きょーび大きな政府だの小さな政府だの言ってる程度の経済学的知識であることを露呈しているとも言う
oanus-log
下が古い.上が新しい.間は他所.
2012-05-15
(2012-05-15T16:58) この曖昧な主語は実のところ「政府」を想定していたのだけど,政府ったって「大きな政府」もあれば「小さな政府」もあるわけで,要するに無意識のうちに「政府といえば大きな政府」と想定していることが露呈しただけの話.
財政難すぎて投資してる余裕がないし不採算な事業を切らなきゃいけないのは理解できるんだが,投資をやめる理由が不採算事業だからだと言われてしまうと,それなんか違うんじゃね?とか思ってしまう程度に頭が悪い.
2012-05-07
そういうわけで,スケールモデルの場合には,新作発売にあわせて模型雑誌上で実機に関する考証の特集が組まれたり,あるいは(某SWSみたいに)広告に模型と実機を比較したスナップショットを載せてみたり,実機に関する資料集を同時に発売してみたりといった具合で,よく心得た商法だなぁと感心していたのであった.とはいえ,それはつまり「ちゃんと勉強する人々」をターゲットにした商売なので,どれくらい儲かってんのかなぁと心配にもなるのであった.
2012-05-06
世の中には,実機の構造をおよそそのままに素材をプラスチックとエッチングパーツに置き換えただけくらいというような大変良くできたプラモのキットというのもあって,そういうのなんかは広告見てるだけで興奮できたりする.もちろん高い.つまり,それはお金を払えば"再現度(幾何学的な意味でのシェイプの類似度)"の高い模型を何も考えずに作れてしまうキットが手に入る,ケチれば再現度の低いキットしか手に入らない,という例のよくある話なのだけど,ではお金を払いさえすれば何も考えずに再現度の高い模型が手に入ってそれで万々歳かといえばそんなことはなくて,再現度の高さを基準に模型の良し悪し考えて値段の高さを理解して(妥協して)いる時点でそれは実機との比較を念頭に入れてるわけで,資料集めや比較に頭を使わずにはいられないわけである.
"退院"して以来,2機目のスケールモデル(航空機)を製作中.1機目はリハビリということでヒケとスキマの処理を施すのみでほぼ説明書通りに作ることに徹したのだが,2機目は持てる技術と資金をフルに投入して"セミスクラッチ"(市販のキットも流用しつつ,実質的にはプラ板やら何やらで片っ端から作る)という状況である.1機目にしても2機目にしても,実物の再現度が低いことに定評があるらしい某社のキットを選んでしまったうえに,うっかりネットで実機に関する資料を眺めて比べてしまったというのが運の尽き,といったところ.そういった資料を探しさえしなければ,そのキットはそういう「模型」として受け止められ,脳みそお花畑の幸せな生活を送れたかもしれない.
2012-04-29
2012-04-15
本屋で仏像の眺め方とかデザインの定石とかそういった類の本を立ち読みしてきた.要するに,人はモノの形や色にどういう意味を見出してしまっているのか,というか,世の中において形や色をどのように解釈するべきというルールが定められていることになっているのかとか,そのルールをどうやって見抜けばいいのかといった辺りの興味で,たぶん iconology とか iconography とかその辺の分野に相当するのだろうとと勝手に解釈しているところ.ただ,作者の意図がどうであるとか,言った言わない思った思ってないというような水掛け論に見えてしまって,どこをどう楽しめばいいのかさっぱりわからず,やっぱりどうしようもなく突き詰める気になれないのであった.
2012-03-18
2012-03-17
大半の人間が高校や大学に進学する世の中において,学校に行く代わりに仕事なり旅なりで積まれた経験は確かに稀少で素晴らしいものだとは思うのだけど,同様の理由で仕事や旅ではなく学校に通うことを選んだという経験が否定的に捉えられることにはどうにも納得がいかない(この話が藁人形論法的であるということはともかく)
2012-03-13
2012-02-27
2012-02-26
まず,他人を疑うくせに自分を疑わないとか,自分を疑うくせに他人を疑わないとか,そのアンバランスがよろしくない.もっといえば,「疑ってはいけないもの」もしくは「信じなくてはならないもの」を適切に把握できていないというのがよろしくない.ここでいう「信じなくてはならないもの」というのは,それを否定してしまっては話が破綻するという論理的な基礎(いわゆる公理)のこと.実際には,疑ってはいけないものでも信じなくてはならないものでもなく,疑ってもいいし信じなくてもいいものなのだけど,それが全く意識されていない(単に依拠しているものが何であるかを具体的に見いだせていないのではなく,依拠しているものがあることすら知らない)うちは,適切な会話は成り立たないよね,とかなんとか.
「他人を信じてはいけない」という考え方は,「他人を信じず,他人を疑い,自分を信じる」という考え方,あるいは「自分の予想は正しく,他人は嘘をつき,事実を隠している」という考え方,すなわち陰謀論と非常に親和性が高いように思われる.
本屋でアレコレ眺めた感想.「信じてはいけない」を冠する本は非常に多いが「疑ってはいけない」は無い.実際には「(他人の言説を)信じてはいけない」は「(私の言説を)信じるべきだ」もしくは「(私の言説を)疑ってはいけない」と読み替えてもよいように思える.
2012-01-31
2012-01-01
2011-11-05
いまだに階層的クラスタリングが使われる理由が理解出来ない.というか,いわゆる階層的クラスタリングは暗黙のうちに (特殊な) 階層構造が存在すると仮定しているわけで,その構造の存在を受け入れて行われる各種解析の妥当性が理解出来ない.
2011-10-11
2011-10-08
古来,骨要素の同定というのは「要素間の位置関係」に基づいて行われるということになっているようなのだけど,果たして骨要素からなるグラフの同型性にのみ基づいて形式的に定義することはできるのかという問題.
2011-10-02
まる一日ほどかけて統計とか確率の復習.思い返してみると,おそらく講義を受けたのは学部の教養科目のひとコマだけであった.しかも,その内容といえばよくある教科書に沿った,確率論に始まり様座な分布を覚えつつ検定やら推定を,という流れで,これがもう全くと言っていいほど身につかなかった.正直よく単位がもらえたものだと思う.その後,諸々研究を初めてからは統計の本も読めるようになったのだけど,その入口はどう考えても確率論やら推測統計学ではなくて,系統学や分類学,あるいはコンピュータビジョンや形態解析といったデータマイニングの側からだった.確率論の話を理解したのは間違いなく公理論的な数学というものをおぼろげながら理解した後だし,情報理論とかそっち側から入ったような気がする.もちろん,最初にわからないながら頭に詰め込んでいるからこその理解ではあるのだけど,いわゆる統計学の教科書を見ていると,その流れじゃなくてもいいんじゃね?とか思ってしまう.