知識のない読者にとっては,知識のある著者の考察と知識のない著者の思い込みは区別できないし,むしろ同じ立ち位置にいるおかげで後者の方がより受け入れられやすいのではないかという想像.「世の学者連中があーだこーだ言ってますけど,素人の俺はこうだと思うわけよ,分かりやすいでしょ?お前らも考えてみなよ?」とか言ったら簡単になびきそう.おまけに,コストのかかるマトモな考察より,コストの要らない妄想の方が生産されやすいし,コピーされやすい.このように,知識のある者にとって受け入れられるはずのない思い込みが受け入れられているという事実に対し,何とも言いがたい無力感が沸き上がるというカラクリ.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2009-06-26
ペドフィリアのような異端者を排除するとか,「こども」をペドフィリアから守るとか,いろいろな大義名分はあるにせよ,作った法律がその目的を果たすかどうかというのはどう測られるのか,そもそも測られるのかという疑問.
コミュニティの構成員を均質にしようという試みは古来何度となく繰り返されたコトかと思う.その端的な例が民族浄化で,ある種の文化や思想が通用しない集団を抹殺しようという行為として捉えられる.同様に,児ポ法を成立させようってのも,ある種の思想を持つような集団を無くそうという行為として解釈できると思う.主な違いは,異端な思想を持った人間を殺すのではなくて,異端な思想を持った人間が使うモノを無くすことで,そういう思想を消そうというあたりかと思う.問題は,モノが無ければ異端の思想は生まれない,という発想がどれだけ妥当か,排除の対象となるモノの分類基準を定めることが可能か,ということ.たぶん,というか,間違いなく無理.
同じ感想を抱かないようなヤツを排することで,均質なメンバーのみからなるコミュニティを作ることは可能かもしれないが,内部に一切の対立のないコミュニティができあがることは保証されない.仮にコミュニティ内部でうまいったとしても,コミュニティ間の対立は免れない.
極端なことを言うと,同じモノを見たときに同じ感想を抱かないヤツは同類ではない.問題はその「類」ってのが社会的にどういうものかということ.個なのか,仲良しグループなのか,職業集団なのか,民族なのか,国民なのか,人類一般なのか,生物一般なのか.
児ポ法がらみのアレコレを見てると頭が痛くなってくる.対象となるようなモノを持ってるとか,そういうことじゃなくて,議論の拙さが.世の中では,同じモノを見たときの「感想」ってものは必ず同じ,ということにでもなってるんだろか.
2009-06-24
2009-06-23
2009-06-20
2009-06-18
2009-06-13
2009-06-12
2009-06-11
2009-06-07
2009-06-04
今日から学園祭的な何か.というか学園祭.基本的には,入学したてでテンションが高いだけがうりの 1 年生とナンパ系サークルがたむろするキャンパス北側と,留学生が家族や近隣のエスニック料理屋まで巻き込んで勝負をしかけてくる南側の区画の 2 つに分離しているというのが概要.当然,経験者 (院生) は 13 条より北側には行かない.とりあえず,チリのスペアリブが美味かったのと,胡麻団子売ってた中国の留学生がかわいかったのと,そんな感じで.