下が古い.上が新しい.間は他所

2008-11-23

どうも修論を書いている時から指導教官さまと「収斂」という言葉の使い方が違うなぁというのを薄々感じつつ,つい先日のゼミでも苦言を呈されたので Desutter-Grandcolas et al. (2005) を読んでみる.おそらく,高校の時から教科書としている Wiley E.O. 他著,宮正樹訳の「系統分類学入門」(どうやら絶版.元の pdf が公開されている) の影響じゃないのかなぁ,という感じ.Wiley は,基本的に形質が相同形質なのかどうなのかってのは分かんないから,とにかく系統解析して変換系列とか分岐のパターンを見て収斂か平行か決めよう,と言っており,基本的に自分はこの考え方で喋っていたわけだ.ところが,実際にはデータマトリックスを作る時点で対象の生物を形質の集合に分解しているわけで,つまり,系統関係の推定に先んじて異なる生物の形質の同値性について議論をしてしまっているぞ,というのがDesutter-Grandcolas 他の言い分 (この発想の基礎は Petterson (1982) から出ている).結局,データマトリクスを作るという作業自体が homology かもしれないものと heterology というのを分けている,ということ.Wiley らは Hennig の補助原則を「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,収斂や平行は仮定してはならない」と表現しているが,データマトリクスを作り上げ解析を行うという段階では既に heterogeny に基づく収斂という概念は排除されているのだから,「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,平行は仮定してはならない」と表現されるべきだ,というお話.