下が古い.上が新しい.間は他所

2011-04-02

要するに,フィルタリングというものには,メディアの物質的な性質に起因する決定論的なものと,そこに介在する人間による恣意的なものとがあるということでまとめられる.ちょうど,悪しき意味での「機能形態」というものが,力学的な制約によるものと,恣意的な判断によるものとに分けて理解できる (ということになっている) ことに対応する.

例えばテレビ,ラジオ,新聞,インターネット,というメディアには,例えば絵を送れるかとか音を送れるか,ランダムアクセスできるかといった違いがある.しかし,それ以外の性質の違い ,たとえば言論から伺える思想 (などと,まだ漠然と思いつきを語っているだけなので,そんなものが本当に判別できているのかという問題は脇に置いておく) などというものは,メディアの物質的な違いではなく,メディアへの書き込みや読み出しといった操作,すなわちフィルタリングの違いを反映していると考えたほうがよいのだろうということ.

情報を伝えるには物質的な媒体 (メディア) が必要なのだが,メディアを物質的な性質を分類しようとすると,追記限定/上書き可能だとか,FILO/FIFO だとか,シーケンシャル/ランダムアクセスだとか,データの次元だとか,物質の耐久性だとか,そういった観点は思いつくのだが,それぐらいしか思いつかない.とはいえ,この性質によりメディアに残る情報はある程度フィルタリングされ,メディア毎に残すことができる情報には違いが生じることとなる.しかし,情報のフィルタリングの全てがメディアの物質的な性質に起因しているかといえば,おそらくそんなことはない.つまり,フィルタとメディアは別のものとして考えたほうがいいんじゃないか,ということ.