下が古い.上が新しい.間は他所

2013-02-13

別に,新しい説/事実を伝えようとすることがどれだけナンセンスであるか,などと言う気はない.昔は,そういう最新の科学的知見を「正しく」かつ「わかりやすく」紹介することが,陳腐な説を駆逐したり新たに科学的な思考をする人間を増やすことに役立つのではないか,などと思ったこともあった.今では,科学の道を歩むかどうかについては,周りがどうこう言おうと勝手に歩むものだろう,というくらいにしか期待していなかったりする.ただ,その勝手に科学の道を歩もうとしている人間がより簡単に巨人の肩に登れるような手伝いにはなるのではないかとは思う.

最も頻繁に目にするような,最新の論文を参照するなどという行為が想起すらされない場所にはびこる陳腐な説 (像) を駆逐できる見込みはなく,少なくともそういうものの駆逐を目指して活動してはいけない,という程度のいつもの結論しか思い浮かばないのがとても残念.

いかに古い説が廃れないかという話で常々疑問なのが,たとえば本で恐竜絶滅説なんてものが紹介される時に,なぜ便秘説だとか感染症説だとか重力増加説などといったものが枕として載せられ続けるのかという点.もちろんその意図として,おまえらド素人でも思いつきそうな話はとうの昔に棄却されてるからね,という助言であると解釈できなくはないのだが,その陳腐な話の語られ方(例として挙げられている説の数や種類,その詳しさ)を眺めていると,その文章から系統解析すらできてしまうようなデッドコピーでしかないように思える.

いまのところ論文にアクセスできていない"The posture of Tyrannosaurus rex: Why do student views lag behind the science?"に関する…というか,なぜ時代遅れの復元像がいつまでたっても廃れないのか問題について.この記事にあるように,いかに論文で新しい説が唱えられようとも,一般向けの書籍や恐竜展で新説を普及しようと努力しようとも,最も頻繁に目にするような場所,すなわち最新の論文を参照するなどという行為が想起すらされない場所において,陳腐化した復元像がコピーされ続けるから,ということでひとまず納得できる.一歩だけ話を進めて,そのコピーをたどった時にどこまで遡れるかという話になると,それは単純に一番最初の復元像というわけではなくて,一番最初に大衆向けのメディアに載った復元像ということになると思う.たとえば Mantell の iguanodon とか De La Beche の plesiosaurus とかではない,ということ.

2013-02-07

たとえば,恐竜の復元画/像というものは恐竜に関する「小難しい」研究成果を「わかりやすく」「伝える」手法として有用かもしれない,という発想は,なんだかんだで視覚依存の生活を送っている者として,全く理解できないものではないし,むしろそれほど悪いものではないとも思う.ただ私の希望として,復元画/像を作成するという行為は「統計解析においてやみくもに関数を適用するのではなく,まずはプロットして確かめてみましょう」という類の発想であってほしい,というのが率直な感想.つまり,データの型に応じてグラフの形式を選ぶように,復元像の表現に「文法」があって欲しい.

2013-02-06

備忘:まず,多くの子供が恐竜好きである,という点を疑うべき.