下が古い.上が新しい.間は他所

2007-12-22

自分に都合のいい話しか引用しないという件については用心しなければならない.これは科学においても似非科学においても同じで,要するに全てを説明するから信じているのであって,そうでなければ信じていない.相手にとって不利だと思われる事例は,実は全然不利ではないものを誤解している可能性がある.公理系が違ったりするが故の解釈の違いかもしれない.科学者は,同じものを違う呼び名で語っている可能性,そもそも公理系が違うという可能性までをも考えて語るが,たぶん,似非科学者にはそれができていない.科学者は,公理系が違うなら双方無矛盾でかつ同時に同じものを説明できる可能性を知っているし,その気になれば違う公理系に乗り換えることができ,そこでは別の世界の理論が通じないことも判っている.そういう意味では,科学では疑似科学の妥当さを否定できないし,疑似科学と呼ばれているものも,その理屈がわかってさえしまえば実はマトモな体系なのではないかと薄々思っているのだと思う.科学者が気に入らないのは,似非科学者が似非科学の論理で科学に干渉することである.逆に言えば,今の科学者が似非科学を撲滅できないのは,似非科学を論破するために科学の論法をつかっているため,相手と会話が成立しないためだろう.ただ,科学者は自分の使っている論理を正しく説明できる(適切な言葉で定義している)のに対し,似非科学者はそれができていない.つまり,科学者側からすれば,科学は自分の使っている論理の妥当さを他者も見聞きできる形式で提示しており,それが否定されるならばいつでも今の理論を捨てる用意があるのに対し,相手は,それをしていないが故に信用しないと言っているだけなのだ.