oanus-log

下が古い.上が新しい.間は他所

2014-02-09

実際指摘されている論理的飛躍は「○○という機能が実現されていた確率が高い」と「○○という機能が実現されていた」であって,またその飛躍についてはこれまで散々自分で指摘してきてた話なので,先日のポストはナンセンス.

2014-02-07

パラダイム法でいうところの「○○という機能の性能が高い」が「○○という機能が実現されていた確率が高い」に読み替えられてしまう論理的飛躍はもう少し丁寧に詰められそうな気がしてるのだけど,単なる気のせいかもしれない.

2014-02-03

某STAP細胞関係の報道やらそれに関するコメントを見た感想.まず,メディアスクラムをやってたっぽいとか,よせばいいのにジェンダー関係の引火性の高い言葉を使ったとか,そういう問題は確実にある(が,そこにはあまり興味が無い).が,それ以外については,各メディアはそれぞれの視聴者/読者に向けた番組/記事を作ってるだけなので,論文の内容だとか科学的なプロセスなんかを紹介してるチャンネルが少ないとかいう意見は,そりゃあなたの需要とあなた以外の需要が違うだけですよチャンネル間違えてますよっていうつまらない話で一蹴されるように思える.もう少し教条的な,下世話なことばっかり喋ってるチャンネルがあること(あるいはそれが多数派であること)はけしからんていう意見もあって,そこんところの扱いについては考え中.

2013-02-13

別に,新しい説/事実を伝えようとすることがどれだけナンセンスであるか,などと言う気はない.昔は,そういう最新の科学的知見を「正しく」かつ「わかりやすく」紹介することが,陳腐な説を駆逐したり新たに科学的な思考をする人間を増やすことに役立つのではないか,などと思ったこともあった.今では,科学の道を歩むかどうかについては,周りがどうこう言おうと勝手に歩むものだろう,というくらいにしか期待していなかったりする.ただ,その勝手に科学の道を歩もうとしている人間がより簡単に巨人の肩に登れるような手伝いにはなるのではないかとは思う.

最も頻繁に目にするような,最新の論文を参照するなどという行為が想起すらされない場所にはびこる陳腐な説 (像) を駆逐できる見込みはなく,少なくともそういうものの駆逐を目指して活動してはいけない,という程度のいつもの結論しか思い浮かばないのがとても残念.

いかに古い説が廃れないかという話で常々疑問なのが,たとえば本で恐竜絶滅説なんてものが紹介される時に,なぜ便秘説だとか感染症説だとか重力増加説などといったものが枕として載せられ続けるのかという点.もちろんその意図として,おまえらド素人でも思いつきそうな話はとうの昔に棄却されてるからね,という助言であると解釈できなくはないのだが,その陳腐な話の語られ方(例として挙げられている説の数や種類,その詳しさ)を眺めていると,その文章から系統解析すらできてしまうようなデッドコピーでしかないように思える.

いまのところ論文にアクセスできていない"The posture of Tyrannosaurus rex: Why do student views lag behind the science?"に関する…というか,なぜ時代遅れの復元像がいつまでたっても廃れないのか問題について.この記事にあるように,いかに論文で新しい説が唱えられようとも,一般向けの書籍や恐竜展で新説を普及しようと努力しようとも,最も頻繁に目にするような場所,すなわち最新の論文を参照するなどという行為が想起すらされない場所において,陳腐化した復元像がコピーされ続けるから,ということでひとまず納得できる.一歩だけ話を進めて,そのコピーをたどった時にどこまで遡れるかという話になると,それは単純に一番最初の復元像というわけではなくて,一番最初に大衆向けのメディアに載った復元像ということになると思う.たとえば Mantell の iguanodon とか De La Beche の plesiosaurus とかではない,ということ.

2013-02-07

たとえば,恐竜の復元画/像というものは恐竜に関する「小難しい」研究成果を「わかりやすく」「伝える」手法として有用かもしれない,という発想は,なんだかんだで視覚依存の生活を送っている者として,全く理解できないものではないし,むしろそれほど悪いものではないとも思う.ただ私の希望として,復元画/像を作成するという行為は「統計解析においてやみくもに関数を適用するのではなく,まずはプロットして確かめてみましょう」という類の発想であってほしい,というのが率直な感想.つまり,データの型に応じてグラフの形式を選ぶように,復元像の表現に「文法」があって欲しい.

2013-02-06

備忘:まず,多くの子供が恐竜好きである,という点を疑うべき.

2013-01-27

備忘:Gestalt

2013-01-26

というのを2年ぐらい前に書くべきであった.

これも何度ネタにしたかわからない話の言い換えだけど,まとめとして念の為のメモ.形態の因果役割機能を具体的に特定できるかという問題.行動や生態を観察できない古生物を対象とする場合には,原則として形→物理化学的性質という機能しか見いだせない.そして,この機能を見出す方法というのが,「パラダイム法」という方言で呼ばれる物理・化学的モデルへの当てはめとモデル選択.問題は,そこそこあてはまりの良さそうなモデルのうちどれが実際に実現して適応度に関与したかを特定できるのか,そして,形→他の生物による認知という類の機能を特定できるのか.つまり konstructions morphologie の三角形に effective environment すなわち環世界が付け足されて morphodynamics の四面体になったというのは,おそらくその問題を無視して「わかった」などというのはやめましょうよ,というのが現状の解釈(間違ってる気もする).この問題がクリアされるかといえばまず無理でしょう,というのもこれまで書いてきたとおり.

いわゆる因果役割機能 (causal role function) というのは Luhmann (1958) の言う機能そのまんまと思っていいと思う.で,そこから先の,その機能を備える対象の交換可能性を考えたとき,対象の上位単位をイデオロギーとするのが起源説 (etological theory) で,組織の存続とするのが傾向性説 (propensity theory) という解釈 (因果役割機能,起源説,傾向性説といった分類は Sterelny & Griffith の Sex and death あたりを参照).

結局 engineering morphology というやつは,祖先による分類,工法による分類,因果役割による分類,という3つに基づいて形を整理しましょう,ということでよいんでしょうかね?

どちらかといえば,機能とは何かということよりも,何かを機能と呼ぶことが適当か (その概念に機能という言葉を割り当てた由来とか,妥当性とか)の方が気になっていたというのが正しい

祖先の共通性に基づく分類ができるように,因果役割 (causal role) の共通性に基づく分類もできる (だから因果役割をあえて機能と呼ぶという話でもある

それも昔に思いついてた:oanus.blogspot.jp/2009/03/blog-post_1378.html

むしろ Luhmann (1958)

たとえば心臓は,血液を循環させるという機能を用いてポンプと同類と見なせるし,心音(振動)を生じるという機能を用いてスピーカーと同類とみなせる.

ここまで,だいたい Cummins (1975) くらい (それより遥かに拙いし,話としてはぜんぜん違うのだけど,それを理解するのに要する基礎としてそれくらい).

2013-01-25

つまり,「形→状態量」関係もしくは「形→状態量変化」関係を機能と呼ぶのか,それとも状態量変化そのものを機能とよぶのか,ということであれば前者を採るでしょう,と.

条件の違いによって生じる状態量の違いと,ある条件下での状態量の時間変化を混同してはいけない.

カクカクシカジカ書いてくる中で,形に備わる機能とは,その形があることによって生じる外界の状態の時間的推移だという考えもよぎったが,これも大昔に思いついていたことであった(http://oanus.blogspot.jp/2009/03/morphism-function-morphology-motion.html).進歩がない.

という話は,3年以上前にもしてる:http://oanus.blogspot.jp/2009_10_01_archive.html

konstructionsmorphologie (あえて engineering morphology と呼びたい) またはmorphodynamics における問題は,脚にズボンを穿く機能があるかということではなく,実際にその脚でズボンを穿いていたかどうかなのであって,それはつまり脚はあったけどズボンがなかったから穿けなかったとかいう生息環境のみならず,スカートの方が好みでパンツルックは嫌だったとか,そもそもズボンというものを認識できなかったとかいう生物特有の恣意性とか,つまりそういう umwelt の問題でしょう,という理解.

あいかわらずあーでもないこーでもない言っている「機能」について.結局,形の違いによって形以外の何かが異なるとすれば,それを機能と呼んでもいいような気もする.言い換えれば「形 → 性能 → 適応度」パラダイムにおける「形 → 性能」とか「形 → 適応度」というような「→」で表された写像を機能と呼ぶ,ということ.たとえば,人の腕のような形状 f1 とか脚のような形状 f2 さらには頭のような形状 f3 からなる集合F から,ズボンを穿ける TRUE か否か FALSE という二値からなる性能の集合 P への写像 (機能) F → P を考えて,f1 ↦ FALSE, f2 ↦ TRUE, f3 ↦ FALSE という観測に基づき,脚にはズボンを穿く機能がある,と呼ぶような感じ.

生物特有の恣意性というものも,主には機能に効いてくる話のような気がする(あらゆる機能に効いてくるというわけではないが).

Umgebung ではなくて umwelt が問題だ,というのはそのとおりだと思うし過去にもそう書いてるんだけど,"effective environment" を調べるために facies analysis とか ecology の手法が要るとか書かれると,えーなにそれ,みたいな感じでもにょりたくなる.

ここまでのまとめ.形を解釈するにあたり考えるべき3項目は,その形が何から継承されたものであるか (系統/歴史),どのように形成されたものか (形態形成),その形が他の要素にどのような作用するか(機能)が基本.問題は「環境」の扱いで,単に「何が何に対し作用するか」ではなく「どのような環境で作用するか」を問題とするのなら,つまり「自然選択がどこで起こったか」を問題とするだけならば,これはやはり「機能」の問題なので, umgebung だろうが umwelt だろうが機能にまとめてもよさそうなもので,わざわざ effective environment として独立した項目を用意したのはなんでだろうか,という話.

むしろ function はそれで構わなくて,environment の扱いをどうするかが問題のような気がしてきた.

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