下が古い.上が新しい.間は他所

2014-11-24

Plesiosauria が何故か海竜と訳されたり海の恐竜と呼ばれたりするの,2013-02-13T20:37の話に関連して,日本の「きょうりゅう」文化の初期に某海竜の里センターみたいな事例が出てきたからなんだろうなぁ,などと考えてる.

2014-11-08

私としては,例の恐竜が好きなのか恐竜の絵が好きなのかという観点での区別するべきだろうと思っていたのだけれども,なんとなく前者がコア層,後者が初心者層に対応付けられて語られたあたりは大変興味深い.より正確に言えば,その対応付けを明示的にしていた発言というのは見てはいないのだけども,いわく入門者が目にすることができるのは恐竜の化石ではなく恐竜の復元画であり云々というくだりからして,そのように捉えられているのではないかと想像した次第.

さて,某tから始まるsns界隈で話題となったアレである(まとめはまとめで観測範囲や公開/非公開の別があるためアレである).結局,世界は初心者層,中間層,コア層の3層構造になってて,コア層は初心者にやさしくないし,コア層はトンデモを吐く初心者層が嫌いだし,初心者層から中間層に辿り着く道がわかりづらい,というどっかで聞いたような分析結果と,わざわざ真面目ぶってそんなつまらなくてダサい話をしてないでお互いを認めて仲良くやれ馬鹿という教義でまとめられた感じで,いつもどおりといえばいつもどおりの結果に終わり,今日も世界は平和であった.世の人々(というか,その中でも特に声の大きい方々)の認識がそうであったということが可視化されたという点は評価されるべきだと思う.

2014-11-02

その昔,某タクサのとある部位の寸法を網羅的に集めて統計を取ってみようと思ったことがあったのだけど,結局その統計量に一体どういう意味があるのかわかんなくなってやめてしまったという経験がある.某タクサの化石などその気になれば個人で把握できる程度の量なのだけど,しかしそうして得られたサンプルは,網羅的ではあるけれども(いわゆる化石記録の不完全性と呼ばれるアレ,もしくは化石化~採集~論文化におけるバイアスため)無作為抽出サンプルではないので,そのタクサの特徴量というよりは,せいぜいそのタクサのうち化石として残って研究されるような連中の特徴量,としか言えないのだろうなぁ,と思って足踏みしてしまったのであった.

「化石記録の不完全性」(笑)の話に至ると,必ずこの話を思い出す:

天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。

(そもそもビッグ・データというものが何を指してるんだっていう問題はあるのだけど)たまたま見つかった化石を集めて統計解析,って実にビッグ・データ的であるなぁ,と思っております.