いまさらながら結城浩の「数学ガール」と「同 / フェルマーの最終定理」を購入.感想は,ま,読後に.
下が古い.上が新しい.間は他所.
2008-11-30
2008-11-29
2008-11-28
2008-11-27
2008-11-26
有孔虫の殻のカタチを理論的に生成しようという,Tyszka, J. 2006. Lethaia 39(1):1--12.要するに隣接する apatures の位置,つまり 2 点を基準にして座標決めて 3 自由度の殻の構造を再現したよって話なんですけど-,その座標系っていろいろチートしてませんか?
2008-11-25
大学生協の科学書のコーナーに「地球はやはりがらんどうだった」なんつー本が平積み.これ,徳間書店の超知ライブラリーという,いかにも怪しいシリーズだったりする.そりゃマトモな科学書のフリをしてデムパ飛ばしてる M 山 S 徳の環境問題本とか,誰とは言わないけど平気で嘘話載せてる某大型恐竜本とか,タイトルからじゃ科学なのかオカルトなのかわかんないこともあるってのは事実.まぁ,中谷宇吉郎大先生のお膝元だというのに E 本の水伝の本を平積みするという前科持ちなので,これはもう最早救いがたい現象としかいいようがない.
適応ってのは,要するに cladogenesis と anagenesis による多様化と,明確な基準のある selection による絶滅の組み合わせで起こる現象で,これのおかげで (良くも悪くも) 進化に物語性を与えることができる.当然,明確な基準もなく絶滅は起こるのだが,そういう明確な基準がなかったことは示せるのか,それが問題になったりする.その背後には,さらにある種の anagenesis が起こらなかったこと,あるいは起こりえなかったことを示す必要も出てきたりする.なんというか,悪魔の証明としか思えないが.
2008-11-23
2008-11-23T10-31 のつづき.Dollo の法則という,一度消失した形質は再び現れない (と表現すると色々問題があるのも事実),という概念があるが,実際の進化を見てみるとそうでない場合があって,或る形質の発現が別の形質との相互作用で起こったり起こらなかったり,同様に異なる系列で独自に同じ形質が発現することがある.つまり,同じ形質が異なる系列で独自に生じた場合を平行と呼ぶ.逆に言えば,homology と homoplasy は,構成要素などは間違いなく同じ形質であるが共通祖先が同じ形質であるかどうかによって判別されるものである.一方の heterogeny は,そもそも構成要素などが違うので別の形質なのだが,幾何学的に同じであると錯覚してしまう形質,ということになる.
どうも修論を書いている時から指導教官さまと「収斂」という言葉の使い方が違うなぁというのを薄々感じつつ,つい先日のゼミでも苦言を呈されたので Desutter-Grandcolas et al. (2005) を読んでみる.おそらく,高校の時から教科書としている Wiley E.O. 他著,宮正樹訳の「系統分類学入門」(どうやら絶版.元の pdf が公開されている) の影響じゃないのかなぁ,という感じ.Wiley は,基本的に形質が相同形質なのかどうなのかってのは分かんないから,とにかく系統解析して変換系列とか分岐のパターンを見て収斂か平行か決めよう,と言っており,基本的に自分はこの考え方で喋っていたわけだ.ところが,実際にはデータマトリックスを作る時点で対象の生物を形質の集合に分解しているわけで,つまり,系統関係の推定に先んじて異なる生物の形質の同値性について議論をしてしまっているぞ,というのがDesutter-Grandcolas 他の言い分 (この発想の基礎は Petterson (1982) から出ている).結局,データマトリクスを作るという作業自体が homology かもしれないものと heterology というのを分けている,ということ.Wiley らは Hennig の補助原則を「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,収斂や平行は仮定してはならない」と表現しているが,データマトリクスを作り上げ解析を行うという段階では既に heterogeny に基づく収斂という概念は排除されているのだから,「対立する証拠がない限り,つねに相同性を仮定し,平行は仮定してはならない」と表現されるべきだ,というお話.
2008-11-22
2008-11-21
2008-11-20
2008-11-19
[全ゲノム解読計画の副産物として現れる,遺伝子が何割似ている,というナンセンスな言い回しへの対策コピペ,その 2] A, B, C, D でトーナメント方式の 3 試合を行い,以下のような結果になったとする: A ○-× B; C ○-× D; A ○-× C.このとき,1 勝 1 敗の C が 2 勝 0 敗の A の次に強いかどうか,言い換えれば 0 勝 1 敗の B より強いかどうかは,戦ってみるまでわからない.
[全ゲノム解読計画の副産物として現れる,遺伝子が何割似ている,というナンセンスな言い回しへの対策コピペ,その 1] A の遺伝子が {a1, a2, ..., a10} の 10 コあるとする.それに対し B の遺伝子が {a1, ..., a6, b7, ..., b10},C の遺伝子が {c1, ..., c5, a6, ..., a10},D の遺伝子が {a1, ..., a4, d5, ..., d10} だとする.このとき,B, C, D の A との類似度は,見ての通りそれぞれ 60 %, 50 %, 40 % となる.A と B が最も似ていると言うことに異存はないだろう.問題は C と D のどちらが A に似ているかである.D には A にも B にも共通する遺伝子が 4 つあり,一方の C は 1 つしかない.したがって類似度の低い D の方が近縁という結論に至る.
2008-11-18
2008-11-16
2008-11-14
なんつーか,自分のしたいことは paleontology そのものじゃなくて,paleontology engineering だったり,そのための paleobiology だったり,そーゆーことなんじゃないかなー,とかなんとか.
2008-11-14:T02:58 の続き.Paleontology の原義が過去の存在を記録する分野だとするならば,その生物としての特性を明らかにする分野が paleontology ではなく paleobiology と呼ばれる分野に属すること,Journal of Paleontology が記載専門,Paleobiology がその他全て,というのは非常に納得できるお話.また,1876 年以来のデューイ十進分類法において,paleontology は geology (550) でも biology (570) でもない領域 (560) を割り当てられているというのも頷ける.ただし日本十進分類法では 457 で,450番台の地球科学の一分野として扱われている.
2008-04-17T05:30 あたりで言ってた,古生物学が paleontology である理由についてのアレコレ.Ontology を哲学領域として解するならば存在論であり,根源的な存在とは何かを問う学問領域である.転じて,実際に何が存在するかを明示する作業ないし学問領域というのが生まれる.同時に,何が存在するかを明示するための方法を開発する必要も生まれる.この先鋭的な例が,計算機にも「理解」できるような手法 (システム) を開発するオントロジー工学であり,それに基づいてオントロジーを構築する.そういう意味で paleontology は過去に存在したものを記載していく学問領域と解釈できる.単純に過去に存在したもの,と言った場合には過去に存在した非生物も paleontology の対象になりそうなものだが,おそらく,生物に限っては死という現象によってあからさまに過去と現在を分断できるという意味で (例えば岩石は過去に於いても岩石だったので),paleontology の対象は古生物に限られる.
2008-11-13
ブラックボックスという概念について,外から中を見ることができないクセに入力とか出力って概念があるわけで,これは結構妙な話.システムの内部から見ると入力とか出力とかないよって話はオートポイエシスの概念を踏まえて主張されるが,ではシステムを外部から見るとどうかというと,入力と出力はあるけど内部なんてものは無いんじゃないかと思ったり.見えてるのはインターフェイスだけなんだから当然といえば当然ではある.
所属する講座が「地球惑星物質科学講座」から「地球惑星システム科学講座」になって久しいが,結局「システム」って何よ?という話.大して新しいことを主張するわけではないが,システムというのは要するに「ブラックボックス」に他ならない,と勝手に定義してみた.既に存在しているとしているブラックボックスを理解する分野がシステム科学であり,新たにブラックボックスを開発するのがシステム工学.当然ながら,ブラックボックスを理解する手法というものもまたブラックボックスであり,その理解や開発もシステム科学や工学の範疇であるという具合.確かに地球惑星物質科学分野と地球惑星物理学分野を統合して新名称にしようとしたら地球惑星システム科学になるかもしれないけど,それって地球惑星科学でも大して変わらないよね,などと言ってしまっては身も蓋もないか.ま,システムという概念を意識して考えるのは悪いコトじゃないだろうが,それが大学院の講義のレヴェルで適切に指導されているかというのと,これは大いに疑問.
2008-11-11
2008-11-08
話の筋がふらふらしてしまったが,要するにテキトーに拾ったサンプルが静的な状態からのサンプルだと主張するための前提条件とか,その条件の妥当さを説明する事実とか,それって何?という話.なんか混乱してきたのでひとまず放置して本業に戻る (ことができたらいいな).
それなりに巨視的なスケールの標本が手に入れば平衡状態かどうかというのは判別できるんじゃないかと楽観視してみるとして,絶望的なまでに標本数の少ない化石を手にして「これは**に適応していたんだよ!」では「な,なんだってー」としか返しようがないような気もする.そういう意味では断続平衡ってのは非常に便利な発想だと思うのだが,どうにも腑に落ちない.
進化の話で「平衡」という単語を出すと,どうしても Gould のいう断続平衡 punctuated equilibrium が連想されてしまうのだが,アレは平衡というよりは静的な状態を指しているような気がする.問題としているのは,anagenesis は準静的過程なのか非平衡過程なのか,それを見分けられるのかということ.
2008-11-07
2008-11-06
過日,某同僚と話していて至った結論として,新たなパラダイムを採用することで古いパラダイムの下で生まれる命題が片っ端から棄却されるという場合と,その一部のみが棄却される場合,というのは分けて考えないとマズイ.特に後者は,古いパラダイム下で生まれた真である命題が棄却されないことがあるがために,新しいパラダイムを採用するものの,古いパラダイムを無闇に否定する立場に対しては批判的であるがために,古いパラダイム下で考えているかに見えてしまうという場合がある.そういう意味で,プレートテクトニクスをめぐるアレコレで批判されることのある某 M 先生は,多少の政治的問題はあったにせよ,実はそういう立場だったんじゃないかという予想してみたり.