下が古い.上が新しい.間は他所

2010-09-18

経済的な観点から言えば K 村さんのいう A 層 (電通のいう B 層) へのアプローチが最も効率的,というのはかなり確からしいと思う.単純に自分の意見を広めたいのであれば,大声を張り上げてこの層にアピールすればいい.

電通の言うところの B 層への広告戦略というのが実に興味深い.

2010-09-17

「有害情報を無くそう」って運動はどうかと思うんですよ.全く同様に「有用な情報を広めよう」って運動もどうかと思うんですよ.

2010-09-13

自分の場合,少なくとも高校生の頃までは「恐竜の絵」が好きだったのだけど,これを脱したの父親の発言によるところが大きい.ひとつは「恐竜学恐竜学って言ってるけど,お前がやってるのは恐竜学じゃないよね」もうひとつは「なんで恐竜マニアっていつも恐竜のTシャツ着てるの」であった.

もうひとつ,twilog:2010-09-01あたりから某同僚と話していて気がついたのだけど.おそらく「恐竜の絵が好き」から「恐竜が好き」に変化することはない.最初から「恐竜の絵」と「恐竜」は別物でしかない.

たぶん「数少ない古生物学者の多くが元々恐竜好きであった」が都市伝説である可能性を疑ったほうがいい.

根幹の部分でとんでもなく初歩的なミスを犯していたのだけど,古生物学に携わる数少ない研究者は多くはまず最初に恐竜に興味をもったと言われているのだけど,数少ない恐竜に興味がある人間の多くが古生物学を志すわけではない.それだけ.

アレですね,時間をかけるか,お金をかけるか,人生をかけるか,ってやつ.

やはり,領域侵犯が嫌なだけかもしれない.スルー力が足りないだけかもしれない.

2010-09-12

そろそろ「好き」とかいう謎の概念を使うのをやめたらどうだろうか > 俺

たぶん,この辺の問題について管を巻いてるのは,自分が恐竜よりも恐竜の絵が好きだったり,恐竜以外は好きじゃなかったりしたからだと思う(現時点でどうかは知らない).ビジネスとして他人をどうのこうのするというよりは,自分はどう変わって,どう変わりうるか,という実に無益な思考で時間を潰しているだけじゃないかと言う気もする.実に切迫感がない.

備忘:2010-09-12T03:06 に対する K 村さんの解答

(1) いわゆる「恐竜好き」は恐竜が好きなのか恐竜の絵が好きなのか問題,(2) 恐竜の絵が好きな人は恐竜を好きになれるのか問題,(3) 恐竜が好きな人は恐竜以外を好きになれるのか問題.さらに,以上の問いにおける「好き」を「興味をもつ」に変換してもよいか,変換するべきかという問題.

2010-09-03

2010-08-11T00:13 あたりに関する若干の補足.記述できたというのは,あくまでも型に無理矢理当てはめることができただけであり,無駄なく無理なく当てはめることができたというわけではない.ある人が,ほらこの型に当てはまったよとか言ってみたところで,他の人も同様に当てはめることができるわけではないし,その人はもっと当てはまりのよい型を探し始めるかもしれない.そういう型が見つかったら,じゃあやっぱりそっちの方がいいねってことで乗り換えるだけ.これはこれで面白い営み.

2010-09-02

結局,「お前らニセ科学ってレッテル貼ってるけどそれって何よ」という質問は,2010-08-08T12:05 と同じく「あなたの言う『ニセ科学』って何」ではなくて「私の言う『ニセ科学』ではダメな理由って何」という質問に置き換えられるもので,そんな理由は存在しないという辺りの問題ということなんだろうね,という理解.前に言ってた「お前の言う恐竜って何」という問題に関する「理由」が何かといえば,命名規約とか,それを守るべきという研究者間の紳士協定といったところ.それくらい根拠がない.

えぇまぁ,その辺はさっさと論文化しないといけないとは思うんですが > ギンザメ

2010-08-31

本屋でブルーバックスの某深海生物本を発見するも,ギンザメが載ってなくてやや残念であった.

2010-08-11

ところが,というか勝手に自分が思い込んでるだけなんだけど,恐竜業界の言説は「恐竜は特別だ」みたいな臭いがして耐え難い.「わたしたち哺乳類」とか「わたしたち人類」も同様.

たとえば私は長頸竜の研究は面白いと思ってるんだけど,長頸竜自体は面白いとは思ってない.いままではこの生き物をエキゾチックなやつだと思ってて,ネッシーだの何だのといった「モンスター」という恐怖の対象扱いしてたわけだけど,たぶんそれは単純な力学で理解できる程度のつまらない動物で,ちょうどそれが「わからない」から「わかった」に変わりそうってところが面白いだけだったりする.

たぶん,わかってしまったものというのは当然すぎて面白くなくて,わからなかったものがわかることというのが面白いんじゃないかと思う.わからないままだとか,わかる気がしないとか,そんなものは不安だとか恐怖といったものでしかない.

特定のタクサを特別視しないというのは,つまり全ての生物と全ての非生物は普通で常識的だ,と思ってるということ.そういうことを言うと,お前の言う普通とは何だ,常識とは何だ,などと訊かれることになるのだろうけど,とりあえずここでは,閉世界の中の得体の知れたもの,とでもしておきたい.むしろ特別というか「変」なものというのを考えてみると,それはつまりルールが通じないものであり,わからないものであり,記述できないものであり,世界の外にあって語りえぬもの,ということになるかと思う.記述できたものというのは,所詮得体の知れたものあり,それほど面白くはないと思う.

2010-08-10

で,とりあえず何が嫌いなのかをアレコレ考えてみた.たぶん,特定のタクサを特別なものとみなすことが嫌いなんだと思う.これは前にも書いたことがあったかもしれないし,そういう意味では再発見ということになる.

私が恐竜に関するアレコレを見聞きして感じる違和感というやつは,単純に私の好き嫌いの問題で,しかもそれは勝手に想像した情報発信する側の考え方に対する感情だったりする.通ってた高校では「真善美」という言葉が標語として掲げられてて,高校生だった頃には全然分かんなかったんだけど,大学に入った後になって,真偽と善悪と美醜を間違えてはいけない,というあたりに思い至りはした.好き嫌いと,真偽,善悪,美醜は対応しないし,好きな言葉は何ですかと聞かれたら「好きなものは好きなんだからしょうがない」と答えることにしているのだが,たぶんその好き嫌いに対して理由付けをしようとしてしまっていたのが問題だった.たぶんそういうこと.

あえて適当かそうでないかという観点ではなく,好きか嫌いかという話にしてしまったらどうだろうかという発想で.

まさかそんな尺度が存在するとでも?

物書きでも何でもいいんだけど,それを経済的な尺度以外で評価する方法を知らないから,わけのわからないことになってるような気がする.

わかるように説明せよ,という要求自体キチガイじみてる気もする.日頃から目的論的な考え方を排そうとしながら,コミュニケーションと呼ばれる何かについては何故か目的があると思い込んでたあたりに問題があった,とでも言いますか.

2010-08-09

とはいえ,コミュニケーションに参加してる誰が悪い?という話に落とし込もうというのがそもそもおかしいような気もしないではない.

2010-08-08

例の展示を見た結果どういう分類が提示されていたのか理解することができなかったと表明したとして,それ読解力不足ではないかという批判も出てきたりするわけで,結局見せる側と見る側のどちらの落ち度なのかといういつもの話に至ってしまうのも,それはそれでつまらない気がする.

たぶん,見せる側は「私はこういう観点でモノを分類したんだけど,どうですか?」という立場に立つものだし,見る側に「なるほどそういう観点でも分類できるのね」とか「そういう覚え方もあるのね」と思わせることが出来れば上等なんじゃないかと思う.ときには,見る側に無理矢理考えさせるという教育的な効果を狙うこともあるかもしれないし,世の中の物事は素朴に分類できるとは限らないのだが,あえてそのような問題を強調するのではなければ「どういう意図で並べてあるのか皆目見当がつかない」と思われた時点で,説明としては失敗していると思う.特に,そのような教育的であると自称する不親切な展示を,見たり聞いたり考えたりする時間が限られた場でやるべきことかというと,それは違う気がする.