下が古い.上が新しい.間は他所

2007-05-15

こういうとき「記載は良い,理論は悪い」みたいな言い方をされるのが非常に嫌なのだが,そういう人の言う客観というのがどうも信じられない.今現在の人間の環世界において,長頸竜の脚を鰭として記載することは「泳ぐ」という作用トーンで扱っていることを暗に示すわけだが,仮にこのトーンの設定が誤っているとしたら,どのような表現でその形態を記載するべきか,という問題に至ってしまう.鰭として見ているからこそ,その形状をコードとスパンという変数に縮約できるわけで,そうでなければ得体の知れない妙に複雑な閉曲面を示す式に成り果てるか,せいぜいそれを統計的手続きに従って要約した無意味な値ができあがるだけとなる.それを客観と呼び,その数字さえ出ればいいというのなら,それ以上のことは一文字たりとも書かないで欲しいのだが.