下が古い.上が新しい.間は他所

2009-04-30

今日覚えた言葉:Computer-Aided Diagnosis (CAD)

つーか P. ingens て nomen dubium か.

上腕骨から第四指末節骨まで完全に保存されてる翼竜のうち,最大サイズのヤツってどれくらいのもんなのか,という疑問.Pteranodon ingens くらい?

結局,paleONTOLOGY なんだよねー.

2009-04-29

なんかこう,もにょもにょと残る何かがありますなぁ.

「チューリングテスト」という考え方と「中国人の部屋」という考え方の間の齟齬みたいな.個人的にはタイプ (= クラス) を対象とすると前者,トークンを対象とすると後者,という解釈.If it walks like a duck and quacks like a duck, it must be a duck は,あくまでも (クラス・ベースの) オブジェクト指向における発想.

たぶん機能主義って言葉の多義性が問題.特に機械論や還元主義との関係性という観点での違いが.

今日のおもしろ概念:科学的な定義.…だめだ,腹筋が捩れる.

懸案事項:行動主義と機能主義の違いについて

自分語りが酷い.自分で言ってりゃ世話はないが,ストレスたまってると思う.というかストレスって buzzword でしかないような気がする.

一時期やたらと固執したインターフェイス指向 (というかオブジェクト指向)や型理論の話ってのも無縁ではないし,Haskell に触れてモナドって何よ,って悩んだことも,内部存在論的でもいいじゃないかという方向に向かう要因になった.同時に,圏論の話も機能主義的なところとの関連があるし,当然それは修論で機能形態学 (笑) をやったことに関係がある.あとたぶんもうひとつ,「『こうなりたくない』ではなく『こうなりたい』と思え」的ライフハックが嫌いだといつぞや語ったことも,制約プログラミング的な意味でそれほど悪くないと思っていたりする.

個人的に Uexkull の話に傾倒するようになった下地として,学部時代の教養科目として言語学関連の講義ばっかりとって Saussure の記号論的な何かとか,神尾昭雄の「情報のなわばり理論」なんかを吸収した,というのがある.もちろん,古生物系の人間として Gould の著作の影響もでかい.

2009-04-29T01:30の続き.私が環世界論に引きつけられる理由は,これが神秘主義から陰謀論,果ては虹裏世界まで,あるいは生物と非生物の関係や,科学的な態度を選ぶべき理由まで,うまいこと表現できる気がするというのがある.ま,ご都合主義の無敵理論であり,そういう意味では非科学的なんだが.

J.v. Uexkull の環世界論は,主観を重視した構成主義的なもので,つまり内部存在論的だという点は間違いないのだが,アレが生気論だとか目的論につながるという理屈がどうしても理解できない.というか,「主観的で何が悪い,目的論的で何が悪い」という開き直りと捉えるのは早計だと考えている.ポイントは生物学者としての Uexkull せんせーの態度は機能主義以外の何者でもない,というところ.つまり何を知覚しているかを反応 (作用) を見て考える,という態度.で,そこから先は,自分には内的な世界があるから他者にも内的な世界があるんだろうけど,でも見えるのは出入力だけだし,たぶん他人からは自分の内的なものなんか見えないだろうし…ってことは,出入力の対応関係のの可塑性を指して生気とか心理とか知性とか目的とかって呼んでるだけじゃねーの?という推論をしたんじゃないか,というのが個人的な解釈.そういう意味では,いつぞや語った機能主義的な心理学は成り立つ.そこからさらに,ヒトを生物の中で特別なモノと位置付けるのはやめろ,とか,知性を特別視するのはやめろ,という教訓が得られるわけで,チューリングテストやら中国人の部屋なんかの発想と極めて親和性が高い.あと,この考え方は明らかに多元主義なんだが,それは決して合意されないということでもなければ,合意したモノとしての神秘的な精神世界を必要とするわけでもなく,それこそが物質的な世界としての環境 (Umgebung) なんでないのかね?というのも非常に大きなポイント.たぶん,ここんところを指摘したのが U(ry せんせーの素晴らしいところ.要するに "構成主義 + 機能主義" は唯物論的な科学観にそれほど反しないんじゃないの?というのが結論.とんでもなく雑な考察なんで,真に受けないよーに.

2009-04-28

ニセ科学自体は論理的な破綻や精度の低い主張なのだが,科学批判やニセ科学批判偶数組は,言語の違いによるコミュニケーション不全を指摘している場合を含むような気がする.英語で喋るな,日本語で言え,みたいな.

同じ概念を別の言葉で呼んでることもあるし,別の概念を同じ言葉で呼んでることもある.科学ってのはその辺でミスを犯さないように,言葉の正しい使い方ってのを決めている.問題は,その使い方を知らない人にとっては,その使い方の正当性ってのが分からないということ.端的に言えば,そう決めたんだからそれに従う,というだけ.つまり,科学を心得ている人が (そうでないように見える人に対して) 説明しなければならないことは,単に自身の「言い換えの規則」や「文脈」を説明することではなくて,自身の言葉と相手の言葉の対応関係を探り,それを明示することだったりする.例えば「それは科学じゃない」と言い張ることではなくて「我々が科学と呼んでいるモノは,あなたが**と表現している概念のことではありませんか?」という具合の翻訳を模索する必要があるということ.そうでなければ絶対に合意は得られない.もちろんこれは,対応関係があれば,の話.それぞれの論理にしたがう矛盾探しはそれからでも遅くない.

今日のありがたい言葉: 一般的な注意をするしかないので慌てることもありませんが

そういう意味で「ドラえもん計画」ってのは「幻視でないことを形式的に確かめたい」という素朴な欲求だったりもする.そんなもの他人との会話で済ませりゃいいじゃん,その方がはるかに早いよ,てな説もあるが.

2009-04-28T00:39 の補足.生物と非生物の識別について,全く個人的で素朴な観点からは区別できないと言うだけで,他人と合意できれば分ける (たぶん,落としどころは「細胞」).「区別できない」と言った真意は,擬人化とか幽霊とかアニミズムとか陰謀論とか,そういった方面の概念との繋がり.

2009-04-28T00:14 の続き.そういう意味では「『明らかにできた対象』を『自然』と呼び,『何かを明らかにすること』を科学と呼ぶ」の方がしっくりくるのだが,これでもまだ気持ち悪いし,他者にも受け入れられるとは到底思えない.より適切に表現しようとするなら,「『自分の考えのうち,他者と明確な合意を得られたもの』を『自然』と呼び,『他者と明確な合意を得ること』を科学と呼ぶ」といったところ.もちろんこれでも不足があると思う.だいたい,こう書くだけでは宗教でもニセ科学でも何でもアリのように読めてしまう.ただ,さんざん繰り返しているように,私には環世界以外の何かが見えているとは全く思っていないので,「他者から合意を得る」というのは「環世界内の対象に何かを入力した際に予想通りの出力が得られる」というコトとしてに捉えている.同時に,個人的には生物と非生物を区別する気がないので,というか生物と非生物の分類は自分の環世界の中で行われる極めて恣意的な分類だと思っているので (2009-03-13T13:13; 13:26),対象が非ヒトならば非言語的な対話が成功すること,すなわち高精度の観測が行われること,特に対象がヒトならば言語による対話が成立すること (展示と解説 @ 某糾弾するサイト),というように考えている.

例のエントリの最後に問われたような気もする自然科学とは、自然(現象)の法則性を明らかにする学問だという表現について.もはや文脈なんてモノは散在してしまっている状況で,ココで迂闊に何かを書いてしまうことはブーメラン以外の何者でもないのだが,この表現が気に入らない理由は,発言者が「真理」のようなものを意図したかどうかではなく,聞き手である私が,まるで小学校低学年の算数の問題のようにあらかじめ正答が与えられているかのような印象を受ける,という極めて個人的な言語感覚によるもの.あくまでも日本語の問題.そんなわけで,そんなコトは意図してないし論理的にも必要ない,ということが形式的な言い換え (あるいは文脈) によって示されれば (というか,それに気づけば) ,あぁそうですか,という生返事をするしかない.でも,この言語感覚がなかなか覆らないんだよなぁ…

2009-04-27

buzzword: 哲学.

2009-04-26

誤解というか,混乱.精度とか再現性とか,その辺は夜の特別講義「思索と人生」で毎度扱っていることなので省略>某氏.

より正確に言えば,最初から誤差論的な意味がまるっと抜けていたからではない (これでも修論では計測をやってたりする) が,若干の誤解はあった.「精度」という言葉で納得できたのは「精度」の文字通りの意味が分かったという意味ではなくて,あの一連のコメントで apj さんが「近似」ではなく「精度」という言葉だけを強調してくれたおかげで,特に 現行の科学の精度>>(越えられない壁)>>インチキ宣伝で使われるニセ科学の精度 というコメントのおかげで,「精度の高さ」を「合意」に読み替えることができた,という点が大きい.それが正しい読み替えかどうかは別として.

「測れるものの全て」は外在的な存在なのだろうが,「他者と合意したもの」は内在的になる.いや,もはやその域に達すると内とか外とかって概念自体が危ういのだが.一般には前者を自然と呼ぶのだが,Uexkull 信者の私にとっては後者.

たぶん,「自然」って言葉と「真値」とか「真理」という言葉の関係が問題.

だいたい整理できてきた.多分あのエントリでの肝は,それぞれが公準をどう設定しているか知らないけど (= それぞれの哲学なんて知ったことではないけど) それって結局は同じ公理系をつくるよねという確認をしましょうということと,それを説明する言葉は文脈 (= その場の空気) を読んで選びましょう,ということ.それだけ.そこに空気を読まない人が乱入するとああなる.問題は,空気を読まない人が「それはおかしい」という場合には,その人の個人的な公理系に矛盾がある場合と,単純に言葉の対応関係がおかしい場合があるということ.私自身は後者だと思っていて (それについては下に書いたとおり未証明),実際あの命題を文脈を全て読んで解釈すれば (= 形式的に解けば) 間違ってはいませんね,というのが一連のコメント.問題は「近似」という単語については計測屋さんの流儀に従った,あるいは数学屋さんの流儀に従った定義があるにもかかわらずそれを無視してしまったこと (むしろ俺が駄目ポストモダニスト).あとは「自然」という単語に対応する概念の,こっちとあっちの対応関係がわからないというのが引っかかっているところ.なんとなく,対応する概念が無いような気もする.それって,公理系の不一致かもー,俺オカルトかもー,って不安があるので,片っ端から確かめさせてもらえませんかー,とか思ったりもしたが,相手も暇じゃないし,あそこにはあそこの公理系でしか喋ってはいけないというルールが敷かれているので,私の公準からの演繹はまずい,っつーか他所様のテリトリーで何を始める気だよってことで,個人的に終了.関係各位には陳謝.長い.

既にある「自然」という概念は,たぶん妥当.だから自然科学という分野があるし,そこではその通りの意味で「自然」という言葉を使わなければならない.問題は,自分がその単語を口に出すためにはある程度納得できていなければならないことで,それゆえ使い方がよくわからない単語を他人が難なく使っていると,何を言っているのかさっぱりわからなくなること.そういう意味で,「自然」という言葉に疑問を呈しているのは,別に既に使われている定義を忘却したいのではなく,それが何なのかをハッキリさせておきたい,というだけだったりする.それを「素朴にわかるでしょ」と言われてしまうと,あぁそうですかとしか答えられなくなってしまう.もちろん相手だって暇じゃないので,そう答えたくもなる.

一連の発言を読み返すと,どこからどうみてもオカルトの人だったりする.ぷはー.

2009-04-25

よーやく理解した.精度な.確度じゃなくて.

と書いておきながら,あれが無矛盾であることの厳密な証明はしていないので,わかりませーん.とりあえず,無限後退に陥ると予想.

あれ自体は無矛盾かもしれないけど,いくつかの単語が既に定義され,しかもそれらの再定義が認められないのであれば,私にはもう何もできることはありませーん.対応関係を指摘するだけでーす.

環世界の存在とか言語の恣意性とか,あるいはシステム内部からは出入力が見えないとかって話をあの場で演繹的に示せばいいんだけなんだが,一口で言えばめんどい超めんどい.いや,それじゃ対話が成り立たないのは知ってるが.

というか,記号化というアイデアを認めないとか,記号化されていないものが見えているとか,それって科学だろか.

記号化は近似ではないと思うんだが,これは果たして「哲学的」な問いだろか.

一応 Natural History Science を専攻しているというコトになっているのだが,Natural History ってのがナニモノなのかをちゃんとわかってるとは言えないことは正直に告白しなければなるまい.

某掲示板定点観測所だより:ドンビキです (あまりの観測範囲の狭さに

備忘:2009-04-24T10:26がらみのアレコレは「oanus-bookmark/比喩」で.いかに限られた語彙を駆使することで異なる (かもしれない) 概念を伝えるか,あるいは,いかにして誤解が生じるか,という意味で.

2009-04-24

だってさー,アレが修論 (と,それに続く今書いてる論文) のテーマなんだもん.

K 村さん例のダーウィン本科学ジャーナリスト賞2009の大賞を受賞したらしい.個人的にアレはとてもいい本だと思うので,理由はどうあれ (リンク先変更: 2009-04-24T22:43),アレとかアレ以外かがたくさん売れるようになることはとてもいいことだと思う.いや,いつぞやの本が売れる売れないという文脈で考えた上で,ですよ.とりあえず,おめでとうございます.

ちなみに,別に環世界 (= 形而上) が先で環境 (= 形而下) が後,なんてことは思っていないので念の為.いや,思っていてもいいんだろけど,どっちが先でもいい話だし.

某所で生じた…というか元々あった熱源に油を注いでしまったについて.ひっかかったのは,統計学で言うところの fitting と model selection をまとめたものを「近似」と呼ぶコト自体は ok なの?ということと,「真理」とか「自然」という文字列で指したものは J.v. Uexkull の言う環境 (Umgebung) と環世界 (Umwelt) のどっち?ということの 2 点.まとめたものを「近似」として環境を「自然」と呼ぶなら「自然科学は自然を近似する」でも間違ってはいないと思うのだが,この話を目撃するまでは fitting が近似で umwelt が自然だと思っていたので,むしろ発端の記事の方が違和感が無かったという話.まぁ,両者の話を聞いた今となってはどっちでもいいんだけど.

2009-04-23

我惟ふ,故に我在り ってことは,考えてる自分と,自分が考えていることの 2 つは存在するということ.当然ちゃ当然.この他に幾つの余計なものを加えるかが問題.

続き.OsiriX の変換はどうもうまくいってなさげ.で,あらためて ImageJ + Bio-Formats + JAI Image I/O Tools を試したら,実は変換できることが判明.問題は Stack まわりの操作.んーむ.

2009-04-22

やっていたのは 16 bit lossy jpeg の DICOM ファイルを native DICOM に変換するだけの作業.そういう形式だということを見極めるのに苦労した上に,Windows 用フリーソフトでは全く対応してしておらず,しかもそんなファイルを MacOSX の OSIRIX が何事もなかったかのように扱っちゃうあたり,徒労に終わっただけとしかいいようがない.

なんで JAI image I/O Tools の windows-amd64 版バイナリは配布されていないのか.あがー.

2009-04-20

方針決定.やっぱり私はドラえもんを作る係らしい.

2009-04-19

某画像解析プロジェクトがらみで論文を物色.当初は単純作業のお手伝い的な意味合いでの提案だとばっかり思っていたのが,実はあのツンデレ指導教官ってば,ガチでこの仕事狙ってたんじゃないかって気がしてきた.KOEEEEEE!

科学コミュニケーションがらみの本を数冊立ち読み.双方向のコミュニケーションが重要ってのはわかるんだが,具体的事例の紹介ばっかで全く腑に落ちない.

例のアレ.指導教官に捕捉されたらしい.ちゃんと本業もやってますよー (小声で

アレへの批判でまだ書いていないのが「ヒト/恐竜が地球を支配する」という思想.既に何度か書いているように,この手の発言をするヤツは無条件に馬鹿認定.もっとも,あそこに書くべきかは検討中.

2009-04-18

例のサイト,とりあえず問題点を指摘してみた.いつぞやの「わかりやすい」と「正しい」の問題に帰着.

こと geology だの paleontology なんて,元の対象も観測技術も偏りまくりって前提で進める学問だったりするわけでして.いや,他の分野もそうでない筈がないんだけど.

どっかの誰かさん (笑) が同時多発的にメディアリテラシーの話を書いてた.おそろしいおそろしい.なんつーかね,発信者は発信者が伝えたい情報しか伝えないし,受信者は受信者が信じたい情報しか受け入れないわけですよ.そんなもん受信者の積極性やら発信者の良心なんつーもので解決するわけがない.事実だけを公平に伝えてくれれば受信者が偏り無く思考するとか夢物語もいいところ.もはやキチガイの域.必要なのは,自分の偏りとか相手の偏りってやつを意識する機能だったり,あるいはそういうのもひっくるめた思想云々を柔軟に更新するための,再帰的な論理 (メタ論理 ?) だったり,という感じ.それって要するにこないだ書いた情報幾何がらみのアレコレとなんだけど.

2009-04-17

その昔は mixi ニュースとそれに対するユーザのレスポンスにコメントするなんてこともしていたものだが,ニュースソースが増えた (りユーザが増えたりした) 結果,S/N がどうしようもなく悪くなったので,ニュース自体を見えなくしてしまった.つまり,ニュースを自分で探しに行かなければならない.どうやらサンプルサイズの増加率に対し,シグナルの増加率はそれほど高くないらしい.それでもシグナルを増やすためにはサンプルサイズを増やさなくてはならないわけで,なんとも効率が悪い.何もこんな話ははじめてではなくて,その昔テレビを見るのをやめたのと同じ経過のような気がする.今はソースを選んで RSS 集めている方式なわけだが,これもいずれ破綻するんじゃないかと思ったりする.

Adobe Illustrator CS3 は 1024x768 以上のディスプレイ解像度を要求しており,ideapad s9e (1024x600) のようなマシンでは,インストールが強制的に終了してしまう.実際,インストールができてしまった状態でウィンドウのサイズをそれ以下にできるんだから,そんなわけわかんない仕様にすんなよ,って気もするが,逆に言えば,インストールのときだけ騙してやればインストールできるいうこと.で,探してみると「Illustrator CS4を無理矢理インストール - HP Mini 1000」のようにソフトウェアのレベルで解決する方法が編み出されていたりするのだが,インストールの時だけ高解像度のディスプレイを接続してやるというハードウェアレベルでの解決策もあったりする.とりあえず,内蔵ではなく外付けの方のシングルディスプレイとして解像度を 1024x768 以上にしてやれば,何の問題もなくインストールできる.また,その後,内蔵ディスプレイのみとして解像度を要求より下げてやっても,全く問題なく動作する.

twitter と はてなハイク では,後者の方が肌にあってるよーな気がしてきた.

lenovo ideapad s9e を購入.w2k pro から vista x64 biz に移行していた人間にとって xp home sp3 は耐え難く不安な os だったりする.で,早速問題になったのが,samba (on FreeBSD) への接続.CIFS で NTLMv2 認証だけ受け入れる設定にしていたのだが,xp home はデフォルトでは NTLMv2 が使えない上に,GUI での設定ができないため,regedit でレジストリを直接弄る必要がある.HKEY_LOCAL_MACHINE \SYSTEM\CurrentControlSet\Control\LSA の LMCompatibilityLevel を 3 にすると解決.つーか,これに気づくまでに何時間かかったやら.

2009-04-15

よくわからないんだが,隕石衝突説が「斉一説 vs 激変説」の文脈で後者に位置付けられるのは何故なんだぜ?

2009-04-14

例のサイトのアレコレを更新して改めて思ったのは,自分は生物云々に興味はあるものの,決して生きてる生物を追いかけ回すのが好きなわけではなくて,死体を眺めるのが好きなだけなんだなー,ということ.いや,ネクロフィリアでもないし,グロ画像コレクターってわけでもないし,人が死ぬところに立ち会ったこともないので大したことは言えないんだけど.とりあえず,生きてるものが死にゆくプロセスは生理的に受け付けないものの,それを除いてしまえば,生きてるものと生きてないものを区別することに意義を感じていないし,そういう意味で,生きてるヤツは面倒くさいから黙ってるヤツだけ眺めている方が気楽だし,それで分かることがあるならそれでいいや,とか思っているとでもいうか.これも,八百万の神がいて二次元の世界が間口を広げてるこの国に生まれ育ったせいなんじゃないかなぁ,とか.いや,阿呆くさい話なんだが.

2009-04-13

蔵本由紀の「非線形科学」を読む.買ったのは随分前だったような気もする.まずは,線形 (非線形),平衡 (非平衡),定常 (周期,カオス),安定 (不安定),閉鎖系 (開放系),散逸系 (保存系) とかその辺の概念を整理するので手一杯.という感じで,この本を読み終えた人ならわかるように,まだ読み終えていない.とりあえず,動的平衡とかいうわけわからん概念を勝手に導入するな,と言いたいところだが,そのためには F 氏の本も読まなくてはならんよーな.

2009-04-12

日本の大学で恐竜の研究ができない理由は,研究したい人数に対し日本産の恐竜の化石が少なすぎるからってことになっているのだが,範囲を世界に広げれば標本は足りてることになってるんだろか,という疑問.

2009-04-11

自転車のパーツを買いに出たついでに某書店で立ち読み.基本的には Y 本 Y 隆せんせーの本の立ち読み.お金が貯まったら買う.昨日の今日ということもあって恐竜本の本棚を眺めるものの…やっぱり M 口さんのフライドチキン本以外に初心者に勧められる本は無いなぁ.

2009-04-10

何かの気の迷いで「恐竜学者に俺はなる!」などというページを立ち上げる.が,そんなに暇ってわけでもないので放置.とりあえず,いいたいことは大体言った.

2009-04-08

個体や系列は認めるけどは認めない,ってのも変な話でして.

基本的に,外のサイトへの言及は「某掲示板定点観測所だより」をのぞいてはてブということにしてるんだが,話のきっかけということで.で,「科学の発展のために天才のクローンを作ろう」という意見に内心は賛成の大学院生ってどれぐらいいるの?という壮大な釣りであって欲しいネタ.コレ見て,随分前から同僚と議論してる「ドラえもん理論」を思い出した.事の起こりは「有孔虫同定すんのマジ面倒なんですけど→自動有孔虫分類装置作る方がいいんじゃね?」という発言だったりする.つまり,ドラえもん並に優秀な分類装置を作るにはどんなハードとソフトが要求されるかを大真面目に考えてみようという話.あるいは,あれほど良くできた装置があったら分類屋大絶滅ってことにゃなりませんかという話.いや,ドラえもんである必要は無いんだけど.そこから派生するのが,分類屋の教育は,分類屋としての自分をコピーすることなのか,自分のためのクロスチェッカーをつくることなのか,という教育論だったり,あるいは2009-03-13T13:03あたりの生物の定義だったり.そういう意味で,(工学ではなく) 科学に本当に必要なのは,ヒトと同じように分類してくれる機械ではなくて,それとは無関係に分けてくれる機械なんじゃねーの?と思っていて,クロスチェックって意味では絶対に生身の分類屋は絶滅するこたぁないね,という話.それが長らくクラスタリングにこだわってる真意だったりする.また長い.

2009-04-07

古生物を復元することの妥当性について.以前,2008-10-23T01:15 に書いたような欠損値に関するネタをゼミで紹介した際,教官陣からは「無いモノは探せ」というありがたいお言葉を頂戴したことがあった.もちろんこれは全面的に受け入れているし,これを否定したら人として終わってる気がする.問題はそれと一緒に出てきた「無いものを作っても仕方ない」という言葉.端的に言えば,何が無いのかをハッキリさせてなければマズイだろう,あるいは,見つけたモノが何らかの仮説を裏付けるか否定するか,そこんとこを意識しないとマズイだろう,という異論があったりする (もっとも,当時はそう言い返せなかった).で,結局なにが言いたいかってーと,古生物の復元というのは,いかにもダメダメな外延に見えてしまうわけだが,それには二つの理由があるだろうということ.一つは,当てはめられるモデルが適切に定義された上で,たとえば力学ならその方程式が正しく解かれなければならないという点,もう一つは,その計算から「どんなカタチをしていたか」という欠損値をある程度制約できるはずなのに,その計算をしていないがために検証作業自体を定義できていないということ.この辺がクリアできればただの外挿ではなく真っ当な復元,より正確にはそのプロセスとして認めてもらえるんじゃないかという妄想.もっとも,この方法で得られるのは「どう動き得たか」というタイプの話であって,「どう動いたか」というトークンの話ではない.後者を要求するのは端から非科学なんじゃねーの?とかなんとか.なげー.

例のアレ.何を以て目的を達したかと定義しておかないとロクな方向に進まないのは間違いない.というか,ターゲットが例の展示に関わった人なのか,それ以外の一般人なのか,そこんとこが分かりにくいという気がしないでもない.それが同居してるのも一つの問題.展示の改善案なのか,展示を見るための副読本なのか,という違い.前者の考え方を強行するなら当事者だけでやれって話なのだが,現に展示がある以上,後者の方にも手をつけた方がよさげという話.かといって,後者の考え方では「役に立ちますように」という七夕祭り的な何かにしかならない,というのもビミョーなところ.問題は,何も知らない一般人は,コッチ側の主張とアッチ側の主張のどっちが正しいかの判断ができるか,という点.それはもう,これまでさんざん書いてきたことでもあったりする.

2009-04-05

NORAD 的には存在していない「金日成将軍の歌」と「金正日将軍の歌」を垂れ流すアレ.陰謀論垂れ流すのもどうかと思うけど,ミサ,ロケット的なふるまいはするけど,実を伴わないブラフ的な何かなんじゃねーのかな,っていう.彼岸の国がそういう技術を持ってるかどうかは知らないけど,とりあえず持ってるよって言っておけば外交カードとしては機能するし,おかげさまで日本はミサイル防衛手段のあれこれを晒す羽目になって,余計なコストを支払ったわけだし.相手をムダに消耗させるためには (テロ) やるやる詐欺でもやって,テロ怖いよテロとか言わせりゃ大成功だし.まー,そんなことはあっちこっちで言われてる分かりきった話だから,今更ここで書くこともないんだが,結局言いたいのは,大した物的証拠があるでもなく意思決定しなきゃならないってのは不毛だよなぁ,ということ.

某所からの忠告があったりなかったりで,どんだけ細かく更新してんだよって話.公開する前にその内容を死ぬほど確認しないとマズイんでない?というのはごもっとも.どう考えても炎上する典型例です,本当にどう(ry

某掲示板定点観測所だより:実は R クンは Navier-Stokes 方程式の一般解を導出していたんだよ!な,なんですってー > Ω ΩΩ

2009-04-05T04:20 の続き.2008-04-04T21:45 に書いてるように,実は科学には科学なりの,彼岸には彼岸なりの論理がある.これは世の中に日本語とか英語とかコイサン語族のアレコレとかってのが存在するようなもの.で,ヒトの体ってのが大体同じで,外界の刺激がどんな物理化学過程で受容されるかってのも同じことを考えると,どの論理を使うかってのは接続方法の違いなんじゃないかって気がする.大元の論理をあまり変えずに使う言語だけ変えるってことが可能ってことは,たぶんそういう論理の層と各言語との距離ってのは大体同じで,どの局所解を拾うかって違いなんではないかと想像.そういう意味では,根本的に論理が違ったり,支離滅裂な言語感覚だったりする彼岸の人々ってのは,「(脳内の) 空間が歪んでる」って言ってしまってもいいのかもしれない.いや,いろいろ問題のある推論なのは知ってるけど.

2009-04-04T04:21 について.我ながら支離滅裂なことを書いているが,結局 2007-11-18T04:40 に言ってることと変わりはない.知識を書くより知恵を書くほうが楽だ,という話.というか,進化自体は抽象的な概念であって,具体的なものをいくら挙げたって説明にはならんよなぁ,ということ.もちろん具体的な事例 (つまり知識) なくして妥当な抽象概念を選ぶことはできないのだけど,具体例を挙げること (induction) と,抽象概念をくみたてること (deduction) と,具体例と抽象概念をどう摺り合わせること (abduction) ってのは全く別なんで,アレで長々と書くのはめんどいということ.ついでに書いておくと,具体例と抽象概念のすりあわせってのは,情報幾何の発想を流用したもの.だから科学には統計が必要.

2009-04-04

例のサイトのアレコレ.基本方針は,化石に関する具体的な知識を書き連ねることではなく,存在論的というか博物学的な態度で,淡々と進化を説明しようと取り組むことだったりする.自分で言ってりゃ世話無いけど.

2009-04-02

Rudolf Ludwig Karl Virchow が定式化したという omnis cellula e cellula という命題について.発表されたのは 1858 年らしい.さらに,それより前に François-Vincent Raspail が発想していたらしい.いかにも曰くありげなタイミング.

「生物とは何か」という問いは生物と非生物を見分けるという問題なのだから,生物しか見ていないような連中どもが解答を得られるわけがない.そういう意味では,生物学科に行かなくて本当によかった.

2009-04-01

科学なんて結局定義の積み重ねなのだが,ニセ科学の人というのはそれを逆手に「そう定義したからじゃん,俺の定義だとこうなるよ」てな話に誘導してくる.結局,科学の側の妥当性を示すということは,ニセ科学側の定義から矛盾を導くことなんじゃないかぁ,とか,あるいはニセ科学の側が自分は正しいと思っている根拠って無矛盾性に関する誤解なんじゃないかなぁ,とか思ったり.要するに,ゲーデルのアレが効いてくる世界.

wikipediaの化石の著名な化石研究者 4 名を見てげっそり.だから恐竜屋ってヤツは…