に憲法第9条に対する左翼の発想のように勝手に「改悪」に読み替えられる例もあり,要するに論理なんてものはこれっぽっちも存在しないので,論理で説き伏せることができない.
論文の質やその真偽は執筆者の学歴や社会的地位で決まるものではない.しかし,科学者も論文を読む際には所属機関や学歴を確認する.これは,真っ当に科学をやっている人間にとって質の高い研究を行う為にどのような環境が必要であるかにある程度見当がつくこと,そして執筆者がどのような視点から観察・検討しているかに見当をつけることができるためである.逆に,たとえイオンド大学であっても博士あるいは教授でさえあれば権威として認められてしまうのは,学歴がどのような意味において重要であるかを考えず,結果としての肩書きしか確認しないがためであり,結局エセ科学に引きづり込まれてしまう.
陰謀論を支えるのは「科学者や主流派の主張にさえも疑問を持って何かを主張できる俺エライ」的な心理.いわゆる厨二病.他人の主張を疑う事に加えて自分が馬鹿である可能性まで疑えるかどうか,そして馬鹿であることに居直らずにいられるかが問題となる.
2008-03-26
何度となく書いてきたことだが,「科学は万能である」という誤解があるが故に,科学は役に立たないと思われてしまう.科学がどうにもできない問題というのは,要するに論理もへったくれもなく,万人が納得する解が存在しない問題ということになる.それでも解というか意志決定が必要な場面があるのは確かである.こういう場面では論理など存在しないのだから,最高意志決定機関が主観的に決めてしまえばいいのに,そういう奴らが「論理的だから」とわざわざ言い訳するから問題になるのである.つまり「論理などないところに『論理』を用いようとすること」と「論理ですべて決まるところに然るべき論理を適用しないこと」が問題.
「陰謀論」と呼ばれるものにも2種類あるような気がする.一方の典型例は「アポロ計画」で,本当に月に降りたか,あるいはアメリカが「月に降りた」と言い張っているだけか,というもの.もう一方の典型例は「9.11」で,アレを本当にアルカイダがやったと思うか,アメリカがアルカイダがやったことにしていると思うか,というもの.どっちも物証があれば解決するという意味で似たようなものなのだが,逆に全く有効な物証が残らない場合,前者の例では「アポロは月に降りていない」ことになるのだが,後者の例では「わからない」という結論に至ることになる.
2008-03-24
某mixiに書きためたこともあわせてみると,科学への無理解というのは,自分の思い込んでいることと研究者が主張していることに違いがあることに基づき構築された陰謀論,としてまとめられる気がする.
「知られざる日本の恐竜文化」にみられる,古生物への分岐分類の適用を否定する金子隆一氏の誤解: (a)データマトリクスが完全ならば唯一の正しいクラドグラムを復元できる ;(b) データマトリクス上にnullないしunknown があることは客観性を欠く.第5章で触れているそれ以外の何かは,仮想敵に吠えているか,論旨とは関係ないネガティブなことに触れることで誤読を誘っているかのどちらかで,彼の分岐学に関する誤解と研究者に対する誤解によって全体が歪められているだけである.
「知られざる日本の恐竜文化」にみられる,K/T での隕石衝突を否定する金子隆一氏の論理:(1) Alvarez et al. (1980) に始まるK/T境界における隕石衝突説の論証は適切であった;(2) しかし,隕石衝突と恐竜の絶滅の間の関係を適切に指摘できた研究者はいない; (3) ゆえに,隕石衝突は無かった.以後,論文を曲解して引用して独自理論を展開.彼自身が「恐竜が絶滅しました.それはなぜでしょう.」式と揶揄している論法に陥っているのは何かの冗談だろうか.
世に出回る恐竜本/番組の内容とか質とか20年くらい前から何か進歩ってあったんかいな,と常日頃から管を巻いとるわけですが,短期間での一般人の啓蒙に成功した学術分野ってあるのかねぇ,という疑問.
2008-03-23
2008-03-20
2008-03-16
自分で言ってりゃ世話はないが,もともとあっちがわのダメ人間だったのが,こっち側に足を踏み入れようとそれなりの努力をしている最中なので,恐竜好きを理解できないまま地球科学/古生物学をやってる人間よりは,あっちの理屈をわかっているつもりだが,それでもどうしようもない溝はあるよなぁ,とかなんとか.その溝がなんなのかわかってないあたりがダメなんだけど.
某掲示板の内容があまりにあんまりなのでツッコミを入れようかどうしようか,と思いつつもあまりにツッコミどころが多く逐一潰していくのは不可能であり,かといって抽象的に言おうとすればイミフと言われ,そもそも教科書的な概念が通用しないので本読めと言えばそんな暇はないと返される.そんな向学心のカケラもないような連中相手に何ができるというのか,などと思いつつ,現状としてカスみたいな本と掲示板だけでできあがってる恐竜コミュニティというのはかなり問題なんじゃないかとかなんとか.
2008-03-15
恐竜マニアの間でまことしやかに流れているKT境界のイリジウム濃集は5つもあるよ,という説.某K子氏が紹介したのが脈々と受け継がれてるんだろうけど,その元ネタとして紹介されてる Hallam, A. (1987) End-Cretaceous Mass Extinction Event: Argument for Terrestrial Causation. Science. 238, pp. 1237-1242. を読んでみたわけだが,どこをどう読んでもピークは一つ.おそらくK子氏が誤読したのがひたすら伝搬し続けている模様.恐竜屋の悲惨なところは「恐竜」という単語が含まれる本しか読まないところで,そりゃK子氏を介したデムパな話がまかり通るのは当然.もうちょいがんばって地球史の本,たとえば川上伸一・東條文治 『図解入門 最新地球史がよくわかる本』とか,平野弘道の『絶滅古生物学』とか,その辺にでも手を伸ばしてくれりゃどれだけ話が早くなることか.
2008-03-13
取材をして,わかりやすいように編集して,という仕事自体は必要だし,それを生業とするジャーナリストやら映像屋さんのマネージメントをするという意味でのテレビ会社やら新聞会社は存在していいと思う.そいつらが第4の勢力だとか言い出したら即刻潰すべきだが.
その生中継だって結局 web 上のストリーミング配信で済むわけで.となると,テレビがテレビである必要性って,受信装置の操作がひたすら簡単であること以外にはなくて,チャンネルを探すのも面倒な人々のために,大多数が好きそうなチャネルを片手の指で収まる程度の数だけあらかじめ選んでおいてあげる,というそういうメディアなんだろーなー,とかなんとか.
単にランダムアクセス性を求めるだけなら新聞とか雑誌みたいなものでも全然かまわないのだが,そこで満足できずに web に行き着くのは,音声とか動画のようなマルチメディア的なところとか,ハイパーリンクできちゃうところとか,簡単に全文検索できちゃうところとか,そんなもんではなかろーか.
テレビの何がダメかって,シーケンシャルアクセスしか許されないところ.しかもシーク速度が会話の速度かそれ以下だったりするところ.データ探しのために限られた時間の中でできるだけたくさんのチャンネルからアクセスしなければならないという需要に対し,絶望的なまでに使えない.
2008-03-11
2008-03-10
2008-03-08
2008-02-27
2008-02-26
2008-02-24
それにしてもあれだ,空港で待たされてる人間のしょーもないことしょーもないこと.天気のせいなんだから飛ばないものはどうしようもないし,ほぼ全便欠航で機材の目処も立たないのにキャンセル待ちで勝手に押し寄せて,やれ手際がわるいだの誠意が足りないだのと航空会社の人間に罵声を浴びせるとか,どれだけ頭悪いんだよ.特にANAの11番カウンタで勝手に仕切ってたおっさん,てめーだよ,一番頭悪いのは.
つーか,千歳だけ閉鎖ってのがまた微妙にめんどいところで,千歳-成田は飛ばないけど成田-ヒースローは普通に飛ぶわけで,ヒコーキの予約変更,ホテルの予約変更,博物館のキュレーター諸氏とのスケジュール調整と,むしろ仕事増えてるし.
年明けから,修論,学会発表,ロンドン出張と大忙しのスケジュールで,隕石落ちないかなとか,ヒコーキ落ちないかな,などと念じつづけて数ヶ月.ホントに空港がクローズしやがったwwwこれからはシャーマンを名乗ります.
2008-02-22
2008-02-19
この議論を研ぎ澄まして義務教育レベルに落とし込むなら,連立方程式だろーか.つまり,解が1つのこともあれば,解は無いかもしれないし,解は無数にあるかもしれない,というアレ.方程式の解が1つに定まって欲しいという願望が強すぎる,解なしとかっていう可能性を忘れ去っている,あるいは方程式の解が定まるための条件が思い浮かばない,みたいなものなんではないかと.この理屈が数学にしか通用しないとでも思い込んでるとしたら,かなり絶望的.つーか,こういう数学の理屈を日常の理屈にまで拡張するのが中学の数学教師の仕事じゃねーの?とか.
2008-02-18
2008-02-17
2008-02-16
2008-02-15
もともと ZEN NEEON を使っていたのだが,ケータイ (p704iμ) も一緒に持ち歩いて…というのが邪魔に思えて,ケータイの音楽プレーヤ機能でなんとかしてしまおうと画策.しかし面倒くさい.まず SD-jukebox なる専用ソフトを使わなければならないというのが面倒くさい.著作権保護機能付きの SDカードライタが必要というのが面倒くさい.仕方ないので両方調達したものの,うまく動作しない.SDMI 準拠のリーダ&ライタを使っているというのに認識しないし,NAS上のディレクトリを読み込まない.はっきり言って,使 え な い.だいたい「著作権保護機能」というのが謎.具体的にどの規格なのか明記しろっての.つーか,DRM とか関係ないファイルも扱えないとか,もうね,死ねよ.
2008-02-14
2008-02-12
京都に現実逃避プロジェクト.トワイライトエクスプレスでディナーとかっ,などと思ったもののやはりアレはボンクラびんぼー学生の一人旅で利用するものじゃねーなー,とかなんとか.次点,500 系の新幹線.
2008-02-10
2008-02-09
2008-02-07
病み上がり,つーかまだ若干残ってる気はするが,あまりにも仕事が多いので早くも泊り込み作業中.つーか,この時間になっても,さも私が居て当然のように仕事の打ち合わせをしにくる指導教官もどーかと思うのだが.