あの界隈がトンデモとかニセ科学と呼ばれる何かだというのは今更言うほどのことではないのだけど,アレに対し純粋に科学をやってる側が何らかの教育的行動をとってるかというと,多分無い.この辺が他のニセ科学問題とは違うところ.「お前らの言うことは間違いだ!」と言い出すことはあっても,その次に出てくる言葉が「『最新の研究成果では』こっちが正しいんだ!」だったりすると,これはもう事態を悪化させるだけ (誰とは言わないけど,そういうことしか言わない人いるよね).つまり,必要なのはもう一段二段メタな「考え方」のはずだし,K 村さんの恐竜本はその辺を狙っているものと個人的には読解してる.ただ,それによってあの表層的な知識の蓄積だけを善しとする末期的なヲタ的思想に満ちた界隈にパラダイムシフト的な何かを起こせるかといえば,非常に残念ながら私の観測範囲では確認できていないし,なかなか期待できない.もちろん,そういうことを高々数回の行動で実現しようってのが戦略としてお粗末だというのは T 川さんあたりが度々主張されてる通り.で,私個人が何か活動できるかというと,基本的に抽象的なコトばかりなのでさっさと具体例を創っとけ,という話になるので,さっさと仕事に戻る.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2009-08-25
2009-08-24
2009-08-16
2009-08-15
2009-08-13
掲示板でもblogでもなんでもいいんだけど,ああいう場における「空気」ってヤツは,ロジックだとか,自明に導かれる命題などといったいわゆる「文脈」を指すのか,それともレスをするべきかしないべきか,ロジカルなレス以外の例えば感想などといったものを述べるべきかという問題を指すのか.まぁ,両方だろうけど.
ひさびさに夜の特別講義「思索と人生」.主に,絶滅生物の復元は現生生物の姿形や振る舞いに準拠しなければならないのかという問題.端的に言えば,「絶滅生物+現生生物」という巨大な集合の諸要素を「現生生物」のみから定義される分類群に同定することは決して妥当とは考えられないだろうというお話.つまり「復元」と称して同定する先の分類群は,既知の生物から外延的に定義する集合ではありえないということ.たぶんそれは,新たに発見される生物にも対応できるよう一段階メタな視点から構築される分類群,たとえば物理モデルというクラスなんだろうということで,これは前から主張していることでもあり,大してブレていない.
2009-08-11
「長頸竜って何ですか」という問いに「ネッシーみたいなヤツです」って答えることと,「ベレムナイトって何ですか」という問いに「タイタニック・ランスみたいなヤツです」って答えることの違いについて.
2009-08-09
なぜ長頸竜類が鎌首持ち上げて泳ぐように復元されるのか.大半は復元画から復元画を生み出すプロセスだとか,ヘビが首を持ち上げられるんだから長頸竜類もできるだろ的発想もあるだろうが,Martin J.S. Rudwick 著,菅谷暁 訳の「太古の光景」見てると,どうも「復元画」に特有の視点のせいなんじゃないかという気がしてきた.人間の視点で陸から海を眺めたときに首を持ち上げてくれないと長頸竜の姿は見ることができないわけで,それがあの不自然なポーズを生み出しているような気がする.という,昼下がりの妄想.