早くもタイトルをミスったなー,と敗北気味.漠然としすぎてる.げふん.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-04-30
2008-04-29
で,結局のところ普及活動ってどーなのよ,とか,どの辺をターゲットにして喋ればいーのよ,とかいうあたりを語るに,「連載」とか毎週/毎月の「定期開催」てのが重要なんだな-,というのは個人的に割と大きな発見.突発的なイベントとか単行本だけで何とかしようとすると,教科書的な重複部分が増えるわ,その都度大量の初心者を相手にせにゃならないわ,ビジネスとしての成功事例を示せないわ,そりゃ面白くなるわけがない.
2008-04-27
2008-04-26
2008-04-25
2008-04-24
メディアリテラシーがあるってのは,或るメディアで主張されることを理解する能力があるってことではなくて,或るメディアで主張されることの真偽を判断する能力があるってこと,あるいは,或るメディアが有害か否かという知識があることではなくて,或るメディアが有害であるか否かを自力で正当に判断する能力があるという,一段階メタな話.言い換えれば,ホワイトリストやブラックリストを利用するコトじゃなくて,ホワイトリストやブラックリストを更新し改良し続けるコトであり,試行錯誤を伴う科学的な思考がが要求されるというコト.
Perfume が流行りだしたきっかけは何かという話.ニコニコだとかカエラちゃんのラジオだとか,まぁいろいろあるけど,マトモも統計とらずに何言ってんだか,というのが正直なところ.どうも何かが流行ると「最初に言い出したのは俺だ」とか「俺は絶対流行ると思ってたんだよ」とか後になって言い出す輩がいるが,まぁ要するにそれと同じ.二次裏におけるOSたんみたいに,それが完全な創作物で初出がいつどこってのが明確ならともかく,デビュー前にだって「存在」しているアーティストとかそういうものに対して,「俺」の影響力とかなんとかそういうものを言い出すのはどうしようもなくナンセンス.「誰某ゆかりの地」みたいな村おこし手法の胡散臭さも同様.くだらねー.
2008-04-23
2008-04-21
某学会のアブスト締め切り直前.修論ネタでいくつか報告書やらアブストやら書いてるが,ようやく今回の実験の意義みたいなものがわかってきたよーな.というわけで,分かっていなかった頃に書いた修論は燃やしに行っていいですか?
2008-04-19
2008-04-18
2008-04-17
今日の疑問:古生物学が palaeONTOLOGY である意味とか系譜とか,あるいはそういうことに言及している文献とか.もっともそこんところがしっくりこないのは Ontology も ontology も理解してないからなんだけど.
2008-04-16
結局,恐竜関係の論文とか本がこれっぽっちも面白くないように思える理由というのは,恐竜が何か特別な存在であるかのように扱われていること.ゼミの教科書選定時の愚痴でも吐いたことだが,要するに地球史を語るときの,バージェス動物が出てきて,恐竜が出てきて,人間が出てきてオシマイ,みたいな,局所的な優位性をそれがさも全てであるかのように語る様な頭の悪いストーリーは絶滅すべき.あるいは,エキセントリックなカタチだからといって検証不可能な夢を語るに終始するとか,そういう思考停止がまかり通るのは気が狂ってるとしか言いようがない.
もう一つ,この本のイイところというのは,地層や生痕化石を扱っていること.生の Zoophycos とか Nereites の写真とか,ホント素晴らしい.と,若干マニアックなことも書いてはみるが,要するに堆積物として保存された過去の「変」なモノが,現在の普通の現象と等価であることを示してくれているということ.逆にそれ (つまり斉一説) さえ認めてしまえば,深海探査機で表面くらいしか観察出来ないナマモノを,岩石としてあらゆる角度とあらゆる解像度で観察できるということを意味したりもする.これが地質学/古生物学の重要性の一つだったりするわけで,それを一般書で示されたというのもコッチ側の人間にとって嬉しいこと.ところで,今回は深海だったからアレなのだが,これが浅海の話だと大桑層の話になるんだろーか,とかなんとか.禁則事項?
北村雄一さんの「深海生物の謎」を購入.この本のポイントは「はじめに」として書かれた基礎概念じゃないかと思う.深海生物は確かに見慣れない「変な」姿なのだが,それは決して新たな規則を導入することなく,普通の知識体系でも理解できそうな普通の生物であり,普通の (ただし応用的な) 技術によって観察できそうな事実だということ.もちろん,ここでいう普通の体系というのは,人間の姿の優位性とか必然性を説明するような局所的な規則ではなく,もうちょっと広域的ないわゆる物理・化学的な知識体系のことであり,神さまとか妖精さんとかの趣味でもなければ,念力とか霊力が必要なものでもない.そう考えると,北村さんとか平山さんが 2ch の某スレあたりで評判が悪かったりする理由というのは,恐竜マニアにとっての神秘性とかロマン (笑) を否定しちゃっているからなんじゃないかと思えたり.だとすると,これはもう救いようがないね.
実際,物理屋さんは「Maxwell の悪魔」というキャラを想定しておきながらそんなヤツはいないと切り捨てるのだが,言うまでもなくそれは「悪魔」を否定しているのではなく「想定した行動規則を遵守できる悪魔」を否定しているだけだったりする.それができないようなヤツは「悪魔」じゃないと言われたらオシマイなのだが.
たとえば,全知全能の神様とか妖精さんとかいったご都合主義がダメな理由は,事態が成立しうるための規則というものを彼らの意思決定基準とか能力といった一段階メタな部分に棚上げしてしまっているからである.つまり,科学的な意味で知りたいコトというのは,(仮に気まぐれというランダム性であったとしても) その規則であって,その規則を何者が運用しているかではない.だから,科学者は「大宇宙の大いなる意思」的な何かを否定する気は本質的に無い.ただそういうことを予言者を通じて教えてくれた神の言葉 (規則集) というのが事実に反するというあたりが問題だと主張しているだけなのだが,こう書いてしまうと,神を信じないが故に事実の認識手法に誤りを生じている,などと反論されてオシマイ.
自分用メモ:いつの間にかAMD780Gなんつー時代.LFB付きモデルは J&W,JW-RS780UVD-AM2+; Jetway,HA06 あたり.つーか,もはやATA133ポートは一つだけ.移行するにしても手持ちのHDDはどうしてくれたものか.
2008-04-15
2008-04-14
メモリ増設しようとしてスロット1 (バンク1) をぶっ壊してしまった模様.元々2スロットで2GBのところを1GB分失って,空いてた2スロットに4GB足して,結局5GB.動くにゃ動くが精神衛生上,全然よくない…orz.
2008-04-12
性格的な問題として「謙虚さ」が感じられない無いような人間はおそらく科学的な思考というものはできないものと考えているし,それゆえそう言う人間とは絶対に仲良くなれないだろう.逆に言えばマトモに科学できる人間とは単に仕事のすばらしさという意味だけでなく人間性においても共感できるんだろうなぁと期待できるし,仮に科学に携わらなくとも謙虚な人ならば非科学に惑わされない会話ができると期待してつきあえると思ってたりする.
結局,この「謙虚さ」というやつが,これまで科学について語ってきたときの「謙虚さ」や「潔癖さ」であり,あるいはここにも繰り返し書いてきた「他人を理解しろとは言わないが,他人が自分とは違うことは理解しろ」という言葉に反映される行動規範だったりする.
かつて何度となく「口論してきた」という話を書いてきたが,要するに相手に謙虚さが見いだせなかったことに端を発する.私のことを奇人と評するのは構わないし,それは何より私が自分のことを奇人かもしれないし,あるいはコミュニティ次第ではただの凡人と評されるのも当然だと思っているからである.ただ,その評価をさも自分は平均的で正常な一般大衆であることが自明であるかのような尊大な視点から下されることに,絶望的なまでの思考パターンの違いを思い知らされ,殺意にも似た感情が沸くだけなのだ.
おそらくヤサシイという言葉の捉え方がカギなのだろう.ヤサシイ一家が現れたのは「共感能力がない世界」だった.この共感を,単に他者を理解するというように捉えると恐らく齟齬が生じる.もう一歩控えめに,他者が自分の立ち位置とは違うことを理解すると考えてみる.優しいという言葉は「無償の愛」みたいなものを想起させるが,それは一歩間違えると,あるいは間違えなくとも穿った見方をする第三者にとっては,ただの傲慢さであり,自己満足であり,偽善なのだ.そうではなく,相手が自分とは違うこと,自分の行いに誤りがないかを自省するという意味での謙虚さなのだ.「無償の愛」は自己犠牲的なものを漂わせるが,それは決して謙虚さではない.
「社会に感染する異端、星に感染する異端」という小話.作中のカワリダネが直感した永遠性については共感できるものの,ヤサシイ家・初代に何らかの理解を示したというあたりを未だ理解することができていない.
2008-04-11
2008-04-08
結局,CoSTEPというか,科学技術コミュニケーターというヤツが,どんなヤツを仮想敵にしてるのかがまるでわからない.それなりにリテラシーがあるけどうっかり誤解しているヤツなのか,厨二病患者なのか,スイーツ脳なのか.
2008-04-06
2008-04-05
2008-04-04
そう言う意味で,真偽判断をベースにする論理の他に,美的感覚を共有することで成立する論理とか,いくつか存在してはいるのだろう.そういう中でわざわざ科学的であることを選ぶってことは何なのかという話.
実際に問題になるのは,自分の感想が妥当であることをわざわざ示そうとすること,他人に共有してもらおうとすること,そのために他人に通じるとは限らない論理体系をつくること,その論理が通じないことを理由に他人を責めること(美的感覚が狂ってるとか).そういう人に,あなたの使っている論理は私には通じないので別の共通の論理を使ってくださいと頼むと,それは手前の勝手だと騒ぎ始めるから,なおさらたちが悪い.他人の論理に耳を傾けようともしない社会不適合者ともいえる.こまったことに,非科学的な範囲でもたまたま趣味(好き嫌いの判断傾向)が一致するということが起こるため,その感情的な論理が正当性を帯びてしまうことがある.
つまり,科学的に何の根拠もない命題は当然ながら好き嫌いとか美醜の判断の根拠としては不当だし,そういう感情が事実認定の根拠にならないのも当然のこと.だから,あなたの事実認識は科学的にオカシイ,というようにコメントしても,非科学的な範囲では妥当だと言い出す.もちろんそこまでは妥当なのだが,非科学的な範囲でのみ通用する霊的存在を科学的な範囲にまで適用してくれるのが問題.なにしろこの霊的存在は科学的な問題まで合理的に説明してくれる.
水は何でも知っているかどうかという問題.結局「みz(ryは非科学だよ」派のキャンペーンは何を以て達成されるのか,そこんところが分からない.そういうことを言い出すヤツはどこからともなく沸くので,いつまでたっても不愉快な思いをし続けることになるのだろう.むしろ,そういうデムパなことを言い出す人間を簡単に黙らせることができる呪文を紡ぎ出すことができるかどうかが鍵なのかもしれない.もっとも,相手は論理なんかどうでもいいと思っているので,相手の価値観と趣味を全否定するような合理性のカケラもない呪文になってしまうのだろうが.