下が古い.上が新しい.間は他所

2009-03-31

例のサイトの化石古生物学の項目を執筆.昔からここにうだうだと書き連ねたことのまとめだったりする.というか,例のサイトは,古生物学や地球科学に関するまとめサイト的な方向に向かいつつあったりする.個人的には,化石の研究と生物多様性の認識云々というテーマとか,生層序と断続平衡というテーマで言っておきたいことがあったりする.もっとも M 渡せんせーが館長を務める例の博物館の批判として前者のテーマで書くとか,我ながら狂ってると思う.

有限の人材と有限の保管場所,という観点では,化石の採集と保管に商取引が絡むことは避けられない,というよりは避けるべきではない,と考えるべきかもしれない.学術的価値のない化石は確かに存在するので,その意味で化石を非学術的な意味でのみ愉しむというスタイルも存在してしまう.問題は,そのような立場で化石を蒐集する場合,元々学術的価値がある化石を私物化するために,産地情報などが失われたなどと虚言を吐くことが可能だということだったりする.つまり,非研究者の倫理の問題であり,非研究者に化石を学術的価値を保持したまま愉しむ方法を普及する必要があるものと考えられる.

で,怒りにまかせて諸々更新中…つーか力尽きた.ねみぃ.その後,各所を検索して回った結果,だいたいどの辺のものを流用したか,そして誰が書いたかも,だいたい見当がついた感じ.外堀埋めてから問い詰めるつもり.もっとも,博物館の担当者が GO サインを出してるあたり救いがたいわけだが.

同僚とともに北海道大学総合博物館の古生物学関連展示を糾弾するサイトを立ち上げた.批判対象を明確にすべく展示解説パネルを書き起こしてみたわけだが,筆舌に尽くしがたいほど酷い.先日も書いた通り,この展示に関して当方の研究室は決して無縁ではなく,このような文章が公開されたことは恥辱以外のなにものでもない.そのようなわけで,第三者から指摘されるよりも前に自浄すべきだと考えて,サイト公開に踏み切った.繰り返すが,我々はこの内容の妥当さを全力で否定する.

2009-03-29

以前にも何度か引っかかった機能と形態は相関しないという発言について.重要なのは,機能形態学的研究と称されるものが扱っているのは「どのような動きが可能であるか」という問題であって「どのような動きをしたか」という問題では無い点だったりする.この 2 つを繋ぐには動き方が一意であることを示すより他はないが,まずうまくはいかない.そこで,新たな制約条件として「生物はなるべく死なないような動きをした」という仮定を設ける.たとえば,脚の動き方を考えるとき,そうすることで前に進まないような動き方 (軌道) は棄却するわけである.ここが,純粋な機能形態屋と生物系の機能形態屋の分岐点である.もっとも,この程度で動かし方の一意性など示せるわけがない.そこで,さらに「生物はもっとも効率のよい (機能的な) 方法を採用した」という新たな強い制約条件を導入してしまうのが,適応主義という名の悪しき意味での最節約主義だったりする.この末路については S.J. Gould せんせーが色々と語ってくれているので省略.

2009-03-29T02:09 の補足.高次タクサはプロトタイプベースで作る必要があるのに対し,力学的モデルにプロトタイプは必要ない.ゆえに機能形態系古生物学者は生物屋らしからぬ素振りを見せる.

モデル選択という観点から古生物屋がすべき作業を漠然と三題:(1) 細長くて原始的なものから紡錘形の進化的なものへのモデルしかないのであれば細長いモノは当然原始的なのであって,紡錘形で原始的なモノから細長くて進化的なものへのモデルが存在しない限り,前者のモデルとそれへの当てはめへの妥当性は一切保証されない.(2) 板のある何かに対応するためには,例えば事前に武器モデルと性的ディスプレイモデルなど用意しておかなければならない.もちろん性的ディスプレイモデルというものが適切に定義できればの話である.このとき,武器モデルへの当てはまりが悪いことは,性的ディスプレイモデルへの当てはまりの良さを全く保証しない.(3) 翼のある何かが出たと言うのならば,それは翼であってパラシュートではない.トートロジーである.より正しくは,パラシュートモデルと翼モデルをあらかじめ用意しておき,新たに出てきたよく分からないものをどっちかに分類するべきである.当然,パラシュートと翼の力学的な違いは事前に十分吟味されていなければならず,しかも当てはまりの良さなどを比較する方法が明示されていなければならない.

そんなこんなで機能形態屋はカタチを見ないの解題.繰り返しに近いが,機能形態屋には力学モデルを作る作業とモデルに当てはめる作業が課せられる.前者では,確かに実物をみる必要はこれっぽっちもない.たぶん,例の発言はこの辺を指しているんだと思う.ただ,世の中には意外なモノが存在すること,すなわち既存のモデルには上手く当てはまらないモノが存在し,新たなモデルを生み出す必要があることを知るためには,見るべきだったりする.あるいは,既存のモデルを号税して生み出される無限のモデルを全て試すというのはどう考えても不可能なので,有効なモデルを発見するための手がかりとして,見て探す必要はあると思う.

まだ自分の中でもまとまっていないので,書き殴りとして.「機能形態学的に復元」という言い回しは,素人目には古生物学という未開の学問領域に物理学の知見を取り入れた革新的手法であるかのように受け入れられるが,実際は「ごく素朴な分類」に過ぎない.より正確に言えば,機能形態学的な復元というのは,力学モデル (= 型) を作る作業と,化石をそのカタチに基づいてそのモデルに当てはめる作業に分けられる.そして,前者にはどんなデータにも応じられるように様々なモデルを用意する能力が,後者には与えられたデータに対し妥当なモデルを選ぶ能力が求められる.普通の古生物学では高次タクサという名のモデルへの当てはめ能力が,機能形態学的な古生物学であれば力学モデルへの当てはめ能力が求められる.この違いにより,前者の立場ではクジラは「哺乳類」に分類され,後者では「水中を運動する巨大な物体」となる.そういう意味で,機能形態屋はきっと流線型は物理的に速度を出すのに適しているよね.え?化石もそういう外形しているの?じゃあ,それで良いじゃんと言うんじゃないか,という認識は実に的を射ていると思う.

自称「機能形態屋」を見た同僚は機能形態屋はかたちを見ないなんて指摘をしたわけだが,実は言われた時点ではその真意をよく分かっていなかったという告白.機能形態屋一般ではなく,あくまでも個人の意見として書くが,実際カタチなんてものを見てるつもりはコレっぽっちも無かったりする.ちょうど,花粉に対してアレルギーが起こるようなもので,そもそも何を見てるかなんてわからんので,外界にある (はずの) 対象を見わける方法 (= 認知機構) 自体の分析と再構築に徹してる,という感じ.

2009-03-28

いまさら言うことでもないのかもしれないけど,統計モデルへのデータの当てはめとモデル選択って,要するに認知とか分類とかのメカニズムそのものなんじゃないかなぁ,という妄想.統計やってる人には当然すぎる話なんだけど,扱いたい対象ってのは統計モデル云々を抜きにして先験的に数として存在するわけではなくて,あくまでもモデルに当てはめた結果,数として見えるということ.より正確に言えば,数とは限らないんだけど.

amazon.co.jp から理系だって英語が必要!理系のための英語特集なんつータイトルの DM が届く.ただのアホなのか,ケンカ売ってるのか.

また家賃値下がり.半年で約 10 % オフ.

2009-03-27

中谷宇吉郎先生の本の隣に水伝の本を平積みした前科持ちの某大学生協書籍部が,K 村さんのダーウィン本の隣に ID 論の本を平積みしてる件.そして,その近所の某大型書店でもドーキンスとかグールドとかの隣に ID.いや,もうね…

2009-03-26

結局,F 岡の言う動的平衡は (非生物における) 相平衡と何が違うのか.(追:例の本をちゃんと読んでないという問題があるのだが,どうやら非平衡状態のことを指すらしい

W. Pauli 著,内山龍雄訳の「相対性理論」を購入.その前に J.A. Coleman 著,中村誠太郎訳の「相対性理論の世界」を読んでいたりする.いずれ量子力学とかも勉強しないといけないんだろうなぁ,とか思ったり.動機としては,物とか時間とかって概念を素朴にしか捉えていないのはまずかろう,というあたり.

これは個人的な好みの問題なのだが,「単細胞生物 → 多細胞生物 → カンブリア爆発 → 脊椎動物の上陸 → 恐竜の繁栄 → 哺乳類との交代 → 人類の歴史」という語り口が大嫌いである.大嫌いというか,このような語り口をするヤツは,それが客に媚びた結果そう喋らざるを得ないような状況に追い込まれたということを伺わせない限り,生物というものも地球というものも,そして歴史科学というものも何一つ理解していない只の馬鹿とみなしている.無知というか,視野が狭いというか,思慮が浅いというか,どう罵倒したらよいのかわからないような,そんな気分になる.

2009-03-25

某博物館の化石の展示リニューアルについて.自分自身も関わりかけながら自分の研究の都合上何もしなかったこと,さらに主に携わった人間が自分のごく身近なところの目上の人というのを加味して,全ての発言がブーメランになることを恐れずに言うが,改悪でしかないと思う.骨を見せたかっただけか,でなければ骨以外に関し全く無知であるか,どちらかにしか見えない.客は無知で媚びなければならないという前提があるにせよ,ほどがある.

2009-03-22

スペースデブリがたとえ小さくともヤバイ理由がようやくわかった.つーか,今まで気づかなかったんかい,て感じだが.つまり,同じ高度の軌道にあるってことは同じ速さなのね.同じ速度ではなく.

今使ってるノート PC を購入した時の日記を読み直してびっくりしたのだが,当時はメインマシンもほぼ同等のスペックだった.といっても,メインもノートも 3, 4 年落ちの中古だけで組んでいたので大したものは無いのだが,その後メインマシンは画像解析用に湯水の如くリソースを使う富豪的構成へと変貌を遂げた都合上,いろいろと不満も増えてきたというわけで.もっとも,一番の問題は単なる性能云々ではなく,メインとノートでイラレのバージョンが違うことだったりもする.

そろそろ netbook 欲しいなぁ,という妄想.今使ってるノートより高性能…というか,そろそろ今のノートでは色々足りないというか.

2009-03-21

ずいぶんと長い間更新ないなー,おっかしーなー,とか思っていたK 村さんトコの掲示板が blog になってた.まぁ,はてなアンテナで捕捉してたせいで気づかなかっただけなんですがー.

2009-03-20

Zarnik (1925; Fig. 22) の復元画に尾鰭が描かれている件.しかもウナギイヌ型.まぁ Dames (1890) 以降なら何があっても驚かないんだけど.

2009-03-19

R でやることではないような気もするが.

2009-03-19T20:28 の続き.より正確に言えば,分岐年代分析というものは,間違いなく初産出年代というデータを入手した上で解析しているはずなのだが,同時に手に入れることができるはずの最終産出年代というデータと合わせて議論している例を見たことがない.

分岐年代分析では絶滅年代はわからない.それが「分岐年代分析やりました」論文を読んでもあまり面白いと思えない理由.

2009-03-18

2009-03-17T17:50 の補足.最初にブラックボックスあるいは function と名付けながら,その直後に状態機械と混ぜて扱っていることに問題があることは十分承知している.これについては 2008-12-31T05:062009-01-08T16:36 に書いた通り.状態モデルでもラムダ計算モデルでもかまわないのだけど,そのどちらでもいいことを示したり,あるいはそれに実際の生物の話を当てはめたりという作業をするためには,圏論の言葉を使うといいんじゃないかなぁ,と思っただけ.初学者の安直な妄想.実際,function という文字列にとらわれまくった上で諸概念をつぎはぎしているのは認めざるを得ない事実.

2009-03-17T17:50 とその他諸々への反応について.まぁ,いつも通り分かりにくく書いてごめんなさいって感じなので,ちまちまと補足していくつもり.もっとも,私の席の裏で論文書きながら反応してきた人には,既に特別講義「思索と人生」(午前 4 時より開講) で説明済だったりするが,そこを深く追及してはならない.

2009-03-17

よくよく考えたら卒業やら出張やらで先輩も後輩も教官もいないっていう.

古生物学における機能形態学,つまり生物体の振る舞いを扱う機能形態学に関わる者は,他の機能形態学と違って「還元主義的機械論 vs. 生気論」という実にくだらない,くだらなさすぎて関係者を虐殺したくなるような議論に付き会わされなければならない.21 世紀も 9 年目だというのに「私は機能主義者です」などとわざわざ名乗らなければならないあたり,本当に悲惨としか言いようがない.

機能は何か,形態とは何か,という問いに関するものすごく大雑把な私的定義.適当なブラックボックスとその外界 (環世界ではなく環境) を設定し,このブラックボックスが存在するが故に生じる外界の変化を考える.このとき,外界の始状態と終状態とを結ぶ射 (morphism) を機能 (function) とよぶ.機能は参照透過とは限らず,実はブラックボックスには内部状態があって,外界の状態の変化に伴って内部状態も変化するものとして扱うほうが都合がよい.形態 (morphology) はその内部状態量の一つであり,その射を運動 (motion) とよぶ.心とか自由意志とか生気とかクオリアといった数々は,こういった内部状態量とその射のうち物理量として表現できていなために議論の対象にしえない (つまり使い物にならないゴミみたいな) 諸概念,という認識.目下の疑問は,機能に恒等射を想定してよいか,という点.

2009-03-17T14:46 あるいは 2009-03-16T00:10 あたりに話を戻す.結局,何が起こったか,か,何が起こりえないか,しか語れないということ.起こるはずのことが起こらない,というのは予測不可能性と非決定性ゆえに生じうる事態だが,起こりえないはずのことが起こった,というのは観測か予測の誤りでしかない.

2009-03-17T15:55 の続き.つまり,クラスタリングというのは,ある型の対象をその値に基づき分類する手法のように見えるのだが,その手法で扱う型の定義そのものの妥当性 (整合性) を問う手法だったりもする.

例えば,ランドマーク・ベースの形態解析は,事前にどのランドマークだけを比較するかを定義され,少なくともそのランドマークを全て認識できるような物体のみを扱える,という点が非常に重要だったりする.仮に 10 個のランドマークを比較する手法で,11 個目のランドマークもある物体を扱おうとすると,11 個目のランドマークは無視される.この解析により抽出できた或るクラスタの構成要素が軒並み 11 個目のランドマークを共有していれば,この解析手法の有用性と 11 個目のランドマークの有用性が認められることとなる (といいな).ではそうでない場合はどうなるか.たとえば実数値に基づきクラスタリングをする手法があるとしよう.この方法で複素数扱ったらどうなるか.しかもその手法が,ご丁寧にその虚部を無視して実部だけを扱ってくれるとしたらどうなるか.

計算機が型を発見したりすることはできるんだろか,という疑問.型推論ではなく,たとえば integer 型を発明しちゃうような.

たぶん,非決定性と予測不可能性が混ざっているのがマズイ.非決定性の観点からは,結果論にこだわった記述を行うべきだし,予測不可能性の観点からは,制約条件にこだわった記述を行うべき,とかなんとか.ある形質が何かの役に立つか,という話の場合,それによって何かができないという制約を語ることはよくても,何かができるという話にしてしまうと,話が収束しない.

前適応って概念もだが,役に立つ,って概念自体がどうにも腑に落ちない.

やっぱり Mahner & Bunge のいう生物学的価値はアブナイような気がしてきた.当然,それを用いて定義される適合とか適応って概念も.

2009-03-16

機能形態学は,一見すると「機能と形態には関連があるから理解しやすい」という楽観的なパラダイムに支えられているかのようで,実は「機能と形態との関係は多対多であり,しかも機能は無限に想定できるので理解しえない」という悲観的なパラダイムで出来上がっていたりする.

とりあえず,機能形態学 (笑) に興味があるなら,幾何学と力学と統計学,それと認知心理学を学べばよい.間違っても functional morphology という単語が含まれる文献を手にしてはならない.

なんか送球があったので,まとめはじめてたり.

2009-03-14

マンガとかによく出てくる,やたらと計算高いというか,相手の行動を寸分違わずシミュレーションして主人公を苦しめながらも,主人公の予測不能なまでの頭が悪さとかよく分からない愛とか何とかを前にして「ばかな,僕の計算は間違ってなかったのにっ」と言いながら負けていく悪い意味での天才キャラ.21 世紀にもなって古典的決定論に毒されているという意味では間違いなく痛いキャラなのだが,アレを決定論の誤りとして描いてる例を見たことが無いあたり,単に,勉強が苦手だったり愛に生きたりする読者に媚びているとか,執筆者が何かコンプレクスを抱いているとかそういうことだけではなく,決定論まわりの理屈が根本的に理解されていないというか,(実は存在しない) 仮想敵としての科学万能主義が残っているというか.

2009-03-13

プロトタイプベースのクラスとして定義というあたりに若干の違和感もあるが,逆に言えば,根がプロトタイプベースゆえ,いくらでも恣意的な定義を生み出せるし,観点が違えばあっさり却下できてしまう.だが,人とか自分をプロトタイプに据えない定義の場合,人とか自分が生物ではなくなってしまうことがある.むしろ,自分をプロトタイプに据えるクラスを人間とか生物などと呼んでるというような感じ.

2009-03-13T13:032009-03-13T13:07 について.気が狂ったとでも思った?少しだけ緩めて,それぞれ,生物は人間のようなものだ,人間は私のようなものだ,に変換すればいい.何を生物や人間のプロトタイプと思って考えているかという問題.あるいは,生物や人間という概念はプロトタイプベースのクラスとしてしか定義できないんじゃね?という提案.

今日のありがたい言葉:人間は私である.

今日のありがたい言葉:生物は人間である.

古生物の対義語は現生生物でいいような気もするが,生物というのは時間面をまたいで存在するので,単に現在と過去とを分ける区分では対応しきれず,過去にも生きていて現在はもういない場合と,現在も生きている場合との 2 つに分けなければならない.実際,絶滅種と現生種という言葉にはそういうニュアンスが含まれているわけで,古生物というよりは絶滅生物って単語を使えばいいような気もする.むしろ分類以外の場に於いて「種」という概念と単語を全力で排除したい場合,どんな単語を使えばいいんだろうかという悩み.

2008-11-14T03:30 の続き.paleontology の対義語が何かといえば paleo- を取っ払った ontology ではなく neontology だろーね,という話.現在の非生物を過去の生物として解釈するという言い回しをしてきたが,実のところ,現在の非生物と生物とを分ける,あるいはヒトとそれ以外とを分けるということが非常に重要.

2009-03-09

心身二元論,生気論,強い (弱い) 人工知能,クオリア,この辺の概念の違いは何かという疑問.あるいは,そういう反語.

2009-03-05

見ての通り,毎度ここの投稿は一段落のみで構成されているわけだが,特に p タグで括ることもなくダラダラと書き込むと勝手にタグを付加してくれるという仕組み.逆に,あえて複数段落の構成にしようと p タグを書くと,冒頭の空文字列に p タグを付けてくれる.実は同じ blogger 上でこっそり別の blog を運用しているのだが,そっちでは勝手な p タグの付加は起こらず,自分で p タグを付けて複数段落構成にできる.p タグの付いていない投稿が一つでもあると,あるいは最初の投稿がそんな感じだと,他の投稿でも同様に世話を焼いてくれるんではなかろうかと想像.

さらに続き (2009-03-05T14:08).supertree どころか super-network なんて概念まで生み出されていたり.

さらに続き (2009-03-04T18:25).「関係」を正規化しろ,話はそれからだ!みたいな感じなのだが,その後の処理は要するに supertree method.とはいえ,対立関係にある (あった?) supermatrix のコトはよくわからんので,これから読む.もっとも,個人的な興味は「樹」を作る方法の形式化より「関係」をつくる方法の形式化だったりするし,「樹」にはあまり固執したくない (とか書くとその筋の人に罵倒されそうな).

最節約法による分岐学的系統解析とスペクトルクラスタリングは何が違うんだろうっていう.

2009-03-04

2009-03-04T11:47の続き.要するに,body の解析に先立って header の解析が要るんじゃねーの?ということ.

系統解析に用いる「データ行列」とよばれる何かが実のところ「行列」ではなく,あえていえば「関係」だというのは過去にも書いたと思うのだが,そもそもあの解析手法自体,「型」を比較しているのか「値」を比較しているのか,そこんとこがマトモに論じられているのを見たことがない.見たことがないだけだけど.

2009-03-02

yahoo! news のコメント機能にまつわるアレコレ (2009-02-06T09:53).記事に id を振らず,ユーザ名も頭の 3 文字だけしか表示していないせいでリンク可能性が著しく低下しているよーな.

よくよく思い返してみると,有孔虫や放散虫みたいなプランクトンを食べる生物が何者で,それがどうやってエサであると認識しているのか,これっぽっちも知らなかったり.

一晩ほど web 情報のみに基づいて心理学って何やってんの?ってことを妄想.個人的にいちばんとっかかりやすかったのは機能主義的な心理学ってやつ.とにかく「心理」とか「意識」とかよくわかんないから,とりあえずそれを「状態」扱いにして,環境や入力に応じてどんな出力があるかを色々試してみよう,ってことらしい.つまり,環境も入力も同じなのに出力が違えばそれは心理の違いによるものだ,という発想.で,そのときの脳の「状態」を fMRI 使って直接見てやろうってのが最近の流行り.この心理を状態として持つ関数的な何か (閉包) ってのは,複数の閉包の合成と見なすことができて,個々の閉包を「心のモジュール」と称するわけだ.このモジュールと脳神経系のサブセットが一対一対応するかは不明ということになっていて (というか,あれだけ複雑で冗長性の高そうなネットワークにおいて,厳密に一対一対応である必要はこれっぽっちもない),そこを勘違いした生気論的何かが蔓延っているらしい.ともかく,一見複雑な心理という状態を持つ何かは,実は離散的な細かいものの合成であって,しかも全てが同時に獲得される必要はなさそうというのが肝.故に,それを形質として系統解析ができるんじゃね?というのが進化心理学 (もちろん,他の系統の生物の心理と比較せずに系統解析とか笑止).そういう意味で,いわゆる "ポップ進化心理学" ってのは極めて創造論的.

機能主義 (functionalism) という言葉の多義性とか,機能主義への的外れな批判に辟易してみたり.

2009-03-01

気がしただけ.

確かに真っ当な心理学と真っ当な進化心理学と真っ当な脳科学は存在していいような気がしてきた.

どうやら世の中には「ポップ進化心理学」以外の真っ当な進化心理学というものが存在するらしい.